ベタニヤ村雑所感


★  イェスが地上に居られたとき、ユダヤ教には三つの大きな教派がありました。
パリサイ派と、サドカイ派と、エッセネ派でした。

★  エッセネ派は一切の財産を共有し、律法を厳格に遵守する生活を営み、終末待望姿勢を堅持していました。  クムラン文献を生み出した教団と同一視するようです。

★  パリサイ派のことですが、「パリサイ」とは、「分離する者」という意味です。
  モーセの律法を厳格に遵守するグループで、イェスの時代に盛んでした。モーセの律法を守らない者を「汚れた者」として斥けることに熱心でした。
  イェスは、彼らの偽善的傾向を激しく攻撃したのでした。

★  サドカイ派というグループもありました。
  モーセ五書だけを正典だと主張していた律法固守派の頑固なエリートたちです。だいたいは裕福な層の人々でした。  復活を否定し、天使や霊の存在も否定していました。

  自分たちを占領していたローマ軍に対しては、心の中では抵抗していたように思いますが、そのようなことよりも、エルサレム宮殿を守り、宗教儀式を厳守することのほうに関心がありました。

  エルサレム神殿を中心とする極めて裕福な階層の人々です。  現世を享楽していた彼らにとっては、現世が極楽そのものですから、やれ復活だの、やれ天使だの、やれ霊の存在などと、社会的にも経済的にも極貧状態の中で、その日その日を喘ぎながら生きていた、虐げられていた貧乏人が描く空想など、まことに馬鹿らしいことであったのです。

  カラフルないかつい職業的ガウンで身を固め、格好の良い、一般市民が理解できないような大きな宗教用語を流暢に用いて無知な市民を煙に巻くような奇麗ごとを口先だけで得々と語り、宗教儀式をこなしておけば、それで生活が出来たのです。

  今ふうに言えば、住居費や光熱費も通信費も一切不要の、エアコン付きの牧師館に住んで、高額の所得と人々からの高価な贈り物を貰うのが当たりまえで、交際費とか研究費もたくさん受け取り、公金で海外視察という名目で家族一同が旅行を満喫し、何不自由ない物質的生活を享楽していた職業的宗教人たちです。

  外国製や国産最高級自家用車を乗り回し、そのガソリン代や税金は教会名義で支出させるという遣り方でしょう。  子女も特権階級の子として育てられ、私立の名門校に学び、物質的に贅沢三昧な生活をさせているという牧師一家です。

  現世を肯定して、楽しく生活している者に、どうして来世のことや復活後の夢物語のような非現実的なことを信じたり、夢見たりする必要があったのでしょうか?そのような空想の追求は、貧乏人が願うことです。  超裕福な宗教指導者には不必要なものだったのです。  そしてそれは現在の職業的宗教人にも共通しています。

  この種の職業的宗教人たちの在り方を私は国がまだ貧しかった韓国ソウルで目撃していました。  独裁軍事政権の権力中枢と結託していたように記憶しています。日本でも、そのような牧師や、ほかの宗教団体の頂点に立つ人々がいるようです。

★  これらの職業的宗教指導者層、特権階級が生活の根拠としていたエルサレムからわずか3キロ弱の距離にあったベタニヤ村に、その日の生活にも事欠く虐げられていた人々が生活していたのです。  瀕死の病を得ても医者にも薬にも恵まれない人々が生活していたのでした。

  なお、「ベタニヤ」とは、「貧しい家」、「悩む者の家」、「青い未熟果物の家」というような意味だそうです。  イェスがこよなく愛されたマリヤやマルタ、それにラザロがよみがえった村です。  生きるに値しないように思われていた極貧の人たちが、ヨベルの主、解放の主イェスに出会って、それぞれが生かされた村です。

  貪欲な物質的生活を、神の名を利用した宗教的特権をフルに悪用して、贅沢三昧な生活を享楽していた特権階級の住む神殿が、すぐ横の丘の上で多くの貧民を威圧するように建っていたのでした。

  そのエルサレムのすぐ傍にあったこのベタニヤ、虐げられていた多くの人々の友であった主イェスがこよなく愛しておられたベタニヤを、福音書の記者たちは見逃していなかったのです。  エルサレムの意味するものとの対比が絶妙だと思います。

★  当時のエルサレムの特権階級・富裕階級に属していた宗教人たちが、エルサレムの周辺で喘ぎながら日々を送っていた貧しい人たちを忘却して、宗教という酒に酔っていたように、世界中のこん日のほとんどの自称キリスト教会という組織や儀式に、適当に集まる人々も、飢えと寒さと政治・社会的に抑圧された中で生きている何十億もの人々のことをすっかり忘れて、貪欲な生活と適当な宗教生活を満喫しているようです。  エルサレムのすぐ傍のベタニヤ村では、貧しい人々を解放されるイェスが、世界中の貧しい人々と共に、宗教人たちが貧しい人々のことをどのように扱うのかを静かに御覧になっているというのに...です。

★  ベタニヤ村で、極貧状態の中にその日その日を生きていた或る女性が、ナルドの壺を割って、高価なナルドの香油でイェスの足を洗い、自分の髪の毛でイェスの両足を拭いたことを福音書記者たちは記しています。  そして、こん日のキリスト教会の多くは、彼女の美徳を称えています。  しかしそれだけです...  自らも彼女に習って自分の持っている全ての財宝を、主のご用の為に捧げようとは絶対にしないのです。

  ここで私は思うのですが、社会的・経済的に最底辺層の中でかろうじて生きていた極貧生活の中の女性が、どのようにしてそのような高価な香油を所有していたのか?ということに、ほとんどのキリスト教会は、その訳を正そうともしていません。

  貧しい女性が、そのように貴重な香油を購入または入手できた選択肢は、それほど多くなかったはずだと思うのです。  彼女は「随分と辛い思いを重ね」て、少しずつ蓄えを増やし、入手したのではないかと、そのように推測するのです。  極貧底辺層の女性にできたことは、そんなに多くはなかったはずです。

  ヨベルの解放の主イェスは、その辺りのことを充分にご存知であったはずです。マタイ傳26章6節~13節とマルコ傳14章3節~9節はすべてのことを承知なさっていたイェスの彼女へのお心くばりをよく表現しているように思います。(ヨベルの年=イザヤ書61章1~2節、ルカ傳4章14節~30節、讚美歌 169番参照)

  そして、私たちのイェスへの態度が、どれほどまでに口先だけのことであるかを、主イェスは一番よくご存知でもあるかと、そのようにも思うのです。  如何?

★  韓国での奉仕活動の跡始末の結果として、1985年に八幡山の母の土地家屋を売却して現在の地に移住して来ましたが、その時に、貧しい人々がイェスに出会うことでよみがえりを得たことを覚え、「人生になくてならぬもの多からじ...」とのイェスの一言を肝に銘じて、この場をベタニヤ・ホームと名付けたのでした。  私自身の魂のよみがえりを願い、訪れてくださるであろうほかの方々の魂のよみがえりを願って、おこがましいことでしたが、「ベタニヤ・ホーム」と名付けたのです。