十字架はローマ帝国領土内僻地で、奴隷や身分の低い者、或は非ローマ市民で重大
な犯罪を犯した者に課せられた残忍な処刑方法だったと聞いています。
紐で十字架に死刑囚を縛りつけたまま、或は手足を釘で刺してぶら下げたまま放置
し、餓死させたとも聞いています。 死に絶えるまで群衆の目に晒す目的で街の外の
小高い丘の上が選ばれる事が多かったようですが、そこは同時に、上昇気流の激しい
場所でもあり、脱水状態に陥り、喉がカラカラに乾き切るような状態で餓死するよう
に仕向けたようです。 時として、苦痛を倍加させながら同時に死を早める為に脚の
骨を折る事もあったようで、ヨハネ伝19章31節以下にそのような言及があります。
十字架型以外にもT字架もあったようですし、後になるとX字架型も使われたそう
です。 清里の清泉寮のはX型で十字架を斜めにした形です。 使徒アンデレが架け
られた形だと言われています。 『主イエスさまと同じ形では申し訳がないし、使徒
パウロは同じ理由から逆さまに磔りつけられたのだから、自分は斜め横型の十字架に
してくれ』とアンデレが申し出た...とされています。 参考迄にですが、英国国旗は
主イエスさまの十字架とアンデレのX型十字架の二つのを重ねたものだそうです。
次に、十字架の処刑史ですが、ざっと調べたところでは、アッシリヤ、ペルシャ、
カルタゴ(フェニキヤ)エジプトなど、主としてセム族系の国で用いられた死刑執行
の残忍な方法であったようで、最初は棒杭・棒柱から始まったと言われています。
主柱となる杭は、私たち日本人には一辺が約40糎程の太さで長さが4米前後の頑丈
な材質の大黒柱のような棒杭とでもいえば分かり易いのかも知れません。 この柱に
革紐で囚人を縛りつけて刑の執行をしたようです。 また、主柱には体を休める為の
一種の鞍のような木片がついていたという学説もありますが、足を支える小さな木の
台があったのかどうかに関しては疑問視する学者もあるようです。
固い地面には主柱を立てる為の1米前後の深い穴が杭のサイズに合わせて予め掘っ
てあったとも聞いていますから、同じ柱を何度も何度も使ったものと推定します。
それですから、死刑囚は自分が刑を受けるその主柱に組み合わせる横木だけを自ら
運ばされたようです。 運ばされたと言っても、両手で脇に抱えて運んだというより
は、両手首を横棒の両端に縛りつけられたまま、横棒を首の後ろの肩に乗せたままの
姿で運ばされたのだと思います。 この不安定な姿勢で引きずり歩くだけでも相当な
苦痛だったのでしょう。 前のめりに倒れても自分を支えるものは何もありません。
横棒と簡単に言ってしまいましたが、主柱の長さと太さから考えてみても、また、
東洋人よりも腕の長いコーカサス系やセム系の男が広げる両腕の長さから考えてみま
しても、或はまた囚人の全体重を支える為の釘の太さから考えてみましても、横棒は
一辺25糎から35糎四方の重い頑丈な角材でなくてはならない筈ですし、長さは少なく
とも2米から2米50糎前後はあったものと思います。 腕の短い東洋人の男でも両手
の幅は一間、即ち 180糎前後はあります。 この角材に両腕を縛られたままで処刑場
まで運ぶ厳しい刑罰です。(尤も、主柱は処刑の後に焼却したという説もあります)
もしこれが処刑囚が受ける刑罰の一部だとしますと、マタイ伝27章32節、マルコ伝
15章21節、ルカ伝23章26節で描写されていますように、主イエスだけが重い十字架を
自ら背負わさせられ、長い道のりを歩かさせられたという事になりますので、イエス
にだけ特別に余分な苛酷な肉体的疲労を与える為に、また、侮辱から来る余計精神的
苦痛を科す目的があったのではないのかな...と、そんな事を私は推測しています。
さて、十字架に囚人を架けて殺すという処刑方法は、その残忍性から古い時代から
用いられて来たと既に述べましたが、更に具体的に考えてみましょう。 出来るだけ
囚人を苦しめる事と目撃者たちに強い印象を与える事を目的としたのでしょうから、
まず地面に倒して置かれた主柱に囚人が担いで来た横棒を組み合わせて十字なりT型
を作ります。 そしてその十字架に囚人を押えつけて乗せ、両腕を横棒に革紐で縛り
つけるのです。 処刑中にもし雨が降ってその後で再び太陽が出て来ると革紐は乾燥
し始め、引き締まり、結果的に囚人の手首に食い込むようになるのです。
主イエスの場合には、恐らく紐で手首を縛った上で、太くて長い鉄製の釘を手首に
打ち込まれたのでしょう。 横棒に両腕を縛りつける時、左右に腕をピンと伸ばした
儘で縛りつけるのではなく、両腕が上下に少し動くような余裕を持たせた上で、刑の
執行人たちは手首の柔らかい所を狙って太い釘を打ち込んだのです。
その場合にも、左右に二組に別れた執行人たちが両腕に釘を同時に打ち込むのでは
なく、囚人の苦痛を増す為に、見物人への見せしめ目的もあって、どちらかの手首に
釘を先ず打ち込んだ後で、今度は反対側の手首を貫通して太い頑丈な主柱へと鉄釘を
打ち込んだのです。 麻酔は使いませんから激痛で気絶してもおかしくありません。
(あなたの創造力を全部使って主イエスのお苦しみを想像してみて下さい。)
釘を打ち込まれた囚人が痛みでもがき絶叫する中で十字架が太いロープで引き上げ
られ、十字架の下の部分が予め掘られた穴の中にドスンと落とされるのです。 その
時の衝撃はそのまま囚人の手首の傷に伝わります。 手首だけで全体重を支えている
のですから手首の傷は次第に大きく開いて行きます。 想像するだけでも残酷です。
次に執行人たちは囚人の左足の上に右足を重ね、両足の甲羅に太い釘を打ち込むの
です。 私の推測では釘の長さは少なくとも40糎から50糎なければ両甲羅を突き刺し
て主柱に打ち込めないと思いますし、太い釘でなければ激しい痛みで暴れてのたうち
回る囚人の体重を支えられないでしょう。 両膝の部分は縛りつけてないので自由に
動けるようにわざとしてあります。 こうして囚人は十字架へ架けられたのです。
後は、想像を絶する苦痛の中でジリジリと囚人が弱り、遂に死に到るのを待つのみ
です。 これだけを考えただけでも私たちには耐え難い事な筈です。
釘付けされた囚人の両手首の傷には彼の体重の総てが掛って来ます。 そして体は
下の方に少しずつ垂れ下がります。 激痛を越えた痛みが手首に加えられます。
痛いので暴れますから傷口は益々拡大し、身体は下にと垂れ下がります。 激痛は彼
の全身を走り、脳に達し気絶を招きます。 然し、体重が身体を下に引きずり落とし
ますから両手首に掛る激痛で再び正気に戻ります。 身体中の神経を走る激痛で麻酔
なしの身体はのた打ち回るのです。 その動きが肉を裂き、更なる激痛を招きます。
両膝を縛らない理由がここにあります。 身体を動かせるようにしておいて囚人に
暴れる折りを与え、それによって更なる激痛を加える目的があるのです。 中枢神経
に激痛が走りどうしです。 両手首と両足を釘付けにされた身体は腰の辺りの自由な
部分を中心にして十字架の上で海老のように踊るのです。 気絶と正気との間の往復
が繰り返され、ジワジワと、そして急速に体力を喪失させてる残酷な処刑方法です。
極度の、焼けつく炎のような激痛が指先から手首に、そして両腕に、更に脳神経へ
と走ります。 両手首を貫通している太い釘とその傷口は絶え間なく中枢神経を刺激
し続け、正中動脈や静脈の働きを妨害します。 身体の重みで垂れ下がる自分自身と
それから来る激痛から自分を救う為に無意識に囚人は身体を上に持ち上げようとしま
す。 それをする為には、釘が突き刺さったままの両甲羅で自分自身の身体を上へと
押し上げながら、同じように釘が突き刺さったままの両手首で身体を引き上げるしか
方法がないのです。 破られ砕かれた甲羅と手首の中を走る神経に激痛が走ります。
体力を殆ど使い果たしている囚人には身体を上に引き上げる力は残っていません。
気絶も出来ない程の激痛です。 やがて両腕は疲れ果て、痙攣が総ての筋肉を襲い
ます。 休む事のない激痛が次から次へと津波のように波打ちながら続きます。
こうして麻痺した筋肉は垂れ下がる身体全体を上に持ち上げる事をしなくなります。
両手首だけで万歳の姿勢で垂れ下がってしまって、自分の身体を上に持ち上げる事
がもはや出来なくなったという事は、空気を吸入する事が出来ても吐き出す事が出来
なくなるという事です。 つまり呼吸する事が出来なくなるという事なのです。
このような状態に陥った囚人は殆ど意識を失いつつあるでしょう。 それでも全身
の力を振り絞って、無意識にでも、自分の身体を上に持ち上げて肺に空気をもう一度
でも吸入し、そして最後の力を出して、肺から空気を吐き出そうとするでしょう。
そのような状態が続くに従い、肺や血流の中には二酸化炭素、即ち炭酸ガスが溜り
始め、これが痙攣を多少は抑圧する事になります。 断続的な痙攣の中にあっても、
殆ど意識を失いかけている囚人は、それでも何とかして身体を上に持ち上げて新鮮な
酸素を吸おうともがくのです。
終わりなく続く激痛に身体をくねらせたり、撥ねたり、もがいたりし、それら一連
の激しい動きが更なる痛みを招き、それがまた身体各所に絶え間のない痙攣を生じ、
そして気絶と仮死状態へと誘い込み、突き刺されて、ずたずたに切り裂かれた手首か
ら肩にかけての筋肉は、それでも固い頑丈な十字架の主柱の上で狂ったように身体を
揺り動かすのです。 絶え間のない上昇気流は囚人の身体の脱水状態を加速します。
急速に身体から多量の水分や血潮が抜け去り、そして最後に近い状態を招きます。
それでも別の新たな苦痛が無意識状態に近い囚人を襲うのです。 垂れ下がった身体
は呼吸困難を呼び、心臓や肺臓に過度の負担を掛け、心嚢には徐々にリンパ液が溜り
始め、それが心臓を圧迫するので肺臓にも深い痛みをもたらすのだそうです。
圧迫されてしまった肺臓と心臓はそれでも何とかもがいて呼吸をし、のろのろで
あっても血液を体内に送り込もうとポンプ・アップを試みるものだそうです。
極限状態に置かれて今まさに崩れ去らんとする肺臓は、それでも狂気じみた努力を
して、少しでも新鮮な酸素を呼吸しようと最後まで努力をするものだそうです。
空気を吸い込む時のガーッというような断末魔の音が不気味に響きます。
然し、づたづたに切り裂かれた肉体に入って来るのはもはや新鮮な空気ではなく、
あの恐ろしい、冷たい死が引き裂かれた肉体の繊維の中に潜り込んで来ているのを感
じるだけなのです。 こうして遂に囚人は死に己を委ねるのです。
聖書はこの事実を淡々と述べています。 マルコ伝15章24節には『彼らはイエスを
十字架につけた』とあり、コリント前書15章3節には『キリストは私の罪の為に死な
れた』とあります。 ロマ書5章の中にもキリストの贖罪の死が説明されています。
このように残忍な処刑方法は、盗賊や殺人犯や暴行魔にだけ適用されていたものと
言われています。 それなのに、盗賊ではなくむしろ愛を与え続けたイエスさまが、
殺人犯でもなくむしろ人を生かすお仕事をされたイエスさまが、私たちの身代わりと
なって引き受けて下さったのです。 二人の極悪囚人の間に立てられた十字架の上で
私たちの罪の執り成しをしながら贖罪の死を遂げて下さったのです。
十字架の上で示された主イエスの愛は、何と素晴らしいものなのでしょうか?
それに引き替え、私たちは主イエスの苦悩を理解せず、十字架の痛みなどは想像だに
した事がないというのです。 何と恐ろしく身勝手な私たちなのでしょう。
主の聖餐に与る時、もう一度、この主の十字架の上でのお苦しみを深く黙想してみ
る必要があるでしょう。 主のみ頭の先からみ足の先までを走る激痛を覚えながら、
それが私の罪がなした業だと学ぶ必要があります。 悔い改める必要があります。
黒人霊歌の中に Were you there when they crucified my Lord ? という曲があり
ます。 『君もそこにいたのか』で、讚美歌II集177 と聖歌 400がそうなのです。
あなたと私がそこに居たのです。 そしてあなたと私の罪が、私の手が、あなたの
手が、主イエスの両手首と両足の甲羅にあの太い釘を打ち込んだのです。 どのよう
に主にお詫びを申し上げたら良いのでしょうか? 唯ただ罪を悔い改める以外にあり
ません。
『あなたが口でイエスを主と告白し、あなたの心で神さまがイエスを死者の中から
よみがえらせて下さったと信じるならば、あなたは救われる...』とロマ書10章9節は
勧めています。 イエスさまを救い主として心の中にお招きする必要があります。
讚美歌 136、聖歌 155、 437 の歌詞を噛み締めながら讚美しましょう。
私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んで下さったことに
より、神は私たちに対する御自身の愛を明らかにされておられます。
神は罪を知らない方(即ちイェス)を私たちのために罪とされました。 それは
私たちがこの方に在って神の義となるためです。
なぜ生きている方を死人の中に捜すのですか? 復活されました!
(上から順にロマ書5章8節、コリント後書5章21節、ルカ伝24章5節~6節)
ハレルヤ! 感謝です! 讚美歌 146
2003年3月21日
(注 以上は八ヶ嶽南麓ベタニヤ集会用に毎週発行している「ベタニヤつうしん」と
いう週報に3年前の春に掲載した文章を改めてご紹介するものです。)
太平洋戦争敗戦直後に私は盲腸炎を患い旧大日本帝国陸軍軍医殿の執刀で切開手術
を受けたことがあります。 荒っぽい軍医殿で医療品の極度の不足もあり、痛い手術
でした。 醜い傷跡がそのまま残っています。 外科手術は大嫌いです。
同じく敗戦後に旧制の明治学院高校を卒業して東京獣医畜産大学に入学し、解剖学
の授業がありました。 麻酔薬の不足から野良犬の活体解剖があり失神しました。
ますます外科手術が嫌いになり、獣医学校卒業を前に中退しケンタッキーに聖書を
学びに転校しました。
1954年~1961年の赤貧留学生活を経て帰国、翌年に或るおかしな交通事故に巻き込
まれて左腎臓を失いました。 その時にも適切な抗生物質がなく、治癒が難航し、
大量輸血でC型肝炎ウイルスを得ました。 更に酷い傷跡が残っています。 そして
現在でも常に左脇に鈍痛と違和感があり、これは私が死ぬまで絶えず私を悩ませるも
のです。 贖罪主イェスさまの十字架上の痛みを記憶させて頂くために神さまが私に
与えて下さった特別な恩寵だと考えています。
交通事故は熊谷で起きました。 その日の朝、軽井沢でホイートン神学大学教授の
テニー博士が「主イェスの十字架の苦痛」の話しをなさり、それを伺ってから帰路に
ついたのでした。 そしてその日の午後に独りで手術台の上に乗せられたのでした。
次に数年前に脱腸で再び手術台の上に乗りました。 全身麻酔といっても医師たち
の会話は聞こえて来るものです。 その時も主イェスさまの十字架を想いました。
このような個人的な外科手術の体験が重なった人生を経た者ですので、どうしても
十字架上の主イェスの肉体的・精神的・心理的・信仰的なお苦しみの一端を推測して
しまいます。 けれども、ロマ書8章28節が語るように『総てのことは相働いて益と
なる』のです。
ここに改めてご紹介致します拙文が、主イェスに対する皆さまがたの感謝の思いを
更に深められるのに役立つことを心から願っております。 とりわけ、皆さまがたが
聖晩餐に陪席なさる時に、主のお苦しみと愛の深さを、皆さまがたがより善くご理解
なされるようにと心から願うものです。
《讚美歌 136 聖歌 155 O Haupt voll Blut und Wunden に就いて》
追加情報です。 主イェスの十字架上の受難を表現するに相応しい讚美の歌として
いろいろなものがありますが、讚美歌 136番・聖歌 155は特に有名だと思います。
『血潮したたる主のみかしら』(讚美歌)にせよ『いばらの針』(聖歌)にせよ、
この荘厳な讚美歌はバッハの受難曲によって多くの人々によく知られています。
英語では" O Sacred Head, now wounded "としてよく知られています。
この讚美詩は原文のラテン語から直訳されたものだと考える人が多いようですが、
実は獨逸人で敬虔な詩人パウロ・ゲアハードが、クレルヴォーのベルナール Bernard
のラテン語で作詞した十字架のイェスに関する詩文をまず獨逸語に訳したものである
とされています。 しかし、この学説に対して疑義を抱く人も少なくないそうです。
ベルナールはフランス語読み、獨逸語ではベルンハルト、英語ではバナードです。
使役犬セント・バナードの語源ともなっています。 西方修道院制度の父とも呼ばれ
ているベルナール神父はフランス人で、優れたキリスト教思想家、神秘主義者として
も有名です。 基督者としての敬虔な品性や優れた芸術文化的才能の持ち主としても
秀でていますが、同時にそのことで、回教徒たちの手から聖地奪回を謳った十字軍を
賞賛激励したり、同じ基督教界の中で論敵を撃破するという理論家でもありました。
ベルナールの作詞したこの讚美歌は極めて中世期的な響きと修道僧的な薫りが漂う
ものです。 修道僧は十字架の数珠を使いながら祈祷していましたので原文の詩にも
そのような配慮がなされてあったのです。
即ち、私たちが現在讚美している歌集にはふつう四節しかありませんが、元来の詩
では十字架に架けられた主イェスの体を両脚、両膝、両手、両脇、胸、心臓、頭部の
七つに分けて考察し、主のみ体の各部分について更に五十行を割いて詳しく描写し、
それらのことを想い唱えながら十字架の数珠を手に黙想するように作詞されていたの
です。 また、私がバイオラ大学で習った時には、主イェス・キリストの体を十二に
分けて、修道僧たちは主イェスのお苦しみを想ったのだとの説明もありました。
七と言い、十二と言い、共にそれらは完全数を表しているからです。
いずれにせよ、そのような敬虔な黙想のために、時間をかけて主の十字架の苦悩を
記憶するために作詞された讚美詩です。 私たちも同様に心して讚美したいですね。
な犯罪を犯した者に課せられた残忍な処刑方法だったと聞いています。
紐で十字架に死刑囚を縛りつけたまま、或は手足を釘で刺してぶら下げたまま放置
し、餓死させたとも聞いています。 死に絶えるまで群衆の目に晒す目的で街の外の
小高い丘の上が選ばれる事が多かったようですが、そこは同時に、上昇気流の激しい
場所でもあり、脱水状態に陥り、喉がカラカラに乾き切るような状態で餓死するよう
に仕向けたようです。 時として、苦痛を倍加させながら同時に死を早める為に脚の
骨を折る事もあったようで、ヨハネ伝19章31節以下にそのような言及があります。
十字架型以外にもT字架もあったようですし、後になるとX字架型も使われたそう
です。 清里の清泉寮のはX型で十字架を斜めにした形です。 使徒アンデレが架け
られた形だと言われています。 『主イエスさまと同じ形では申し訳がないし、使徒
パウロは同じ理由から逆さまに磔りつけられたのだから、自分は斜め横型の十字架に
してくれ』とアンデレが申し出た...とされています。 参考迄にですが、英国国旗は
主イエスさまの十字架とアンデレのX型十字架の二つのを重ねたものだそうです。
次に、十字架の処刑史ですが、ざっと調べたところでは、アッシリヤ、ペルシャ、
カルタゴ(フェニキヤ)エジプトなど、主としてセム族系の国で用いられた死刑執行
の残忍な方法であったようで、最初は棒杭・棒柱から始まったと言われています。
主柱となる杭は、私たち日本人には一辺が約40糎程の太さで長さが4米前後の頑丈
な材質の大黒柱のような棒杭とでもいえば分かり易いのかも知れません。 この柱に
革紐で囚人を縛りつけて刑の執行をしたようです。 また、主柱には体を休める為の
一種の鞍のような木片がついていたという学説もありますが、足を支える小さな木の
台があったのかどうかに関しては疑問視する学者もあるようです。
固い地面には主柱を立てる為の1米前後の深い穴が杭のサイズに合わせて予め掘っ
てあったとも聞いていますから、同じ柱を何度も何度も使ったものと推定します。
それですから、死刑囚は自分が刑を受けるその主柱に組み合わせる横木だけを自ら
運ばされたようです。 運ばされたと言っても、両手で脇に抱えて運んだというより
は、両手首を横棒の両端に縛りつけられたまま、横棒を首の後ろの肩に乗せたままの
姿で運ばされたのだと思います。 この不安定な姿勢で引きずり歩くだけでも相当な
苦痛だったのでしょう。 前のめりに倒れても自分を支えるものは何もありません。
横棒と簡単に言ってしまいましたが、主柱の長さと太さから考えてみても、また、
東洋人よりも腕の長いコーカサス系やセム系の男が広げる両腕の長さから考えてみま
しても、或はまた囚人の全体重を支える為の釘の太さから考えてみましても、横棒は
一辺25糎から35糎四方の重い頑丈な角材でなくてはならない筈ですし、長さは少なく
とも2米から2米50糎前後はあったものと思います。 腕の短い東洋人の男でも両手
の幅は一間、即ち 180糎前後はあります。 この角材に両腕を縛られたままで処刑場
まで運ぶ厳しい刑罰です。(尤も、主柱は処刑の後に焼却したという説もあります)
もしこれが処刑囚が受ける刑罰の一部だとしますと、マタイ伝27章32節、マルコ伝
15章21節、ルカ伝23章26節で描写されていますように、主イエスだけが重い十字架を
自ら背負わさせられ、長い道のりを歩かさせられたという事になりますので、イエス
にだけ特別に余分な苛酷な肉体的疲労を与える為に、また、侮辱から来る余計精神的
苦痛を科す目的があったのではないのかな...と、そんな事を私は推測しています。
さて、十字架に囚人を架けて殺すという処刑方法は、その残忍性から古い時代から
用いられて来たと既に述べましたが、更に具体的に考えてみましょう。 出来るだけ
囚人を苦しめる事と目撃者たちに強い印象を与える事を目的としたのでしょうから、
まず地面に倒して置かれた主柱に囚人が担いで来た横棒を組み合わせて十字なりT型
を作ります。 そしてその十字架に囚人を押えつけて乗せ、両腕を横棒に革紐で縛り
つけるのです。 処刑中にもし雨が降ってその後で再び太陽が出て来ると革紐は乾燥
し始め、引き締まり、結果的に囚人の手首に食い込むようになるのです。
主イエスの場合には、恐らく紐で手首を縛った上で、太くて長い鉄製の釘を手首に
打ち込まれたのでしょう。 横棒に両腕を縛りつける時、左右に腕をピンと伸ばした
儘で縛りつけるのではなく、両腕が上下に少し動くような余裕を持たせた上で、刑の
執行人たちは手首の柔らかい所を狙って太い釘を打ち込んだのです。
その場合にも、左右に二組に別れた執行人たちが両腕に釘を同時に打ち込むのでは
なく、囚人の苦痛を増す為に、見物人への見せしめ目的もあって、どちらかの手首に
釘を先ず打ち込んだ後で、今度は反対側の手首を貫通して太い頑丈な主柱へと鉄釘を
打ち込んだのです。 麻酔は使いませんから激痛で気絶してもおかしくありません。
(あなたの創造力を全部使って主イエスのお苦しみを想像してみて下さい。)
釘を打ち込まれた囚人が痛みでもがき絶叫する中で十字架が太いロープで引き上げ
られ、十字架の下の部分が予め掘られた穴の中にドスンと落とされるのです。 その
時の衝撃はそのまま囚人の手首の傷に伝わります。 手首だけで全体重を支えている
のですから手首の傷は次第に大きく開いて行きます。 想像するだけでも残酷です。
次に執行人たちは囚人の左足の上に右足を重ね、両足の甲羅に太い釘を打ち込むの
です。 私の推測では釘の長さは少なくとも40糎から50糎なければ両甲羅を突き刺し
て主柱に打ち込めないと思いますし、太い釘でなければ激しい痛みで暴れてのたうち
回る囚人の体重を支えられないでしょう。 両膝の部分は縛りつけてないので自由に
動けるようにわざとしてあります。 こうして囚人は十字架へ架けられたのです。
後は、想像を絶する苦痛の中でジリジリと囚人が弱り、遂に死に到るのを待つのみ
です。 これだけを考えただけでも私たちには耐え難い事な筈です。
釘付けされた囚人の両手首の傷には彼の体重の総てが掛って来ます。 そして体は
下の方に少しずつ垂れ下がります。 激痛を越えた痛みが手首に加えられます。
痛いので暴れますから傷口は益々拡大し、身体は下にと垂れ下がります。 激痛は彼
の全身を走り、脳に達し気絶を招きます。 然し、体重が身体を下に引きずり落とし
ますから両手首に掛る激痛で再び正気に戻ります。 身体中の神経を走る激痛で麻酔
なしの身体はのた打ち回るのです。 その動きが肉を裂き、更なる激痛を招きます。
両膝を縛らない理由がここにあります。 身体を動かせるようにしておいて囚人に
暴れる折りを与え、それによって更なる激痛を加える目的があるのです。 中枢神経
に激痛が走りどうしです。 両手首と両足を釘付けにされた身体は腰の辺りの自由な
部分を中心にして十字架の上で海老のように踊るのです。 気絶と正気との間の往復
が繰り返され、ジワジワと、そして急速に体力を喪失させてる残酷な処刑方法です。
極度の、焼けつく炎のような激痛が指先から手首に、そして両腕に、更に脳神経へ
と走ります。 両手首を貫通している太い釘とその傷口は絶え間なく中枢神経を刺激
し続け、正中動脈や静脈の働きを妨害します。 身体の重みで垂れ下がる自分自身と
それから来る激痛から自分を救う為に無意識に囚人は身体を上に持ち上げようとしま
す。 それをする為には、釘が突き刺さったままの両甲羅で自分自身の身体を上へと
押し上げながら、同じように釘が突き刺さったままの両手首で身体を引き上げるしか
方法がないのです。 破られ砕かれた甲羅と手首の中を走る神経に激痛が走ります。
体力を殆ど使い果たしている囚人には身体を上に引き上げる力は残っていません。
気絶も出来ない程の激痛です。 やがて両腕は疲れ果て、痙攣が総ての筋肉を襲い
ます。 休む事のない激痛が次から次へと津波のように波打ちながら続きます。
こうして麻痺した筋肉は垂れ下がる身体全体を上に持ち上げる事をしなくなります。
両手首だけで万歳の姿勢で垂れ下がってしまって、自分の身体を上に持ち上げる事
がもはや出来なくなったという事は、空気を吸入する事が出来ても吐き出す事が出来
なくなるという事です。 つまり呼吸する事が出来なくなるという事なのです。
このような状態に陥った囚人は殆ど意識を失いつつあるでしょう。 それでも全身
の力を振り絞って、無意識にでも、自分の身体を上に持ち上げて肺に空気をもう一度
でも吸入し、そして最後の力を出して、肺から空気を吐き出そうとするでしょう。
そのような状態が続くに従い、肺や血流の中には二酸化炭素、即ち炭酸ガスが溜り
始め、これが痙攣を多少は抑圧する事になります。 断続的な痙攣の中にあっても、
殆ど意識を失いかけている囚人は、それでも何とかして身体を上に持ち上げて新鮮な
酸素を吸おうともがくのです。
終わりなく続く激痛に身体をくねらせたり、撥ねたり、もがいたりし、それら一連
の激しい動きが更なる痛みを招き、それがまた身体各所に絶え間のない痙攣を生じ、
そして気絶と仮死状態へと誘い込み、突き刺されて、ずたずたに切り裂かれた手首か
ら肩にかけての筋肉は、それでも固い頑丈な十字架の主柱の上で狂ったように身体を
揺り動かすのです。 絶え間のない上昇気流は囚人の身体の脱水状態を加速します。
急速に身体から多量の水分や血潮が抜け去り、そして最後に近い状態を招きます。
それでも別の新たな苦痛が無意識状態に近い囚人を襲うのです。 垂れ下がった身体
は呼吸困難を呼び、心臓や肺臓に過度の負担を掛け、心嚢には徐々にリンパ液が溜り
始め、それが心臓を圧迫するので肺臓にも深い痛みをもたらすのだそうです。
圧迫されてしまった肺臓と心臓はそれでも何とかもがいて呼吸をし、のろのろで
あっても血液を体内に送り込もうとポンプ・アップを試みるものだそうです。
極限状態に置かれて今まさに崩れ去らんとする肺臓は、それでも狂気じみた努力を
して、少しでも新鮮な酸素を呼吸しようと最後まで努力をするものだそうです。
空気を吸い込む時のガーッというような断末魔の音が不気味に響きます。
然し、づたづたに切り裂かれた肉体に入って来るのはもはや新鮮な空気ではなく、
あの恐ろしい、冷たい死が引き裂かれた肉体の繊維の中に潜り込んで来ているのを感
じるだけなのです。 こうして遂に囚人は死に己を委ねるのです。
聖書はこの事実を淡々と述べています。 マルコ伝15章24節には『彼らはイエスを
十字架につけた』とあり、コリント前書15章3節には『キリストは私の罪の為に死な
れた』とあります。 ロマ書5章の中にもキリストの贖罪の死が説明されています。
このように残忍な処刑方法は、盗賊や殺人犯や暴行魔にだけ適用されていたものと
言われています。 それなのに、盗賊ではなくむしろ愛を与え続けたイエスさまが、
殺人犯でもなくむしろ人を生かすお仕事をされたイエスさまが、私たちの身代わりと
なって引き受けて下さったのです。 二人の極悪囚人の間に立てられた十字架の上で
私たちの罪の執り成しをしながら贖罪の死を遂げて下さったのです。
十字架の上で示された主イエスの愛は、何と素晴らしいものなのでしょうか?
それに引き替え、私たちは主イエスの苦悩を理解せず、十字架の痛みなどは想像だに
した事がないというのです。 何と恐ろしく身勝手な私たちなのでしょう。
主の聖餐に与る時、もう一度、この主の十字架の上でのお苦しみを深く黙想してみ
る必要があるでしょう。 主のみ頭の先からみ足の先までを走る激痛を覚えながら、
それが私の罪がなした業だと学ぶ必要があります。 悔い改める必要があります。
黒人霊歌の中に Were you there when they crucified my Lord ? という曲があり
ます。 『君もそこにいたのか』で、讚美歌II集177 と聖歌 400がそうなのです。
あなたと私がそこに居たのです。 そしてあなたと私の罪が、私の手が、あなたの
手が、主イエスの両手首と両足の甲羅にあの太い釘を打ち込んだのです。 どのよう
に主にお詫びを申し上げたら良いのでしょうか? 唯ただ罪を悔い改める以外にあり
ません。
『あなたが口でイエスを主と告白し、あなたの心で神さまがイエスを死者の中から
よみがえらせて下さったと信じるならば、あなたは救われる...』とロマ書10章9節は
勧めています。 イエスさまを救い主として心の中にお招きする必要があります。
讚美歌 136、聖歌 155、 437 の歌詞を噛み締めながら讚美しましょう。
私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んで下さったことに
より、神は私たちに対する御自身の愛を明らかにされておられます。
神は罪を知らない方(即ちイェス)を私たちのために罪とされました。 それは
私たちがこの方に在って神の義となるためです。
なぜ生きている方を死人の中に捜すのですか? 復活されました!
(上から順にロマ書5章8節、コリント後書5章21節、ルカ伝24章5節~6節)
ハレルヤ! 感謝です! 讚美歌 146
2003年3月21日
(注 以上は八ヶ嶽南麓ベタニヤ集会用に毎週発行している「ベタニヤつうしん」と
いう週報に3年前の春に掲載した文章を改めてご紹介するものです。)
太平洋戦争敗戦直後に私は盲腸炎を患い旧大日本帝国陸軍軍医殿の執刀で切開手術
を受けたことがあります。 荒っぽい軍医殿で医療品の極度の不足もあり、痛い手術
でした。 醜い傷跡がそのまま残っています。 外科手術は大嫌いです。
同じく敗戦後に旧制の明治学院高校を卒業して東京獣医畜産大学に入学し、解剖学
の授業がありました。 麻酔薬の不足から野良犬の活体解剖があり失神しました。
ますます外科手術が嫌いになり、獣医学校卒業を前に中退しケンタッキーに聖書を
学びに転校しました。
1954年~1961年の赤貧留学生活を経て帰国、翌年に或るおかしな交通事故に巻き込
まれて左腎臓を失いました。 その時にも適切な抗生物質がなく、治癒が難航し、
大量輸血でC型肝炎ウイルスを得ました。 更に酷い傷跡が残っています。 そして
現在でも常に左脇に鈍痛と違和感があり、これは私が死ぬまで絶えず私を悩ませるも
のです。 贖罪主イェスさまの十字架上の痛みを記憶させて頂くために神さまが私に
与えて下さった特別な恩寵だと考えています。
交通事故は熊谷で起きました。 その日の朝、軽井沢でホイートン神学大学教授の
テニー博士が「主イェスの十字架の苦痛」の話しをなさり、それを伺ってから帰路に
ついたのでした。 そしてその日の午後に独りで手術台の上に乗せられたのでした。
次に数年前に脱腸で再び手術台の上に乗りました。 全身麻酔といっても医師たち
の会話は聞こえて来るものです。 その時も主イェスさまの十字架を想いました。
このような個人的な外科手術の体験が重なった人生を経た者ですので、どうしても
十字架上の主イェスの肉体的・精神的・心理的・信仰的なお苦しみの一端を推測して
しまいます。 けれども、ロマ書8章28節が語るように『総てのことは相働いて益と
なる』のです。
ここに改めてご紹介致します拙文が、主イェスに対する皆さまがたの感謝の思いを
更に深められるのに役立つことを心から願っております。 とりわけ、皆さまがたが
聖晩餐に陪席なさる時に、主のお苦しみと愛の深さを、皆さまがたがより善くご理解
なされるようにと心から願うものです。
《讚美歌 136 聖歌 155 O Haupt voll Blut und Wunden に就いて》
追加情報です。 主イェスの十字架上の受難を表現するに相応しい讚美の歌として
いろいろなものがありますが、讚美歌 136番・聖歌 155は特に有名だと思います。
『血潮したたる主のみかしら』(讚美歌)にせよ『いばらの針』(聖歌)にせよ、
この荘厳な讚美歌はバッハの受難曲によって多くの人々によく知られています。
英語では" O Sacred Head, now wounded "としてよく知られています。
この讚美詩は原文のラテン語から直訳されたものだと考える人が多いようですが、
実は獨逸人で敬虔な詩人パウロ・ゲアハードが、クレルヴォーのベルナール Bernard
のラテン語で作詞した十字架のイェスに関する詩文をまず獨逸語に訳したものである
とされています。 しかし、この学説に対して疑義を抱く人も少なくないそうです。
ベルナールはフランス語読み、獨逸語ではベルンハルト、英語ではバナードです。
使役犬セント・バナードの語源ともなっています。 西方修道院制度の父とも呼ばれ
ているベルナール神父はフランス人で、優れたキリスト教思想家、神秘主義者として
も有名です。 基督者としての敬虔な品性や優れた芸術文化的才能の持ち主としても
秀でていますが、同時にそのことで、回教徒たちの手から聖地奪回を謳った十字軍を
賞賛激励したり、同じ基督教界の中で論敵を撃破するという理論家でもありました。
ベルナールの作詞したこの讚美歌は極めて中世期的な響きと修道僧的な薫りが漂う
ものです。 修道僧は十字架の数珠を使いながら祈祷していましたので原文の詩にも
そのような配慮がなされてあったのです。
即ち、私たちが現在讚美している歌集にはふつう四節しかありませんが、元来の詩
では十字架に架けられた主イェスの体を両脚、両膝、両手、両脇、胸、心臓、頭部の
七つに分けて考察し、主のみ体の各部分について更に五十行を割いて詳しく描写し、
それらのことを想い唱えながら十字架の数珠を手に黙想するように作詞されていたの
です。 また、私がバイオラ大学で習った時には、主イェス・キリストの体を十二に
分けて、修道僧たちは主イェスのお苦しみを想ったのだとの説明もありました。
七と言い、十二と言い、共にそれらは完全数を表しているからです。
いずれにせよ、そのような敬虔な黙想のために、時間をかけて主の十字架の苦悩を
記憶するために作詞された讚美詩です。 私たちも同様に心して讚美したいですね。