『エマ・ムーディー』

★  『義しい者の結ぶ実は命の木である。  魂を得る者は賢者である』と欽定版聖書
の箴言11章30節は語ります。  『He that winneth souls is wise.』です。

★  米国教会史の中には偉大な説教者や讚美歌の指導者などがたくさんいます。
その一人に、会衆派教会員のムーディー Dwight Lyman Moody 1837~1899がいます。
  ムーディーは有名な讚美指導者サンキー Ira David Sankey 1840~1908と組んで、
米国内だけではなく、イングラント、スコットランド、アイルランドなどへも精力的
に福音伝道旅行を行ったことで有名です。  シカゴ市内には、ムーディー聖書学院を
収容している大きな建物が現在でも残っています。

★  ムーディーの生涯のベター・ハーフはエマ・レヴェル Emma Revellでした。
エマが初めてムーディー青年に出会ったとき、ムーディーは大都会シカゴで成功した
靴のセールスマンでした。

  ムーディーは、マサチューセッツのノースフィールドで、ユニテリアン信仰の傾向
が強い両親の間に生まれました。  ほとんど学校にも行けず、宗教的訓練も受けては
いませんでした。  ボストンで靴屋を経営していた叔父を頼って、17歳で家を出まし
た。  ボストンで会衆派(組合派)教会の日曜学校の先生によって信仰を得ました。
そののち、シカゴに出向き、そこで靴屋として成功することとなりました。

★  ムーディーの信仰生涯について、いずれ紹介することとして、ここではこれ以上
触れないことにしておきます。  エマ・レヴェル嬢のことに戻ります。

  ムーディーが初めてエマ嬢に出会ったとき、ムーディーはシカゴでいちばん沢山の
の靴を売りあげており、得た口銭はシカゴ市内で最高額に達していたそうです。
  その間に、プリマス会衆派教会の会員としてスラムで奉仕をし、日曜学校を始めま
した。  やがて福音伝道者になる決意をし、靴の商売と裕福な生活から決別したので
す。  エマ嬢はそのような決意をしたムーディーとの結婚に同意したのです。

  結婚後のエマは、定住できる住宅を持たず、夫と共に福音巡回伝道旅行に随行し、
夫を支え、会計を担当し、たくさんの事務や通信を引き受けたのでした。  訪問者も
多くありました。  難しい問題を抱えた訪問者の多くをエマが引き受けました。
  『自分が忙し過ぎるとき、客人をエマに託した。  エマは多くの訪問者のいろいろ
な問題を適切に処理し、その人の魂を主イェス・キリストに向かわせることに巧みで
あった。  私にはできないような場合でも、エマはその魂を、イェスを救い主として
受け入れるように導いてくれた‥』と、ムーディーは告白していたそうです。

★  ムーディーが生まれたマサチューセッツのノースフィールドに残る二人の墓地の
傍には、質素な木造の家屋がいまでも残っているそうです。  それはエマがその最後
の日々を静かに過ごした、何の変哲もない粗末な建物だそうです。

  しかし電話も電気もコンピューターもなかった時代に、二人は、数えることのでき
ないほどの魂を天国に送り続けていたのです。  二人が心の底から、喜んで、神の国
のために仕えたからです。  中途半端な、適当に、ほどほどに何とか‥という姿勢の
福音伝道者でなかったからです。

  『やらなきゃならないとわかっているのなら、とことんやらなきゃ駄目なのよ』‥
というのがエマの口癖だったのだそうです。  耳が痛いエマ夫人の忠告です。

  ほかの表現では、神さまに対して「冷たくもなく熱くもない、生温い私たち」への
警鐘でしょう。  黙示録3章15節~16節が注意している基本的な問題です。
    『魂を神さまへと導く者は賢い人である』‥と箴言11章30節は言います。