★ 民数記23章10節の祈りを心の奥底で願い始めたのは半世紀以上前のことです。
そののち年月が矢のごとくに流れ去って、最近に到り、いよいよ私自身の地上人生の
終焉を強く意識するようになりました。
『願ネガハ くは義人タダシキヒトの如くにわれ死なん。
願ネガハ くは我が終オハリ 義人の終オハリ に等ヒトしかれ』
民数記23章10節 文語譯聖書
その間に、不信仰による多くの紆余曲折や失敗を体験し、人々を傷つけました。
また、幾人かの心ない人々によって、人生の歩みを変更・蛇行させられる結果を招い
たような恐ろしいことも幾つかありました。 伝道者としての存在を根底から否定・
抹消させようとする恐ろしいことをも体験させられことが幾度かありました。
しかし、主の恩寵によってのみ、何とかここまで来ることができました。
『主はこの瞬間に到るまで私を助けてくださっている』と、サムエル前書7章12節が
告白していることに、私もまったく同感で、感謝を捧げています。
★ ピラトは手を洗ってイェスと関係がないと公表しました。 ペテロは主イェスを
知らないと言い張りました。 弟子たちはガリラヤやエマオの方に逃げ去りました。
つい先日まで、『ホザンナ! 救いたまえ!』と叫んで、イェスがエルサレムに入
城して来るのを大歓迎したユダヤ人たちは、『十字架に架けよ!』と急変・絶叫した
のでした。
★ 十字架上の強盗一人だけが、『主よ、我を憶え給へ』と信仰告白をしたのです。
どのようなときでも、主イェスだけは、私たちを見捨てることをなさらないのです。
人に捨てられ、人に軽んじられても、イェスが私たち一人ひとりを見捨てることは
ないのです。 讚美歌 512番の2節に、慰めの言葉がそのように記されています。