吾が主、吾が神!

ヨハネ傳20章28節

★  ガラテヤ書5章6節は、『貴いのは愛を通して働く信仰だけだ』と教えます。
『割礼があってもなくても、そのようなことは問題にもならない』というのです。
  どのような教団に属しているとか、どの教派に所属しているとか、豪華な礼拝堂があるとかないとか、塔のてっぺんに十字架があるとかないとか、オルガンがあるとかないとか...、そのようなことは救いに全く関係がない!ということです。

  そのようなシルシが私たちを救うわけではないのです。  救って下さるのはイェスです。  神の御子、我らの救い主、キリストが救って下さるのです。  その他のモノが私たちを救うのではないのです。  十字架も救いを表すシルシにしか過ぎません。十字架であれ、教会堂であれ、シルシが私たちの救い主ではあり得ないのです。

★  コリント前書1章22節~23節の信仰告白をもう一度よく読む必要があります。
  『ユダヤ人(自分は信仰が強いと自称する者)はシルシ(可視的なモノ)を請い、ギリシャ人(インテリだと自称して驕っている者)は(口先だけの)智恵を求める...
  しかし私たちは、十字架の上で磔刑にされた主イェス・キリストを宣べ伝える!』私たちは救い主イェス・キリストを愛し、礼拝するのです。  モノを拝みません。
  イェス・キリストだけが救い主です(使徒行伝2章36節、ピリピ書2章11節)。