★ 箴言18章20節に『死と生とは舌に支配される』という言葉があります。
そして、「どちらかを愛して、人はその実を食べることになる‥」と語っています。
人を生かすのも、殺すのも舌の使い方次第である‥ということでしょう。
このこととの関係で、ヤコブ書1節~12節は、さらに具体的に舌の恐ろしさを警告
しています。 「言葉をショーバイ道具」としている教会の牧師たちへの厳しい警告
でありましょう。
幾人かの牧師が、これまた幾人かの牧師や宣教師から、意図的な言葉で、あるいは
思い遣りの欠けたことばで、はたまた激しい独断的な思い込みや偏見から出た攻撃的
な言葉によって深く傷ついたままでいることを、私は自分のこととして十分に知って
います。
留学中に、ある心ない宣教師が私のことを共産主義者だと移民局に密告したことで
大学院を途中で断念し、帰国せざるを得なかったことがありました。
東京神学大学で革マル派のゲバがあったときにも言葉の破壊的な恐ろしさを体験し
ました。 私たち自身の群れの中に於いても、時たま体験します。 母教会であった
代々木八幡教会がボストン運動という恐ろしい教会乗っ取り専門家によって言葉巧み
に教会が消滅に導かれ、教会の全財産が盗まれるという悲劇を目撃しました。
これらいずれの場合においても言葉による深刻な悲劇、悪魔の勝利となりました。
秋葉原の歩行者天国で、鋭い両刃のダガー・ナイフを持った男が通行人を無差別に
殺傷した事件が1年前に起こっています。 東大校舎内では卒業生が鋭い枝切り鋏を
分解した片刃で世話になった教授を刺し殺しています。
当然のことですが、重い刑が課せられることでしょう。
★ しかし、両刃の剣よりも鋭い「言葉という凶器」で、人の心に再起不能の瀕死の
重傷を負わせることがあっても、キリスト教世界では、「一切お咎めなし」‥という
事実がまかり通っていることは、誠に不可解なことです。 被害者は多いのです。
親が、その洞察力の不足から、最愛のわが子に、厳しい言葉を浴びせかけて、その
子の心に深い傷を与えてしまうことがあります。 私もそのような愚かな親の一人で
した。 二人の我が子に、そのことで、心の底から申し訳なかったと、常づね覚えて
いるのです
★ 次に別の種類の言葉の話、舌が人を生かしたという良い話を考えてみましょう。
ある日、税関で働いていた若い青年が解雇を言い渡されました。 ショックを受けた
青年は、すっかりしょげて、意気消沈して自宅に帰って来ました。 夫の姿の異常さ
に気づいた妻は優しく夫に声をかけ、夫から事情の説明を受けました。
そのとき、微笑みながら、山内一豊の妻がしたように、引き出しの中から、生活費
の一部をこっそり蓄えておいた小銭がぎっしり詰まった袋を取り出し、そうっと夫に
手渡したのでした。 そして優しく夫の耳元に囁いたのです。
『税関の仕事がなくなってよかったじゃないの! ここに少しばかりだけれど蓄え
があるから、あなたは、あなたがずぅ~っとやりたがっていらっした物書きの仕事に
専念なさいよ! その機会がとうとうやって来たっていうことですよ! 馘首された
からって、そんなこと、ぜんぜん気にすることなんかないのですよっ!』
★ 妻の優しい言葉に励まされたホーソン Nathaniel Hawthorne, 1804~1864 は、
ロマン主義の影響下で、ニューイングランドの清教徒社会を念頭に、有名な小説家と
なったのです。 象徴、寓意、倫理性に富む作品を遺した人物です。 「緋文字」、
「七破風の家」、「大理石の牧神」、あるいは「タングルウッド物語」などが知られ
ています。 舌が吐き出す言葉が、文豪を生み出した、よい一例だと思います。
舌は、諸刃の剣よりも遥かに恐ろしい殺人凶器にもなり得ます。
また、人を生かし、人を慰め、人を癒し、人を導く祝福の器ともなり得ます。
『私たちは、この舌で父なる主を讚美し、また、その同じ舌で、神にかたどって
創られた人間を呪っている。 同じ口から、讚美と呪いとが出て来る。
私たちの兄弟たちよ、このようなことは、あるべきでない。
泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴から噴き出すことがあろうか。
私の兄弟たちよ、無花果の木がオリヴの実を結び、
葡萄の木が無花果の実を結ぶことができようか。
塩水も、甘い水を出すことはできない』
ヤコブ書3章9節~13節