『小さなパウロと怪力サムソン』

★  私どもが結婚してから、もう少しで、50年になりましょうか‥
その間に3百頭を越える、悲しいいろいろな事情を背負った犬どもを保護しました。

  その多くが大型犬でした。  大型犬は引き取り手が少ないという事情があります。
シェパード、グレート・デーン、セント・バナード、ゴールデン・リトリーヴァー、
ラブラドール・リトリーヴァー、ハスキー、マラミュート、グレート・ピレネーズ‥
だのと、40頭以上の大型犬がやって来ました。  大型犬の保護は敬遠されがちです。

  そういう大型犬の中でも、特に大きかったのは、最近故人となった或る有名な男優
が、結果的に飼育を放棄して、行く先を失った超大型犬のニューファンドランド犬が
いました。  ベアーという名がついていた、文字通り熊のように大きな犬でした。

  どうやらベアー君が幼犬であったときに、犬としての健康管理への配慮が致命的に
欠落していたようで、病弱のまま、ブヨンブヨンに太った犬となってしまい、皮膚病
と心臓病と循環器系等に疾患を持ったまま、男優にベアーを紹介した業者を介して、
私どものところで最終的に引き取るということになりました。

  ある日曜日、いつも順子さんが提供しています公同礼拝後の愛餐会の最中に、窓越
しに、目の前でベアーは心臓発作で突然死しました。  外見だけは「デッカイ犬」で
したが、実際には病弱な犬でした。  芸能人たちの犠牲犬だと私は思っています。

★  いつものように前書きが長くなりました。
大型犬のわりに弱虫だったベアー君との関係で思い出したことがあります‥

  東洋書林と原書房の手によって発売された、ロナルド・ブラウンリッグ著作の邦訳
『新約聖書人名事典』を開いて使徒パウロの21頁に亙る詳しい説明文を読みました。

  冒頭にパウロの紹介があり、ラテン語で「小さい」という意味だとあります。
使徒パウロがいなければ、キリスト信仰はこんにちのような世界的な偉大な宗教には
とうていなれなかったものと私は思うのですが、そのパウロの名の意味は「小さい」
「スモール small」だというのですから、衝撃的な意味の名だと思いました。

  あの「小さい」者が、全世界の歴史や文化を根底から揺り動かした「偉大な」者で
あるということは、驚嘆であり、賞賛に値すること以外の何物でもありません。

★  そうしますと、それでは聖書が語る「デッカイ人」とは誰なのか‥ということに
なります。  そして私はあのヴィクター・マチュアーVictor Mature (1913?~1999)
が演じた映画「サムソン」を直感的に思い出しました。  美男子で筋肉隆々の男優が
演じた旧約聖書物語です。  「サムソンとデリラ」という題だったかも知れません。

  サムソンとは、ヘブル語で「(小さい)太陽の人」という意味だそうです。
士師記13章から「サムソン物語」が始まります。  まことに人間臭い物語です。

  余談ですが、サムソンが屈強で、頑強な怪力男だということで、サムソン派とか、
サムソン系とでも言えばよいのでしょうか、世界的に有名な旅行用スーツ・ケースに
サムソナイトという旅行鞄があります。  実にじょうずに名づけたものです。
ユダヤ系資本ではないのかな?‥とすら考えたことがないわけではありません。

  そのサムソン青年、頑丈といいましょうか、屈強な肉体の持ち主です。
戦闘能力や策略にも優れた、強い青年でした。  士師記を読む者の心を沸き立たせま
す。  しかし私と同じように、神さまがお創りになった美しい女性に対しては、実に
弱い青年士師でした。  (神さまのせいにしているわけではありません。  為念!)

  たくさんの女性たちが次から次にサムソンの前に登場して来ます。
そして16章4節で、デリラという女と出会い、その出会いがサムソンの運命を決定的
なものとしてしまいます。  物語を映画が取り上げるわけです。  実におもしろい、
いかにも人間臭い主人公を中心とする聖書物語です。  一読をお薦めします。

  デリラと日本語聖書には書かれていますが、英語ではデライラ Delilahと発音し、
意味は、ヘブル語でデリケイト delicate 、繊細・優雅な女性という意味です。
絶世の美女であったはずです。  それが証拠に、欧米女性の中にはデライラという名
をつけた女性が多いように思います。  娘を優雅な人にと親が願ったからでしょう。

★  美男子で、多くの才能に恵まれていた、怪力の持ち主サムソンでしたが、そして
美女に弱い好青年でしたが、サムソン自身のほんとうの弱さは、女性に対して弱かっ
たというのではなく、サムソン自身にあったと思われます。

  怪力とカリスマの「ビッグ・マン」が、実は「スモール・マン」になってしまった
のは、彼自身の内に秘めていた彼自身の弱さであったのです。
サムソンは、誘惑に対して、余りにも弱過ぎたのでした。  ここに悲劇の源があった
のです。  「ビッグ・マン」が「スモール・マン」に転落した理由は、サムソン自身
の中にあったのです。  聖書が語る自己規制することを学ばなかったからです。
御霊の実(ガラテヤ書5章22節以下参照)を結ばせる方法を学ばなかったからです。
  自己責任を否定し、欲情に身を任せ、自己制御を拒み、善き師、善き友を選ばず、
好き放題の自滅の道を選んだからです。  神を畏れなかったと言えましょう。

  その一方で、「スモール」であったサウロ、クリスチャンたちを迫害する専門家で
あったサウロでしたが、復活されたイェスに出会ったときから、天下をひっくり返し
た「グレイト・マン」使徒パウロに変わったというのは、彼自身のうちに、イェス・
キリストという救世主が宿ったからでした。

  イェス・キリストに個人的に出会った使徒パウロは、『自分のからだを打ち叩いて
服従させる』と、コリント前書9章27節で述べています。  当時のコリントの周辺で
盛んであったボクシングの激しい訓練を念頭に、そのように自己制御の姿勢を語って
います。  ここに、「スモール」と言う名の使徒パウロと、落ちぶれてしまった嘗て
の巨人サムソンとの違いの秘密が隠されているようです。

★  罪だとわかっていることに対しては「ノー」が言え、正しいことには「イェス」
が言え、義しいことに対しては「私はやる!」と言えることが自己制御・自己規制・
セルフ・コントロールだ‥とつぶやいた人がいたそうです。