『このいと小さき者に為したるは、吾に為したるなり』

                         -三口隆幸さんからの連絡に思うこと-

★  嘗て世田谷八幡山のハウス・チャーチのメンバーであった三口隆幸さん、アジア
の貧しい人々に対して、豊かな愛情で接して来られた、貴い仲間の一人です。
  ご自身も厳しい人生を歩んで来られましたが、繊細で豊かな愛情と信仰の持ち主で
いらっしゃいます。  長くお付き合いを頂いており、感謝している仲間の一人です。
現在は埼玉県春日部市藤塚にお住居です。

  先日下記のようなご連絡を頂きましたので、ご紹介をいたします。

  それによりますと、24日の金曜日に車を運転されていた時、車の往来が激しいある
交差点前の道路が普段と違って渋滞していたそうです。  白い杖を持った一人の盲人
男性が交差点の真ん中あたりで立ち往生されている姿を発見されたのだそうです。

  その盲人の前後を、多くの車が、われ関せず‥で素通りしていたそうでが、途方に
暮れていた盲人に誰も手を貸さなかったようです。

  危険な場所で身動きできない盲人は、運転手らにとって、疎ましい存在以外の何者
でもなかったのでしょう。  困り抜いている盲人を誘導して、交差点を渡らせてあげ
るということすらできない運転手たちの姿を見て、そこには人間的な姿がない‥と、
そのように三口さんは感じられたようです。

  不幸を背負った盲人よりも、もっと遥かに不幸な事実は、その盲人に対して無関心
を装い、愛を注がない、注ぐことができない運転手たちと、この光景を目撃していた
周囲の人たちであると、そのように三口さんは感じられたそうです。

  車を下りた三口さんは、盲人に近づき、無事に交差点を渡らせてあげたそうです。
恥ずべきことは、困っている人に対して無関心でいることだ‥と、三口さんは感じら
れたそうです。

  『私たちは、この世に在って、光りのないところには光りを、愛のないところには
愛を、希望のないところには希望を与え続けなければならない‥と、そのように聖書
から教えられています。
  それは、私たちの罪を償うために、いばらの道を突き進まれたイェス・キリストの
思いであると思うのですが、多くの人は、イェス・キリストのその思いから遥か遠く
離れてしまっているような気がします』‥と、そのように結んでありました。

  『おおよそわが弟子たる名の故に、この小さき者の一人に冷ややかなる水一杯にて
も与ふる者は、誠に汝らに告ぐ、必ずその報いを失はざるべし』マタイ傳10章42節