★ 今から70年も前のことです。 父を喉頭結核で先に天に送った私は、西陣の親戚
の家の居候となっていました。 その頃よく耳にした言葉に、『よそさまを見たら、
ぬすっとと思え‥』ということでした。 今も昔も人間は同じなのですね。
★ 1968年に初めて韓国を訪問したあと、1970年代初期、すなわち、朴正熈パッチョンヒ
軍事独裁大統領支配下の韓国をしばしば訪問していたとき、田中角栄総理の特命を受
けた大物政治家もソウルを訪問していました。
清渓川チョンゲチョン スラムを全面撤去し、跡地に地下鉄の車庫を作るという構想が浮上
していました。 日本製の地下鉄車両が導入されるということで、大きな鞄に現金を
いっぱい詰め込んだ日本の政治家がソウルを訪れ、帰国するときにも大きな鞄に現金
を入れて羽田に戻って行った‥という噂が絶えませんでした。
そしてそのころ、ソウルで私がしばしば耳にしていたことのひとつは、『日本人が
やって来れば、必ず悪巧みを持ってやって来る‥』という、情けないことでした。
そののちにも、私が、繁栄しているように見えた香港の裏町のスラムを訪れたとき
も、フィリッピンの「スモーキー・マウンテン」と呼ばれていたスラムに2週間ほど
滞在していたときにも、『日本人が来ると必ず悪巧みと一緒にやって来る!』という
ことでした。
『日本が侵略・占領していたときには銃を持ってやって来て、ひどいことをやった
が、戦争に負けた日本は、今度は商社マンが算盤と悪巧みを持ってやって来る‥』と
マニラで耳にしました。 『他人を見たら盗人と思え!』ということは、幼いころに
京都の西陣で聞いた、西陣だけの話ではなかったようです。 困ったことです。
★ オーストリア生まれの、極めて優れたユダヤ人思想家に、マーティン・ブーバー
Martin Buber, 1878~1965 という宗教家がいました。 「Ich und Du 汝と我」の
著作者です。 一読をお薦めします。 一読だけでブーバーを理解することは極めて
むつかしいかも知れません‥ 一読でも、三読でも、十読でも‥何度でもどうぞ‥
その「汝と我」の冒頭部分に、簡単に言いますと、人が他者と初めて出会うとき、
他者を、「You 汝」として見るのか、それとも「it それ」として見るかによって、
世界が大きく二つに分かれて行く‥と、そのように書き出してあったと記憶していま
す。 You として、人格を有する一人の個人としてつき合いを始めるのか、それとも
自分の欲望を満たすための道具や手段としての it として見るのかで、別々の世界が
開けて行く‥というようにブーバー博士が筆を進めてゆかれたと、そのように記憶し
ています。
★ ガラテヤ書6章は、三つの十字架を語っています。
人は、お互いに他者の重荷を担いあうべきであるとまず教えています。 次に、自分
自身の十字架を担う必要があると教えています。 三番目に、私たちは全員でイェス
の十字架を担って行くべきであると説いています。
私は清渓川チョンゲチョン で、あるいは疲弊しきっていた韓国各地の農漁村で、たくさん
の人々から、たくさん助けていただき、数多くの貴重な人生の基本的姿勢を学ばせて
いただくことができました。 どのように物質的に貧しくても、豊かな心を持ち続け
ることができるということを学ばせて頂きました。
水原近くに堤岩里チアムニという小さな農村があります。 かつてこの村で抗日運動が
起りました。 鎮圧に向かった日本軍官憲が、村人を教会堂に押し込め、外から火を
放ち、機関銃で全員を虐殺するという惨事を招いた所です。
1973年でしたか、私は家族全員を連れて堤岩里チアムニ教会を訪問しました。
教会堂を守っておられた老婆が出てこられ、私たちのために、当時は貴重品であった
砂糖をたくさん入れた砂糖水を全員に振る舞ってくださいました。 幼い子供二人に
は、もっと飲むようにと勧めてくださいました。 感慨無量でした。 クリスチャン
であるということの生き字引でした。 生きた信仰、愛と赦しの信仰の行為でした。
★ 私たちはお互いに仕えるために存在しているのです。 他人を見たら搾取の対象
と見るために生きているのではありません。 私たちが赴く所に悪巧みを抱いて行く
のではありません。 主イェスが十字架の上で示されたように、私たちも、信望愛を
抱いて行くのが当然なのです。 決して特殊なことではありません。 それが信仰の
基準、標準なのです。 仕えるために、信望愛を持って出かける必要があります。