★ 1968年に知り合ってからの信仰の良き兄弟、金世福Kim, Seibok さん、末期癌の
ため先週初めに退院許可が出て、現在フロリダ州タンパ近くの自宅で静養中です。
本人の苦痛は然ることながら、看取る夫人と長女、長男の苦悩を思いながら、遠く
離れた日本で、これまた祈ること以外に何もできないという現実の辛さの中で、私も
先週を過ごしました。 そして、改めて、ヨブ記を読み始めたのでした。
★ 私が間違っている可能性のほうが多いのだろうと思いますが、多くの方がヨブ記
をお読みになっていないのではないかと、そのように失礼な憶測をしています。
このさい、あらためてヨブ記に目を通してくださると、人生の基本的に大切なこと
をたくさん学んでいただけるのではないかと、そのように思います。
第1章と第2章には、神の子たちが神を訪問して来たことを書いています。
そして、実に興味深いことですが、神の子たちの中に混じって、サタンも居たと書い
てあります。
そしてサタンが言うのです。 ヨブが義しい人であり得るのは、神がヨブを特別に
愛し、祝しているからではないのか‥と、そのようにサタンは神に問いかけます。
ここから聖書の中でも一番古い書と言われているヨブ記が始まります。
話の展開と共に、ヨブはさまざまな苦難に遭遇することとなります。
しかしその都度、「ヨブは罪を犯さず、神に向かって愚かなことを言わなかった」と
聖書は説明しています。
1章21節、2章10節、5章8節~9節、17節、6章10節‥と、ヨブは逆境の
ド真ん中にあっても罪を犯さず、神を呪わず、神に寄り頼むことを忘れませんでした。
どんなことがあっても、「しかしなお私は主の前で私の道を守り抜こう」と決意し
ています。 13章15節にそのような決意が示されています。
何千年か前のことですから、現在と違って筆記道具など極めて乏しい中に在って、
そしてほとんどの人が字を読み書きできなかった環境の中にあって、恐ろしい逆境の
苦悩の中にあったヨブは、19章23節~24節で、自分の苦悩とそれに対する自分の
信仰の告白を、パピルスに書き留めることと同じように、いや、それ以上に、鉄筆か
鉛塊で岩に刻みつけたいと、切々と告白しています。
この箇所は、ヘンデルのメサイヤの中にも採り上げられて美しく歌われており、
25節27節のヨブの切実な、感動的な信仰告白です。 あとはご自分でお読み下さい。
★ ヨブの信仰には遥かに及びませんが‥
ハバクク書3章17節~19節に記されて居る信仰告白文を私は読みます。
主としてソウルの清渓川チョンゲチョン スラムでの奉仕のあと、それに伴う清算をして、
そのために世田谷八幡山の母の自宅を売却し、この寒村僻地に移住して来てから
25年が経とうとしています。 仏教が深く村人のあいだに根づいている土地柄です。
大都会の教会がしばしば口にする、いわゆる「教会成長」という尺度ではとうてい
計ることができないような宣教不毛地です。 ハバクク書3章17節が言うような土地
です。 実践的なアメリカ人にはとうてい不可解な土地であり、そこに踏み止まって
の、可視的面では成果のほとんど皆無の不毛地での福音宣教です。
しかし、ヨブが信仰告白をしたように、ハバクク書3章18節~19節が告白して
いるように、そして樹が、土地が悪いからといって引っ越しをしないで、むしろその
根をさらに深く地中に伸ばして成長するように、私たち夫婦は、主の恩寵の内に在っ
て主イェスの十字架のできごとと、主イェスの復活と、主の再臨を伝えて行きたいと、
ただひたすらそのように願っているのです。 それ以外に何も望みはありません。