ダニエル・ドレイパーのこと


★  時々「ベタニヤつうしん」に紹介する聖句にアモス書4章12節があります。
『汝、汝の神に出会う備えをなせ!』という聖句です。  『memento mori !』と同じような意味です。  すなわち、『汝、死すべき身たるを覚えよ!』ということです。

★  この警告を実行した英国人メソジスト教会の牧師がいました。
ダニエル・ドレイパー Daniel Draper, 1810年~1866年を生きた聖徒です。ハンプシャーで生まれています。  父親は英国国教会員で大工でした。
  父の願いに反してダニエルは英国国教会の信仰を離れ、メソジスト教会員になり、メソジスト教会の信仰を抱く女性と結婚して、メソジスト宣教会からオーストラリアに宣教師として派遣されます。

  当時、大英帝国から新世界であった北米大陸に移住する人たちや、オーストラリアとニュージーランドに移住する人々が多くいたからです。  もちろん、囚人たちが送られたという事実もあります。  イングランドからほとんど地球の反対側に位置する豪州まで、喜望峰を経由した長旅でした。  それでも人々は移住して行ったのです。

★  30年間をドレイパー夫妻はオーストラリア各地で宣教活動に従事しました。
開拓各地に教会を設立し、メソジスト宣教会を組織し、学校を建てるなど、託された宣教の業をよくこなしました。
  しかし健康を損ねた妻は、数日間だけ生きることができなかった未熟児を出産後に他界しまいました。  3年後に同じメソジスト教会の宣教師の娘と再婚しました。
  ゴールド・ラッシュが豪州を沸かせ、ドレイパーはますます多忙な日々を送ることになります。  詳細は略しますが、南部オーストリラリアの教会員数は7千人、日曜学校生徒数は2千人などと、ドレイパーの苦労が報われていたことを示す記録が残っています。
  その後、一時イングランドに戻ったドレイパーは、イングランドとアイルランドのメソジスト教会活動にも積極的に、精力的に関わっていました。

★  1866年1月5日、イングランドとアイルランドでの仕事を終えたドレイパー夫妻はイングランド南西部、プリマス Plymouth 港からロンドン号で豪州向け帰国の長旅に就きました。  イングランド最南西端 Land's End を過ぎ、ロンドン号がフランス西のビスケー湾に差し掛かった時に暴風が船を襲いました。  乗客 263名中3名だけが救命ボートで難を逃れることができたそうです。

★  沈み行く船の上でドレイパーは人々に呼びかけ、悔い改めを勧めたと、生存者が証言を残していたそうです。

  『この船は、船長の話によれば助かるチャンスは皆無であり、間もなく深い海の底へと沈没するので、私たち全員は死んでしまうのです。  私たちは滅び去り、陸地を二度とふたたび見ることはありません。  しかし、希望がひとつだけあります。
    私が信じている「船長さま」は、私たちを「天の港」へ、「永遠の憩いの港」へと安全に導いてくださるお方です。  皆さんは、今ここで罪を悔い、そのお方を信じ、天国を到着港とするようにしなさい...』と勧めたそうです。

  トレイパーの力強い最後の説得を受け入れた乗客も、船長を含む「海の荒くれ男」たちも、肉体が滅び行く前に、「船長イェス」を信じる者となったそうです。
  こうしてドレイパーの魂は、1866年1月11日、彼の信じていた「船長さま」の御国へ、船客と船員と共に無事に旅立って行ったのです。  豪州主要都市のメソジスト教会や神学校には夫婦を偲ぶ記念碑が建っているそうです。

★  私たちが一時的に住むこの地球衛星の上には、次から次にと、あらゆる種類の罪と悪が絶え間なく襲って来ています。  そして余りにも多くの魂が、神の恩寵を全く知らないで滅んで行っています。  『人が一度だけ死ぬことと、死んだ後にさばきを受けることが、人間に定まっている』とヘブル書9章27節は断言しています。

  『汝、汝の神に出会う備えをなせ!』とアモスは勧めています。  memento mori!