『確かな碇イカリ ・舫モヤウ ・錨イカリ 』

★  今朝の毎日新聞に、上海で建設中であった13階建ての大きなマンションが、その
基礎部分からポッキリと折れて、倒壊している写真を掲載していました。
  目に見えない基礎部分に何か重大な問題があったのではないかと、写真を見ただけ
ですが、素人の私にも容易に推測できました。  手抜き工事きだったのでしょうか?

  通常は目につかない、隠された基礎部分が、どれほど重要なものであるかを如実に
物語っているように思いました。  それと同じようなことが私たちの人生においても
言えるなぁ‥と、直感的に感じました。

  マタイ傳7章24節~27節で、主イェスが、家を建てるときの土台について警告を
発しておられます。  人生の確かな基礎を確保・確立しておくことが最も基礎的で、
肝心なことだと思います。  同じように、詩篇 127編も重要な警告です。

★  そのこととの関係で、個人的なことで恐縮ですが、心をゆるませてしまっていた
ことを告白いたします。  迫って来る月末を前に、今月はこの地上の生活のことで、
いささか心に戸惑いを感じていたということについてです。

  教会史をどこの学校であれ正規に学んだことのない私が、それでもこの五年かけて
米国教会史テキストを5冊執筆し、読んで頂ける方々に贈呈することができました。

  毎週の週報の執筆にも、教会史の原稿書きにも、今でもキャノワードという旧式の
ワープロを使っています。  ワープロでしたためた文章をフロッピーに収め、それを
パソコン用に変換し、週報を印刷しています。  パソコン用に変換した教会史の原稿
を、印刷して下さる茨城県勝田教会の福山次定先生に送っています。

  五番目の教会史の執筆を終えた途端に、それまで重宝して使っていました変換用の
パソコンが動かなくなりました。  代替品をと考えましたが、急速に進歩した最近の
パソコンには、もはやフロッピーを受け入れる機能が存在しません。

  そこで、長いこと忠実に原稿を書くのを手伝ってくれていた同志、毎週週報を書い
てくれた相棒の壊れてしまったパソコンを、修理させて再使用することにしました。
  修理させるよりも新品を買ったほうが安いことはわかっていましたが、今後も執筆
を続けることがわかっていますので、思いきって修理工場に送りました。

★  修理が終わり、元のように、私の執筆を無言で黙々と助け始めてくれています。
しかし、私たち夫婦の一ヶ月の老齢年金生活費の八割ほどが修理費として消え去りま
した。  実に厳しい選択と、辛い出費でした。  気分が少しへこみました。

  ほかの伝道者の生活状態のことを私は知りませんが、少なくとも私ども夫婦の生活
は、ほとんどの場合、結婚してからこん日までの50年近くのあいだ、経済的に極めて
厳しいものであったと思っています。  今回のパソコンの突然の故障とその修理費の
捻出は相当にこたえました。  「いささかの戸惑い」と書いたことの裏話です。

★  さて、ヘブル書6章13節~19節は、イェスが私たちの希望であり、私たちの魂の
錨である‥と伝えています。  主イェスが私たちの「希望の錨」であるということを
私が疑ったために、それで先週私が動揺した‥ということではありません。

  それよりも、いつのまにかイェスという錨と私を結ぶ紐がたるんでしまっていた‥
とでも説明したほうがよいのだろうと思います。  あるいは、いつの間にか、絶えず
吹きつける人生の風や荒波で錨からずれてしまっていた‥とでもいうべきでしょう。

★  そのような、心が揺さぶられていたとき、揺さぶられて、錨であるイェスと私の
あいだの紐がたるんでしまったのか、あるいは錨が定位置からずれてしまっていたの
に気づかなかったのか‥ですが、そのようなときに民数記23章19節を読みました。

  上記聖書箇所を読むことで軌道修正ができました。  たるんでいた紐を、しっかり
と確かにすることができたのです。  本来あるべき錨の定位置から、私がずれていた
ことに気づいた‥とでも言えるのかも知れません。  民数記23章19節の宣告です。

『神は人のように偽ることはなく、また、人の子のように悔いることもない。
神が言われたことで、それを行われないことがあろうか。
神が語られたことで、神がなし遂げられないことなどあろうか?』

★  これが私たちの希望の錨である神さまのお姿です。  不変不動の神さまです。
皆さんのことに関しましては、私にはまったくわかりません。  しかし、私の場合、
実にこの世俗的なこと、すなわち、生活費ということで、信仰の錨が、本来あるべき
定位置からずれてしまい、たるんでしまい、へこんでしまっていたのでした。

  皆さんにはそのようなことはないと思うのですが‥  少なくとも私の信仰は、その
程度のもので、実にお恥ずかしい次第です。

  しかし、もし皆さんが無意識であったとしても、人生の荒海でイェスという錨から
吹き流され、押し流されていらっしゃると気づかれたときには、錨からずれていると
気づかれたときには、イェスさまが、永遠に最も確かな錨、碇、舫であることを思い
出して、最も確かな錨に、再び押し流されることのないように、ご自分をしっかりと
結びつけて下さるようにお勧めを致します。

  聖歌 472番、新聖歌 248番、インマヌエル讚美歌 163番、そしてバプテスト教会の
  新生讚美歌 520番に掲載されている、『人生の海の嵐に』を讚美してみましょう。


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