『すでに赦されているということ』


「凡ての人、罪を犯したれば神の栄光を受くるに足らず。
              功なくして神の恩恵により、キリスト・イェスにある
              贖罪によりて義とせらるるなり‥」  ロマ書3章23節

★  パレスチナ南部のガザ地域を実効支配するイスラム原理主義過激派ハマスによる
イスラエル側へのロケット攻撃に対応するため‥という名目で開始されたイスラエル
軍のガザ攻撃で多数の民間人が死傷していると報道されています。  人間が己の都合
で作り上げたエホヴァの神とアッラーの神の、神同士の戦いのようにも思えます。

★  イスラム過激派による米本土同時多発テロ攻撃に対して、ブッシュ政権がイラク
とアフガニスタンを攻撃し、圧倒的な最新大量殺戮武器を使用して、多数の民間人が
巻き込まれて犠牲になっています。  その数は何万人にもなると噂されています。
  ここでもブッシュ政権の軍事行動を支援するアメリカの教会のイェスと、イスラム
のモスクで祈る人々のアッラーとの戦いのように思えます。
  人々は、そして特に男というものは、戦い合い、殺し合うのが好きなようです。

★  天地宇宙を創造し給うた神は、創造された作品を御覧になって、『とてもよい』
と呟かれたと、創世記1章31節は証言しています。

  しかし、そのあと、アダムとその妻エヴァは、神の単純な命令を無視して、サタン
の誘惑に屈し、罪を犯し、エデンの園から追放され、神なき放浪の生活を始めます。
4章では、兄カインが弟アベルを殺害するという痛ましい事件も起こりました。

  そして6章に到りますと、人の悪が地にはびこり、人の心の思いは悪いことばかり
であったのです。  余りにも悪いことばかりであったので、神は人を創造されたこと
を悔いて、自分が創造され、とても良かったはずの地の面から、人々を拭い去ること
を決意されるに到った‥と、そのように記録しています。

★  神から離れてしまった人間すべてが罪を犯しているので、神の栄光を受けること
をできなくなっている‥と、ロマ書3章23節が明記しているのです。
これは創世記6章5節の裏付けです。  そしてそのことは、そのとおりです。
それですから、神の名を用いてまで、現在でも人間は争いあっているのです。
個人と個人もそうですし、民族と民族も、国家と国家も同じなのです。

★  この地上の姿が、創造主の目にかなうものでないことは明白です。
心を痛められた神は、人間を罪の支配から解き放つために、人間の罪の贖いとして、
ご自分の御子をこの世に送り、人間を赦すために、人間の犯した罪の身代わりとして
十字架の上に送られたのです。  そして私たちに対して、神が私たち人間を、ありの
ままの姿で愛しておられることと、私たちの罪を赦してくださっているということを
示されたのです。

★  このことを信じる者は「すでに豊かなとこしえの命を持っている」と、ヨハネ傳
3章16節以下が語っています。

  自分はクリスチャンだ‥と自称している人が、ここで特に注意しなければならない
点は、十字架のイェスの贖罪の死を信じた人だけがその罪を赦される‥という誤解で
す。  そのような罪の赦しや愛ならば、それは条件付きの安っぽいものです。

  イェスは十字架の上で「すべての人の罪のために贖いの業を完成された」のです。
そのことによって私たち「すべての人間は罪をすでに赦されている」のです。  愛さ
れているのです。  これは無条件の赦しであり、無条件の愛なのです。  人の行為を
必要としないものです。  なぜなら人は自分の善行で自分に救いをもたらすことなど
不可能なのです。

  そういうわけで、何の勲功ない自分が無条件で赦されているという事実、無条件で
受け入れられているという事実、無条件で愛されているという事実を、素直に信じる
ことによって、「豊かなとこしえの命がすでに与えられていること」をクリスチャン
だと自称する者はよく理解し、感謝の生活を始める必要があると私は思うのです。

  それにかかわらず、「すでに赦されている」にもかかわらず、そのことを理解しな
い者、理解しようとしない者は、「すでに与えられている豊かな永遠の命の祝福」を
満喫することがないまま、地面の上だけを眺めて日々の生活に追われているのです。

  これでは「すでに裁かれ、滅んだ状態にある」とも言えます。  死んでから裁きの
場と永遠の滅びに行く‥という意味だけではありません。  「いまこの現在」という
時点で、神の一方的な豊かな祝福を見逃しているのです。  勿体無いことです。

  クリスチャンと自称している多くの人々も、クリスチャンに「なったから」自分は
死んでのち地獄に「行かなくていいんだ‥」程度の、「なったから‥いいんだ」と、
条件付の、そこいらにたくさんあるご利益宗教と同じ低次元の理解しかできないよう
です。  十字架の主イェスに申し訳ない、情けない、お粗末な福音理解です。

★  しかし、十字架は私たちが「すでに豊かな永遠のいのちの中に居る」ということ
を告げているのです。

  使徒パウロは、コリント前書1章18節~24節で、福音を「神の力、神の智恵」だと
説明しています。  またロマ書5章8節では、私たちがまだ罪のとりこであった時に
キリストは私たちの罪の贖いのために、すでに十字架の上で死んで下さっていたことを
告げているのです。  イェスはすでに十字架の上で贖罪の貴い業をなし終えておられた
のです。  私たちがそのことを知らなかっただけなのです。  無条件で私たちを愛し、
私たちを赦し、私たちを受け入れていてくださっていたのです。  感謝です。

  この理解がないので、普通の人と同じように、低次元の生活に追われていると思い
ます。  目を覚まして、十字架の意味を改めて深く考え見直して、感謝と喜びの生活
を満喫することを学びたいものです。  如何でしょう?