『主を求めよ、正義を求めよ、謙遜を求めよ』

                               -ゼパニヤ書2章3節-

★  ゼパニヤは、紀元前7世紀のヘブライの豫言者の一人です。
普通、ゼファナイアと発音する男子の名です。  「神は隠れられた」という意味だと
思います。  私たちには馴染みの薄い聖書名です。  私たちが怠け者だからです。

  エレミヤやハバククと同期の豫言者と考えられています。
ユダヤの王で宗教改革を遂行した人に、英語ではジョサイア、日本語聖書にはヨシヤ
という人物がいます。  西暦前の 609年とか 640年などの年が大体の辞書に出ていま
す。  列王紀後書22章に登場しています。

  ゼパニヤは、このヨシヤと、列王紀後書18章~19章に登場して来るヒゼキヤという
ユダヤ人の王を介して遠縁にあたります。  この箇所も、語弊がありますが、ユダヤ
史の学びのためには、おもしろい箇所のひとつかと思います。
  日本語聖書ではヒゼキヤですが、一般に英語ではヘゼカイアと読み、男子名です。
「エホヴァは力なり」とか「エホヴァは力をお持ちの方である」という意味です。

  おそらくゼパニヤは、宗教改革を試みていたヨシヤ王の心を勇気づけていた豫言者
の一人あったと思われます。

★  『エホヴァを求め、公義を求め、謙遜を求めよ』とゼパニヤが訴えたのは、実に
今から 2,600年も前のことでした。  人類は、その時と現在とを比較してみますと、
想像もつかないような大きな進展を体験して来たと思います。

  けれども、私たちは、創世記3章でアダムとエヴァが、神さまの単純明解な警告を
いまだに理解していません。  もちろんゼパニヤの単純明解な訴えも、同じように、
全く理解できないままでいます。  罪が私たちの心を支配しているのです。

  三口隆幸さんが教えてくださった先週日曜日の交差点でのできごとも、そのような
罪の仕業を示しています。  こんなに人間が高度な知識と技術を取得しても、私たち
の心の中は、アダムとエヴァの時代と比べてみても、何も進化していないのです。

  詩篇27章4節の願いを人類が願うようになるのは、いつのことなのでしょうかね?

 『私は一つの事を主に願った。 私はそれを求める。 私の生きるかぎり、主の家
に住んで、主の麗しさを見、その宮で尋ねきわめることを』...です。 如何でしょう?