★ 今では「あたりまえのこと」になっていますが、私がまだ高校生や大学生のころ
の日本では、こん日のように多種多様な運動が身近にあったわけではありません。
しかし、東京オリンピックのあと、急速にスポーツ試合が盛んになりました。
「東洋の魔女」と騒がれて、女子バレー・ボールが盛んになりました。
そののち日本の経済的国力の急速な増強と共に、こん日では、ありとあらゆる分野
においてスポーツが盛んになっています。 盛んになったというだけではなく、世界
最高水準に達していると思います。 このような現象は開闢以来かつてなかったこと
だと私は確信しています。 そして、それ自体は微笑ましいことだと思います。
しかし、多くの場合、余りにもスポーツとオカネが関わり過ぎていると憂います。
また、アスリートたちの精神年齢が余りにも低過ぎ、彼らの多くの人格形成がお粗末
すぎるようであり、知的・文化的水準も余りにも貧弱すぎると私は見ています。
彼らを支援する親たちの露骨さ、下劣さも目立ち過ぎるように考えています。
★ 私はスポーツにほとんど関心を示しませんし、貧しい国の青年達が参加しづらい
現在のオカネ中心で、国威発揮という政治的なものを感じさせるオリンピック競技に
も極めて冷ややかで批判的な目でみています。 貧しい国が圧倒的に不利ですから。
★ さて、これらの国際試合に参加する東北アジアの国々の選手たちも、応援団も、
そして後ろ盾をする政府も、たとえば、日本だけではなく、韓国も中国も北朝鮮も、
とにもかくにも『何がなんでも一番に!』 or 『金メダルを!』が合言葉です。
スポーツを楽しむというような、寛いだ雰囲気は、多くの場合、全くありません。
応援する者の姿勢も、多くの場合、公平を欠き、問題が多過ぎるように思います。
「国 vs.国意識」だけが目立ち過ぎています。 「正正堂々」ではありません。
何が何でも一番に! 何が何でも金メダルを! いつになったらこういう傾向から
卒業できるのかと疑います。 露骨な立身出世...国威発揚...これじゃ疲れ果てます。
★ さて、いつものように前置きが長くなりました。
聖書はこの辺りのことを何と言っているのでしょう?
マタイ伝18章1節~4節、20章26節~27節、マルコ伝9章35節~37節、10章43節~44節、
ルカ伝22章26節~27節、ヨハネ伝4章12節を読んでみますと、イェスの弟子もサマリヤの
女も、『誰が誰よりも偉いのか?』 or 『誰が一番なのか?』ということをしきりに問題視して
いることを学びます。
どうやら人間というものは、洋の東西を問わず、人種や時代を超えて、そのような
ことに深い関心があるようです。
★ ところが、イェスの弟子たちの中の中心核の12使徒たちの中に、いつも五番目の
男がいたことを聖書は淡々と語っています。 『五番目でいいじゃないの!』です。
マルコ伝3章16節、ルカ伝6章13節、そして使徒行伝1章13節にはイェスの12弟子
の名前が列挙されています。 ご面倒ですが恐縮ですが、皆さんがご自分で三ヶ所の
聖書箇所をどうぞ開いて、彼らの名前とその順番をご覧下さい。
そしてピリポという男が、「いつも五番目」に来ていることに注目して下さい。
私はピリポが五番目に来ていても、それはそれでよいのだと思っています。
★ 脱線追加情報ですが、ピリポはガリラヤ湖北東岸ベッサイダの出身者です。
ガリラヤ地方は、エルサレム地域とは文化的に異なり、ギリシャ文化・ローマ帝国の
色彩が強い地域でした。 そのベッサイダから出てきたのがピリポ Philip です。
ユダヤ人の名ではありません。 『馬を愛する者』というギリシャ語系の名です。
現在でも英語で「馬」を表す言葉はヒップ hipp- とかヒッポ hippo- です。
河馬は hippopotamusです。 フィリップ、フィリッポ、ピリポ...いずれも馬に関係が
ある言葉です。 hipparchは騎兵隊長、hippocampus は海馬=竜の落とし子です。
★ 四福音書の中で、ピリポのことを一番多く取り上げているのはヨハネ伝です。
マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝にピリポの名前が出て来る回数はごく僅かです。
ヨハネ伝には、他の福音書と比較しますと、より多く出て来ます。
ヨハネ伝では、登場人物が、主としてイェスと出会う個人個人が、イェスと出会った
のちに、そのイェスをどのように捉えるのか...イェスを信じる者と育って行くのか...
それともイェスに敵対する者として育って行くのか... そのことに焦点を当てている
ようです。 ピリポに対しても同じだと思います。 それでピリポが面白いのです。
ヨハネ伝6章の初めから15節までは、イェスの生涯にとって極めて重要なひとつの
転換期だと思います。 15節にその鍵が隠されています。
しかし、そのことは今回のピリポとの関係では大切なことではありません。
むしろ5節~6節のイェスのピリポへの質問と、それに対する彼の応答にヨハネは
強い関心を抱いたはずなので、わざわざピリポの返事を克明に記録したのではないの
か...と、そのように私は考えています。
10節でヨハネは、『その場所には草が多かった』と詳しく観察していたことを記録
しているのですから、5節~6節のピリポの返事を記録した意味は重要だと私は考え
ているのです。
5節~6節でのピリポのイェスへの返答は、極めて消極的なもの、否定的なものに
近い回答です。 それは、8節~9節のアンデレの半信半疑の回答よりも消極的だと
思えます。 また、ピリポの答には、計算高い要素も含まれているように思えます。
5千人もの人を養った...と言われている、聖書の中でも有名な場面です。
当時のユダヤ人の考えかたでは、30歳にならないと「一人前の男」として認められな
かったようです。 この習慣に従いますと、30歳以上の成人がおおよそ5千人いたと
いうことになります。
30歳より若い男性や子供たち、それに極めて大多数の婦人たちは、この5千人には
加えられていなかった可能性が大きいです。 少なく見積もっても合計で3万人もの
人々が群れをなしてイェスに従っていた...と仮定しても、それほど間違っていないの
ではないか...と、そのように私は考えています。
今でも、新宿や渋谷のような繁華街でも、3万人もの人々に一度に給食を提供する
ということは不可能に近いのではないかと思います。 まして2千年も前のガリラヤ
の寒村僻地で群衆にパンを与えるということは、ピリポでなくても、戸惑ってしまう
ことでしょう。 ピリポが「計算高い男」といって非難することは容易でしょうが、
実際には、ピリポのほうが理性的、現実的、実践的だ...と言えるのでしょう。
★ またヨハネ伝14章8節でピリポはイェスに対し、『主よ、私たち(弟子たち)に
父なる神さまを見せて下さい...そうすれば私たちは安堵し満足しますから』と、率直
で、素直で、無邪気で、実に人間味のある、突拍子もないお願いをしています。
この発言にはイェスも当惑ぎみのようであったと、9節でイェスが答えています。
この二人の会話を読んで、なるほどピリポは「五番目の弟子なのさ」...とおっしゃる
かたがたも出てくるのかも知れません。
ヨハネは、これらの角度から、ピリポを捉えている面があったのかも知れません。
あまりパットしない男のような印象を受けてしまいます。 五番目でもしょうがない
なあ...ということなのかも知れません。 皆さんはピリポをどうご覧になりますか?
★ しかし、ピリポが「五番目の弟子」であったとしても、彼には「一番優れた男」
としての大切なことがあったのです。 ヨハネは、そのことを見抜いていたのです。
この「馬を愛する男」であるピリポがやった最大・最高のことは、「人々をイェス
に紹介した」ということです。
私も、私なりに、短いようで長かった自分の人生で、多くの人々の保証人になった
り、百数十人の若者たちの留学のお世話をしたり、いろいろな先輩や先生がたに人々
を紹介して来ました。 まあ、多くの場合、結果的にですが、利用されることが実に
多かったようです。 利用されて、あとになって、結果的に、苦い思いをしたこと、
させられたことのほうが、良かったと思うことよりも、多かったように思います。
今それらを振り返って見て言えることのひとつは、人をほかの人に紹介するという
ことは、とてもむつかしいものだ... なるべく紹介することを控えたほうが良い...と
言えることでしょう。
★ しかしピリポの人となりの良さ、人格のよさ、品性の善さということを、人々が
よく尊敬していたから、ピリポを信頼していたから、ピリポを敬愛していたからこそ
ピリポのひとことの勧めを信じたり、ピリポに大切なことを依頼することができたの
だ...ということです。 そのことをヨハネ伝1章46節と12章21節が語っています。
ピリポのひとこと、『来たりて見よ! Come and see!』で、最初はナザレ人イェス
を疑ったナタナエルがイェスに出会うこととなったのです。
ナタナエルがピリポを信じていたということが、ピリポの人格が信頼に足るもので
あったということが、半信半疑のガリラヤ人ナタナエルをイェスに引き合わすことが
できたのです。 そしてナタナエルがイェスの弟子となることができたのです。
ピリポは優れた伝道者であったわけです。 「五番目でも一番」だったのです。
★ さらにこのピリポの優れた人となり、品性、人格...というものを証明する事件が
あります。 そのことをヨハネは優れた洞察力で観察して記録しています。
そのことをヨハネ伝12章20節~23節は記録しています。
すでに紹介しておきましたように、ピリポの出身地ベッサイダ地方は、ギリシャ・
ローマの文化圏でした。 エルサレム地域とは違う環境の地域です。
エルサレムとサマリヤも異なる文化経済圏であるのと同じです。 三者は異なる文化
経済圏を形成していたのです。 このことは頭の中にいれておいてよいことです。
おそらくギリシャ語を話すギリシャ人のグループだと思うのですが、イェスに面会
を希望していたようです。 きっとイェスのうわさを聞いていたものと思います。
そこで、誠実そうな、おとなしい、そして時には消極的にも見え、また理知的にも
受け取れるベッセダイ出身でギリシャ・ローマ文化を理解できるピリポに、イェスと
の面会の執り成しの依頼をしたものと推測できます。
ピリポの慎重さは、その依頼ごとを、すぐにイェスに伝達するのではなく、最初に
仲間で12使徒のひとりであるアンデレに相談したことでも理解できます。
このピリポの慎重さがあって、ギリシャ人たちはイェスと面接することができまし
た。 そしてこのギリシャ人たちとイェスが出会ったとき、イェスは23節以下の重要
な真理を語られたのです。 イェスのその談話の重要性を理解したヨハネが、それを
記録に書き留め、こん日の私たちまでもがその真理の重大さ、崇高さに胸を打たれて
いるのです。
★ これらの執り成しを為したピリポは、「五番目でありながら一番目の男」だった
のです。 何でもよくできる人という人は、それなりの祝福と責任を神さまから与え
られています。
それに引き替え、ピリポのように、「いつも五番目」であっても、その人格におい
て、その人となりにおいて優れていれば、見る人は見てくださっているのです。
イェス・キリストの誠実な弟子であるということは、まず自分の人格を優れたもの
に鍛える必要がありますし、それを更に豊かなものに育て上げる責任と特権があると
思います。 そのことで、人々はイェスを知りたくなるのだと思います。
神さまが用いられるのは、結局のところ、優れた品格と信仰を持つ個人なのです。
の日本では、こん日のように多種多様な運動が身近にあったわけではありません。
しかし、東京オリンピックのあと、急速にスポーツ試合が盛んになりました。
「東洋の魔女」と騒がれて、女子バレー・ボールが盛んになりました。
そののち日本の経済的国力の急速な増強と共に、こん日では、ありとあらゆる分野
においてスポーツが盛んになっています。 盛んになったというだけではなく、世界
最高水準に達していると思います。 このような現象は開闢以来かつてなかったこと
だと私は確信しています。 そして、それ自体は微笑ましいことだと思います。
しかし、多くの場合、余りにもスポーツとオカネが関わり過ぎていると憂います。
また、アスリートたちの精神年齢が余りにも低過ぎ、彼らの多くの人格形成がお粗末
すぎるようであり、知的・文化的水準も余りにも貧弱すぎると私は見ています。
彼らを支援する親たちの露骨さ、下劣さも目立ち過ぎるように考えています。
★ 私はスポーツにほとんど関心を示しませんし、貧しい国の青年達が参加しづらい
現在のオカネ中心で、国威発揮という政治的なものを感じさせるオリンピック競技に
も極めて冷ややかで批判的な目でみています。 貧しい国が圧倒的に不利ですから。
★ さて、これらの国際試合に参加する東北アジアの国々の選手たちも、応援団も、
そして後ろ盾をする政府も、たとえば、日本だけではなく、韓国も中国も北朝鮮も、
とにもかくにも『何がなんでも一番に!』 or 『金メダルを!』が合言葉です。
スポーツを楽しむというような、寛いだ雰囲気は、多くの場合、全くありません。
応援する者の姿勢も、多くの場合、公平を欠き、問題が多過ぎるように思います。
「国 vs.国意識」だけが目立ち過ぎています。 「正正堂々」ではありません。
何が何でも一番に! 何が何でも金メダルを! いつになったらこういう傾向から
卒業できるのかと疑います。 露骨な立身出世...国威発揚...これじゃ疲れ果てます。
★ さて、いつものように前置きが長くなりました。
聖書はこの辺りのことを何と言っているのでしょう?
マタイ伝18章1節~4節、20章26節~27節、マルコ伝9章35節~37節、10章43節~44節、
ルカ伝22章26節~27節、ヨハネ伝4章12節を読んでみますと、イェスの弟子もサマリヤの
女も、『誰が誰よりも偉いのか?』 or 『誰が一番なのか?』ということをしきりに問題視して
いることを学びます。
どうやら人間というものは、洋の東西を問わず、人種や時代を超えて、そのような
ことに深い関心があるようです。
★ ところが、イェスの弟子たちの中の中心核の12使徒たちの中に、いつも五番目の
男がいたことを聖書は淡々と語っています。 『五番目でいいじゃないの!』です。
マルコ伝3章16節、ルカ伝6章13節、そして使徒行伝1章13節にはイェスの12弟子
の名前が列挙されています。 ご面倒ですが恐縮ですが、皆さんがご自分で三ヶ所の
聖書箇所をどうぞ開いて、彼らの名前とその順番をご覧下さい。
そしてピリポという男が、「いつも五番目」に来ていることに注目して下さい。
私はピリポが五番目に来ていても、それはそれでよいのだと思っています。
★ 脱線追加情報ですが、ピリポはガリラヤ湖北東岸ベッサイダの出身者です。
ガリラヤ地方は、エルサレム地域とは文化的に異なり、ギリシャ文化・ローマ帝国の
色彩が強い地域でした。 そのベッサイダから出てきたのがピリポ Philip です。
ユダヤ人の名ではありません。 『馬を愛する者』というギリシャ語系の名です。
現在でも英語で「馬」を表す言葉はヒップ hipp- とかヒッポ hippo- です。
河馬は hippopotamusです。 フィリップ、フィリッポ、ピリポ...いずれも馬に関係が
ある言葉です。 hipparchは騎兵隊長、hippocampus は海馬=竜の落とし子です。
★ 四福音書の中で、ピリポのことを一番多く取り上げているのはヨハネ伝です。
マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝にピリポの名前が出て来る回数はごく僅かです。
ヨハネ伝には、他の福音書と比較しますと、より多く出て来ます。
ヨハネ伝では、登場人物が、主としてイェスと出会う個人個人が、イェスと出会った
のちに、そのイェスをどのように捉えるのか...イェスを信じる者と育って行くのか...
それともイェスに敵対する者として育って行くのか... そのことに焦点を当てている
ようです。 ピリポに対しても同じだと思います。 それでピリポが面白いのです。
ヨハネ伝6章の初めから15節までは、イェスの生涯にとって極めて重要なひとつの
転換期だと思います。 15節にその鍵が隠されています。
しかし、そのことは今回のピリポとの関係では大切なことではありません。
むしろ5節~6節のイェスのピリポへの質問と、それに対する彼の応答にヨハネは
強い関心を抱いたはずなので、わざわざピリポの返事を克明に記録したのではないの
か...と、そのように私は考えています。
10節でヨハネは、『その場所には草が多かった』と詳しく観察していたことを記録
しているのですから、5節~6節のピリポの返事を記録した意味は重要だと私は考え
ているのです。
5節~6節でのピリポのイェスへの返答は、極めて消極的なもの、否定的なものに
近い回答です。 それは、8節~9節のアンデレの半信半疑の回答よりも消極的だと
思えます。 また、ピリポの答には、計算高い要素も含まれているように思えます。
5千人もの人を養った...と言われている、聖書の中でも有名な場面です。
当時のユダヤ人の考えかたでは、30歳にならないと「一人前の男」として認められな
かったようです。 この習慣に従いますと、30歳以上の成人がおおよそ5千人いたと
いうことになります。
30歳より若い男性や子供たち、それに極めて大多数の婦人たちは、この5千人には
加えられていなかった可能性が大きいです。 少なく見積もっても合計で3万人もの
人々が群れをなしてイェスに従っていた...と仮定しても、それほど間違っていないの
ではないか...と、そのように私は考えています。
今でも、新宿や渋谷のような繁華街でも、3万人もの人々に一度に給食を提供する
ということは不可能に近いのではないかと思います。 まして2千年も前のガリラヤ
の寒村僻地で群衆にパンを与えるということは、ピリポでなくても、戸惑ってしまう
ことでしょう。 ピリポが「計算高い男」といって非難することは容易でしょうが、
実際には、ピリポのほうが理性的、現実的、実践的だ...と言えるのでしょう。
★ またヨハネ伝14章8節でピリポはイェスに対し、『主よ、私たち(弟子たち)に
父なる神さまを見せて下さい...そうすれば私たちは安堵し満足しますから』と、率直
で、素直で、無邪気で、実に人間味のある、突拍子もないお願いをしています。
この発言にはイェスも当惑ぎみのようであったと、9節でイェスが答えています。
この二人の会話を読んで、なるほどピリポは「五番目の弟子なのさ」...とおっしゃる
かたがたも出てくるのかも知れません。
ヨハネは、これらの角度から、ピリポを捉えている面があったのかも知れません。
あまりパットしない男のような印象を受けてしまいます。 五番目でもしょうがない
なあ...ということなのかも知れません。 皆さんはピリポをどうご覧になりますか?
★ しかし、ピリポが「五番目の弟子」であったとしても、彼には「一番優れた男」
としての大切なことがあったのです。 ヨハネは、そのことを見抜いていたのです。
この「馬を愛する男」であるピリポがやった最大・最高のことは、「人々をイェス
に紹介した」ということです。
私も、私なりに、短いようで長かった自分の人生で、多くの人々の保証人になった
り、百数十人の若者たちの留学のお世話をしたり、いろいろな先輩や先生がたに人々
を紹介して来ました。 まあ、多くの場合、結果的にですが、利用されることが実に
多かったようです。 利用されて、あとになって、結果的に、苦い思いをしたこと、
させられたことのほうが、良かったと思うことよりも、多かったように思います。
今それらを振り返って見て言えることのひとつは、人をほかの人に紹介するという
ことは、とてもむつかしいものだ... なるべく紹介することを控えたほうが良い...と
言えることでしょう。
★ しかしピリポの人となりの良さ、人格のよさ、品性の善さということを、人々が
よく尊敬していたから、ピリポを信頼していたから、ピリポを敬愛していたからこそ
ピリポのひとことの勧めを信じたり、ピリポに大切なことを依頼することができたの
だ...ということです。 そのことをヨハネ伝1章46節と12章21節が語っています。
ピリポのひとこと、『来たりて見よ! Come and see!』で、最初はナザレ人イェス
を疑ったナタナエルがイェスに出会うこととなったのです。
ナタナエルがピリポを信じていたということが、ピリポの人格が信頼に足るもので
あったということが、半信半疑のガリラヤ人ナタナエルをイェスに引き合わすことが
できたのです。 そしてナタナエルがイェスの弟子となることができたのです。
ピリポは優れた伝道者であったわけです。 「五番目でも一番」だったのです。
★ さらにこのピリポの優れた人となり、品性、人格...というものを証明する事件が
あります。 そのことをヨハネは優れた洞察力で観察して記録しています。
そのことをヨハネ伝12章20節~23節は記録しています。
すでに紹介しておきましたように、ピリポの出身地ベッサイダ地方は、ギリシャ・
ローマの文化圏でした。 エルサレム地域とは違う環境の地域です。
エルサレムとサマリヤも異なる文化経済圏であるのと同じです。 三者は異なる文化
経済圏を形成していたのです。 このことは頭の中にいれておいてよいことです。
おそらくギリシャ語を話すギリシャ人のグループだと思うのですが、イェスに面会
を希望していたようです。 きっとイェスのうわさを聞いていたものと思います。
そこで、誠実そうな、おとなしい、そして時には消極的にも見え、また理知的にも
受け取れるベッセダイ出身でギリシャ・ローマ文化を理解できるピリポに、イェスと
の面会の執り成しの依頼をしたものと推測できます。
ピリポの慎重さは、その依頼ごとを、すぐにイェスに伝達するのではなく、最初に
仲間で12使徒のひとりであるアンデレに相談したことでも理解できます。
このピリポの慎重さがあって、ギリシャ人たちはイェスと面接することができまし
た。 そしてこのギリシャ人たちとイェスが出会ったとき、イェスは23節以下の重要
な真理を語られたのです。 イェスのその談話の重要性を理解したヨハネが、それを
記録に書き留め、こん日の私たちまでもがその真理の重大さ、崇高さに胸を打たれて
いるのです。
★ これらの執り成しを為したピリポは、「五番目でありながら一番目の男」だった
のです。 何でもよくできる人という人は、それなりの祝福と責任を神さまから与え
られています。
それに引き替え、ピリポのように、「いつも五番目」であっても、その人格におい
て、その人となりにおいて優れていれば、見る人は見てくださっているのです。
イェス・キリストの誠実な弟子であるということは、まず自分の人格を優れたもの
に鍛える必要がありますし、それを更に豊かなものに育て上げる責任と特権があると
思います。 そのことで、人々はイェスを知りたくなるのだと思います。
神さまが用いられるのは、結局のところ、優れた品格と信仰を持つ個人なのです。