旧讚美歌 437番と母モニカの祈り
★ 敗戦直後の地方から東京に転居することには、いろいろと難しい制限が課せられ
ていました。 東京の急激な人口増加を政府が恐れたからでした。
そのような時に、当時は旧制でしたが、明治学院高等学校長?(もしかすると学院
長)であった高橋源二先生をお訪ねし、京都府立第三中学校から明治学院高等学校に
転入を許可するという書類を特別にお願いして転校することができました。 転入校
許可書を世田谷区役所に提出し、東京転入が認められました。 高橋校長に贈呈した
当時貴重な味噌1樽が役立ちました! 母がしたことで私は知りませんでした。
その明治学院高等学校で毎朝チャペルという時間がありました。 小泉という先生
が壊れかけていたオルガンで伴奏され、私たちはお決まりの讚美歌を歌いました。
讚美歌の中で、どういうわけであったのかわかりませんが、当時の讚美歌 437番が
しばしば選ばれていました。 『母ぎみに勝るともや世にある』でした。 曲自体は
『慈しみ深き友なるイェスは』と同じです。 先生がマザコンだったのでしょうか?
★ 先日のベタニヤ集会で、この歌を、断りをつけた上で、皆さんとご一緒に歌いま
した。 神さまを讚美する詩文ではありませんので、躊躇しながら、断りをつけて、
皆さんに紹介しました。 しかし、クリスチャンの日常信仰生活という面から考えれ
ば、特に家庭に於ける母親の責務と特権という視点から見ますと、大切なメッセージ
を持っている歌だと思います。 作詞者を調べていますがいまだに不明です。
★ 『母君に勝る友や世にある?』‥
この歌との関係で思い出す一人の母親が教会史の中に存在します。
そのことを今日は考えてみたいと思います。
また、その母親の名を着けた町があります。 ロサンゼルス西方に行楽地や保養地
としても有名な海岸都市で、人口約9万人のサンタ・モニカ Santa Monica です。
強いて訳せば「聖モニカ」となりましょう。 英国系の裕福な人たちや、ハリウッド
映画の俳優たちの別荘が多くある町だったと記憶しています。 そして、モニカは、
どうやら、アフリカ系の女子名のようです。
「聖モニカ」は、ヒッポのアウグスティヌスの母で、332?年~387?を生きた女性で
す。 半世紀も前にペパダイン大学院でホートンという教授が彼女のことについて、
アウグスティヌスと同様に、熱心に説明されていたのを記憶しています。
★ ヒッポのアウグスティヌス Augustine of Hippo、 354~430 、アゥグスティンと
英語では発音しますが、ひとことで言えば、初期キリスト教最大の教父であり、偉大
な神学者であり、ヒッポの司教でした。 ヒッポはアフリカ側の地中海沿岸都市で、
現アルジェリアのアンナバに隣接した所にあったローマ帝国時代の土地の名です。
わたくし如き完全に無学の田舎者にとって、教会史、ひいては世界史の中でも偉大
な人物、偉大な教父アウグスティヌスを口にすることなど、身のほど知らずなことは
ありませんので、これは絶対に避けなければならないことです。
そこで、母モニカの信仰ということに限定したうえで、お話をいたします。
★ モニカが23歳のときにアウグスティヌスが生まれました。
彼女の家庭生活は惨めなものであったようです。 夫は天地の創造主なる神を信じて
いなかった男で、不道徳な乱行を重ねて家庭を顧みなかったそうです。
激しい気性の持ち主で、妻モニカに対しても暴力を振るっていたようです。
そのような家庭環境の中で、モニカは息子アウグスティヌスに聖書を教え、神の道
を選ぶように祈り続けていたようです。
しかし、彼女の祈りにもかかわらず、アウグスティヌスは16歳のときに家を離れ、
アフリカ側の地中海北岸のカルタゴの学校に向かいました。 カルタゴはフェニキア
人の植民地でしたが、ローマに滅ぼされてローマの属州になっていた都市です。
カルタゴでラテン文学とギリシャ語を学び、修辞学も学びました。
そのあと、アウグスティヌスは地中海を北に横切り、ローマに向かいました。
ローマでアウグスティヌスは放蕩に身を落し、母の教えを裏切る生活を続けました。
17歳ですでに愛人との同棲生活を始め、その関係は15年間も続きました。
不道徳な同棲生活から息子アデオダタスが生まれています。
それだけではなく、母の願いも空しく、マニ教の二元論の信奉者となりました。
地方を経めぐり、いろいろな人生体験を虚しく重ねました。
その間にミランの司教アンブローズの説教を聴き、37歳で母の信仰に戻りました。
アンブローズによりバプテスマに与り、それまでのすべてを投げ捨て、ローマに戻り
ました。 母モニカをローマの外港オスティアに埋葬し、アフリカに戻りました。
息子アウグスティヌスが、ただ単に不道徳な生活に身を堕しただけではなく、こと
もあろうに、母の願いに反して、マニ教の二元論信奉者と成り下がったことに対して
モニカは絶えず跪いて祈り続けたそうです。 膝で跪いて祈り続けたのでした。
モニカの生涯を懸けた祈りが聞き届けられ、最悪の罪深い青年が世界史と教会史の
中で偉大な功績を残したクリスチャン指導者を生み出したのです。
★ 『神さま、あなたの忠実なしもべが、この私のために、あなたさまに向かって、
涙を流して祈り続けてくれました。 それは、この世の母たちが、自分の子供たちが
死んだときに流す涙の量よりも遥かにたくさんの涙をあなたのしもべが流して、この
私のために祈り続けてくれました。 そして、あなたさまは、彼女の祈りを聴き取り
給い、彼女の涙を無駄にはさせずに聞き届け給いました。 あなたのしもべ、わたし
の母が祈るとき涙が川の水のように流れ落ちて、彼女がどこでわたしのために祈って
くれても、あなたのしもべ、わたくしの母が祈るとき、彼女の膝の下の地面が濡れて
いるほどでした。 その祈りをあなたは聞き届け、決して無駄にはなさいませんでし
た‥』
★ アウグスティヌスは、のちの日に到って母モニカの祈りを覚え、このように書き
留めていたそうです。
どこの国でも、いつの時代でも、親というものは子供のことを案じるものです。
わが子の幸せを祈らない親はいないはずです。
しかし、私たち、主イェスの十字架を知る者は、神さまに祈ることができるという
特権を知っているのです。 これほど力強い武器はこの世にあり得ません。
子供の魂の行き先を真剣に祈らない親はいないはずです。 主イェスは子供たちに
とっても最も大切な救い主であるはずです。 そのことを私たち親が日々意識して、
親である私たちが最愛の子供たちのためにそのように祈っているのでしょうか?
「信仰のことは子供の自主性に任せてあります‥」でよいのでしょうか?
無責任きわまりないことのように思います。 イェスはどうでもよい救い主ですか?
最愛の子供たちが、神を知り、神に仕える者となること‥これは神さまから私たち
親に与えられ、託された、最高の特権と責任だと私は確信しているのです。
『母ぎみに勝る友や世にある?』 皆さんがその答を一番ご存知なはずです。