『新緑は蘇りの確かなしるし』

★  ここ二、三日の間にたくさんの雨が降りました。
少しも外に出られない犬たち、相当にフラストレーションが蓄積していたようです。

  しかし今朝は、まばゆいほどに太陽光線が降り注いでいました。
降雨中には気づきませんでしたが、その間に随分と新緑が伸びていたようです。

  雨水ですっかりきれいに洗い清められた木々の新緑が、太陽光をいっぱい浴びて、
圧倒的な美しさで眼中に飛び込んで来ました。  神さまの創造の業の圧倒的な美しさ
と、それを誉め讚える被創造物の素晴らしさを改めて強く教えられました。
実に豊かな、美しい朝を迎えることを許されました。  感謝でした。

★  そこで思ったのです。  海抜1、050mの原生林です。  地球温暖化が叫ばれて、
25年前の入植時と比較しますと、確かに厳寒期の気温が数度は高温化しています。
それでも、今冬の最低気温は零下10数度でした。  周辺の土地は凍土でした。

  そして、コンクリートのように硬く凍土化していた死の地面の下で、何も生存する
ことが許されないような厳寒期にあっても、樹木の根も、草花の球根も種も、じっと
命の蘇りの春の到来を忍耐強く堪え忍んで待っていたのです。

  死が支配する厳寒期に、樹木の根も、草花の球根も種も、もしそこで死んでしまっ
ていたならば、遅い春の到来を待つことも、花を咲かせることも、新緑を伸ばすこと
もできなかったはずです。  雨水に洗われても、死んでしまっておれば、美しい新緑
の輝きを今朝のように無言の内に語り告げることはできなかったはずです。

★  エペソ書2章5節~6節は、私たちはかつて罪の内に死んでいた者であったと、
そのように語ります。  その「死んでいた私」を、神はその絶大な愛をもって、恩寵
の内に、「イェス・キリストと共に復活させてくださった」だけではなく、「イェス・
キリストと共に天上で座する者としてくださった」と説明しています。

  死んでいた者が、キリストの復活に与り、生きた者とされ、そしてさらに神の子と
して天上に居る者、神の家族の一員としてくださったのだ‥と説明しているのです。
そして、その故に、私たちは後世にまでも残る、神さまの素晴らしい名作品であると
7節~10節は説明しているのです。  驚くべき恩寵の業によるものです。

★  死が支配していた沈黙の凍土から、新しい春の到来と共に蘇って来た樹木や草花
が、その復活の力と喜びを、新緑の輝きのなかに示しているように、遅い春の到来を
開花することで喜んでいるように、樹木が新しい命を思いきり讚美しているのなら、
神さまの一方的なご恩寵によって、罪の内に死んでいた私たちが、キリストの復活に
よって生きた者とされたのであれば、私たちも私たちの感謝と喜びを、樹木や草花の
ように、いきいきとして示せるはずだと思うのです。

  新しい命、永遠の命に生きる者、生かされている者であれば、それでは、何かしら
私たちの心からの喜びを、私たち自身の在り方によって示すことが出来るはずです。
  生きた者は、いや、生かされている者は、それでは、その生きている決定的な喜び
のしるしを示すことができるはずだと思います。

  なぜなら、私たちは神さまの優れた名作品であるからです。
私たちの日常生活は、生きた者としてのしるしを示していると言えるのでしょうか?

 


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