Blest be the tie that binds
★ 原稿讚美歌 403番、旧讚美歌 403番、バプテスト教会系の新生讚美歌 367番に、
そして聖歌 314番、更にインマヌエル讚美歌 622番に今回の主題の讚美歌が掲載され
ています。 Blest be the tie that binds です。
珍しいことですが、旧讚美歌集に掲載されている翻訳詩と、インマヌエル讚美歌集
に掲載されている5節からなる翻訳詩がまったく同じなのには驚きました。
わが国の、明治後期から大正時代、あるいは昭和初期に到るクリスチャン同士が、
現在よりも自由に交わっていたからなのでしょうか?
この讚美歌は、わが国においては、しばしば別離や送別の席で歌われることが多い
ように思えます。 そして、私のアメリカでの限られた体験からも、そのような傾向
がない‥とは言えないように思います。 しかし実際にはそうではないのです。
この詩は、貧しい教会に仕えていた福音伝道者と、その集会に集っていた貧しい人
たちとの間の、豊かで堅い友情と親愛の絆を物語るものであったのです。
教会員たちを愛し仕える福音伝道者と、彼を慕う教会員たちの相互愛を、こん日の
日本の教会において捜し出すことは、次第に困難になりつつあるかと思います。
★ ジョン・フォッセット John Fawcett は、1740年1月6日、英国ヨークシャー州
のリジェット・グリーン Lidget Green, Yorkshireで生まれています。
死亡したのは同じくヨークシャー州のヘブデンHebdenというところで、1817年7月
26日でした。 そして同じ町のウエインズゲイト Wainsgate墓地に埋葬されました。
フォッセットが信仰を抱いたのは16歳のときでした。
大英帝国国内はもとより、新世界アメリカでもその名を知らない人はいないだろうと
囁かれ、かつまた、大いに尊敬されていた福音伝道者、英国カルヴァン派メソジスト
信仰復興運動の指導的説教者であったジョン・ホイットフィールド John Whitefield
(1714~1770)によって信仰に導かれています。
フォッセットは最初メソジスト教会に所属しましたが、3年後にブラッドフォード
のバプテスト教会に移りました。 そして彼がのちに埋葬されることになる同じ町、
ウエインズゲイトのバプテスト教会で伝道者として福音を語り始め、そして按手され
ています。
★ 1772年に到って、フォッセットはロンドンのカーター・レイン・バプテスト教会
から招聘を受けました。 それまでその教会に仕えていたギル牧師 J. Gillの辞任に
伴う人事異動によるものでした。 Carter's Lane Baptist Churchと綴ります。
なお、ブラッドフォードという町は、ロンドンからほぼ西 140キロのところにある
エイヴォン川に面した小さな町です。 エイヴォン川の上流から、人工運河を経て、
水路でロンドンまでつながっています。 エイヴォン川 Avon は、さらに西に伸び、
バス Bath やブリストル Bristol市を経て、セヴァーン湾 Severn Bay につながって
います。 そこから先は大西洋に‥です。
★ フォッセットがロンドンに向けて出発する日がやって来ました。
出発を前にフォッセットは最後の説教を終えました。 荷物が何台かのワゴンに分け
て積み込まれました。 準備は全て整えられました。 あとは出発の合図だけです。
しかし、出発の合図を出すはずのフォッセットは、なぜか『さあっ出発だ!』とは
とうてい言えなかったのです。
フォッセット牧師のロンドン向け出発を目前にしながらも、ブラッドフォード教会
の信者たちは、『牧師さん、ロンドンには行かんでくんなせ! ここに留まっていて
おくんなせ~ぇ!』と懇願し続けたのです。
自分のことを、それほどまでに愛してくれているブラッドフォードの人々の信頼と
愛情の深さと尊さを改めて教え示されたフォッセットは、人々を見捨ててロンドンに
出かけるという自分の恐ろしさを、彼らの涙を見て、初めて気づかされたのです。
それまで自分を信じ愛してくれたウエインズゲイト教会の人々を思うとき、そして
また、それまで自分がこよなく愛し仕えて来たウエインズゲイト教会を、あとにする
ことなどとうていできるものではない!...と気づいたからでした。
このようにしてフォセットは、ロンドンへの栄転を取り止め、それまでと同じよう
に、同じ教会に、さらに大きな愛をもって教会に仕えることを決めたのです。
『わかった! みなさん! 私はロンドンに行かないよ! ここに残るよ!』との
牧師の涙声に教会員たちは喜びの歓声を上げたのです。 荷物を馬車から降ろし始め
たのです。
この時の感激をフォッセットは書き記したのです。
『我々の心を、キリストの愛でひとつに結びつける紐は、何と祝された、すばらしい
ものであろうか! ひとつの同じ心にするというクリスチャンの交わりは、まさしく
御国での聖徒たちの交わりそのものである!』...
この詩の原文の第一節は、へたな仮私訳ですが、このようになります。
★ 1793年にフォッセットは、ウエインズゲイトからそんなに遠く離れてはいない、
大きな港湾都市ブリストルにあったバプテスト教会の小中高校、すなわちアカデミー
の校長に招聘されたことがありましたが、このときも、同じ理由で、招きに応じよう
としませんでした。 1811年に到り、アメリカの神学校から神学博士号を受けていま
す。
★ ジョン・フォッセット牧師とウエインズゲイト・バプテスト教会のメンバーたち
とのあいだの美しい関係を、私は実にほほえましい、すばらしいものだと羨みます。
しかし、それと同時に、そのような理想的な関係とは、決してすばらしいものでは
なく、実はそれが「当たり前で普通の関係」であるということを私たちは覚えなけれ
ばならないということでしょう。 それが「ノーマルな関係」なのです。
しかし、現実には、主イェス・キリストの教会の中においても、フォセット牧師と
ウエインズゲイト教会の信者たちとの、「当たり前の関係」、「ノーマルな関係」が
理想的なものであると捉えなければならないという、悲しい現実があるのです。
日・韓・米・獨四ヶ国というごく限られた国々での、半世紀強にわたる、四、五百
前後の教会との交わりの経験でしか過ぎませんが、それでも私にはフォッセット牧師
と彼が仕えた教会との関係を、やはり「うらやましい、理想的な交わり」と認め得ざ
るを得ないということです。
大きな聖堂を誇るか、たくさんの教会員数を誇る教会でしたが、そこで牧師と教会
員とが「ノーマルな関係、美しい関係」にあることを感じたことが少なかったという
ことでした。 信者を利用して、偉そうに振る舞う自称牧師と、「僕仕」をとことん
こき使う教会役員達や信者たちが多いといいう悲しむべき現実でした。
もともと当たり前の関係であるべきものが、当たり前でない‥ということは、これ
は聖書的に考えてみれば、「標的をはずした関係」=「罪の関係」だと思うのです。
あるべき所にあるべきものが、そこにはなく、あってはならないものがそこに厳然
と存在している‥ということを、聖書は罪だと定義つけているのですから‥
最近のことでしたが、とある超保守的な信仰を堅持する都内東北部にある神学校を
卒業したという40歳代の独身青年にぜひ会ってやって欲しい‥という依頼をある邦人
女性宣教師から受けたことがありました。
生気を全く感じることのできなかった40歳代の男性でした。 腕を捲りあげて伝道
に専念したいというような願いも意欲をも全く抱いていない魅力のない男性でした。
超保守的な信仰を強要する、牧師一族が牛耳る教団の神学校の卒業生が述べた
希望とは、給料はこれこれ‥ 退職金はこれこれ‥ 休暇は年にこれこれ‥ 自然に
恵まれた所で葡萄栽培ができるようなゆとりのある教会がいい‥ でした。
ご帰宅を願いました。 しばらくして同じ男性がキリスト新聞に同様内容を述べた
求職募集広告を出しているのを読みました。 福音宣教は彼にとって「ショーバイ」
にしか過ぎないのです。 就職にしか過ぎないのです... あきれ返りました。
寒村僻地のこの小さなベタニヤ集会に、ときどき出席をしてくださるある地方都市
の教会に属されているあるご夫妻の教会の話では、比較的若い牧師が、牧師館を拡大
改築して欲しい‥ エヤコンをつけてくれ‥ 給料を上げてくれ‥ 子供のために室を
大きくしてくれ‥ と、いろいろな要求が飛び出してくるのだそうです。
これも召命感の欠落した、一種の「ショーバイ・ビジネス」として福音宣教を捉え
ているサラリーマン牧師の姿ではないかと受け止めていますが、私にはとうてい理解
することができない、若い今どきのショーバイとしての牧師像だと思います。
その一方で、若い牧師さんだけではなく、契約牧師というのもあるようです。
アメリカの教会からのサポートを得て、十年前後の単位で、どこかの教会に「赴任」
するのですが、契約期間が終わればたちまちその教会を見捨て、別の「就職先」へと
「転職」を繰り返していた人がいたことを、私は身近に知っていました。
福音のために命を賭ける・懸けるということはないのです。 主イェスとその教会
に仕える‥ という発想は完全に欠落しているのです。 円の切れめは縁の切れめ‥
福沢諭吉(1万円札)がご主人なのです。 牧師というショーバイなのです。
★ そのような自称「牧師」がいるかと思えば、社会的にも、経済的にも、きわめて
困難な状況の中にあって、何ひとつ愚痴をこぼさず、もくもくと数名の教会員に仕え
るかたわら、その地域社会の中の弱者たちのために奉仕を続ける無名の伝道者たちも
確かに存在しているのです。 脱帽です。 すばらしい生き方をする「僕仕」です。
そうかと言えば、大きな都会教会に仕えるある牧師ご夫妻を私は知っています。
まさしく「僕仕」そのものです。 教会が大きくなればなるほど、教会の中には問題
も大きくなり、複雑になってゆくのが普通です。
群れの中に自分中心の交じわりを構築し、その教会や牧師家族に対して分派行動や
ら不和を招き入れる人々がいたことを、しばしば私は見て来ました。
それでもひたすらに教会員に対して公平に、文句も言わず、仕え尽くしている牧師
夫妻を私は目撃しています。 車椅子にだれだれさんを乗せて、牧師が商店街を歩い
た... こんどは私が車椅子に乗る番だ... そのような要求をする大きな教会に仕える
牧師は気の毒です。 しかし、牧師は微笑みながら、何も言わずに教会員たちに仕え
ています。
自分が仕えている教会員以外に、その「僕仕」は在日外国人の人権擁護のための奉
仕も忘れてはいないのです。 しかし、多くの場合、お世話になっている牧師に対し
て、外国人の中には、牧師の善意を利用してやろう...とする人が絶えないのです。
何であれ、自分にとって都合のよいように牧師を利用しようとする人々も多いので
す。 物事がうまくいっていればそれが当たり前、すこしでも気に食わなければ激し
く牧師を攻撃したり、あるいは陰に回って陰湿な牧師いじめをやったり、挙げ句の果
てには教会の中をかき回したあと、何の挨拶もなく、何人かの仲間を誘って別の教会
に移って行く‥ということも、私は多くの教会で見てきました。
教会のために、牧師のために、牧師家族のために何かをする...という発想は完全に
欠落している場合がほとんどであったと思います。 まことに恐ろしい世の中です。
英語で言いますと、What can I do for church? 私は教会に何をすることができる
のか? What can I do for the preacher and his family? 牧師さんとその家族の
ために自分は何ができるのか? という単純な自問自答すらできないのです。
いつも me-ism 自分中心主義が教会のメンバーの中に強く働いているのです。
そうかと思えば、日本の教会では、ほとんどの場合、3年か4年周期で人々が入れ
替わるのだから、そのような信者たちを信じたり、教会のことを任せることはできな
い...と、堂々とそのように私に語った牧師がいたことも覚えています。
またその反対に、若い牧師が、さらなる聖書の勉強をしたいと教会に申し出たとき
に、次の牧師を連れてこないのなら辞任に同意しない... どこかの教会の牧師を連れ
て来い... と、そのような要求をする長老たちがいることも知っています。
別な言い方をして見ますと、『どこかの教会から誰でもよいから、なるべくなら、
外国で牧師教育を受けた牧師をかっぱらって来い! そうすりゃ行かせてやるぞ!』と
いうことです。 恐ろしい、悪魔的な発想です。 このような教会では、おとなしい
牧師ならば、サムソンを地下牢に閉じ込めたままで、死ぬまで石臼を廻させよう‥と
した聖書物語が、当然のこととしてまかり通ってしまう‥ということになります。
この場合の長老とは、一種の社会的名誉職であって、聖書が語る長老とは全く関係
のない、別な役職のことです。 教会の霊的指導者として、教会に仕える者としての
資格を欠いた、恐ろしい人物だと思います。
★ いろいろな人々が主イェス・キリストの教会の中にはいるものです。
教会とそこに集う人々のことを思い、立身出世の道、名誉を求める道を、自らの思い
で拒絶したフォッセットのような牧師もおれば、そうではなく、自分のパンを確保す
ることだけに集中する自称・他称する「偉い牧師先生さま」もおります。
自分たちのためにとことん捧げ切って仕えてくれている牧師を、物心両面から暖か
く支えながら、みんながひとつの心となって、主イェスの栄光のために尽くす教会も
あります。
この半世紀と少々の伝道者としての歩みの中で、前述のように、日・米・韓・獨の
数百の教会と、その牧師たちと信者さんたちの相互に対する在り方を、私なりに身近
に観察して来ました。
そして、牧師と信者さんたちが、主イェス・キリストとその愛の中に在って、互い
に愛し合いながら、信じ合いながら、助け合いながら、神さまの栄光のために尽くし
あっている信仰の共同体としての教会が、思ったよりも少な過ぎるということを徐々
に私は見いだして来ました。 フォッセットとウエストゲイン教会とのあいだのよう
な美しい信仰と相互敬愛の念に燃えている教会を見いだすことが少なかったと思うの
です。
★ 『神によりて慈しめる友の交わりはいとも楽し‥』
教会全体がひとつの主、ひとつの思い、ひとつの奉仕の中で、ひとつとなれることを
心から願うものです。如何なものでしょうか?
★ 最後に作曲家のことを簡単に紹介しておきます。
スイス北部チューリヒの近くのヴッツィコン Wetzikon, Switzerland で1773年5月
26日に生まれた、ハンス・ゲオルグ・ネーゲリ Hans Georg Nageliが作曲したもので
す。
たぶんネーゲリで良いと思いますが、私はドイツ語の発音に慣れていませんので、
ご勘弁願います。 スイスの音楽教育家で、ペスタロッチの教育思想を音楽のうえに
発展させ、音楽と体育、およびすべての美的教育との緊密な関連に努力をした人物で
あったようです。 合唱曲、歌曲、ピアノ曲などの作品があるようです。
亡くなったのも同じ町です。 1836年12月26日でチューリヒに埋葬されています。
牧師の息子でした。 「スイス全体を歌わせる国にした男」とさえ言われている人物
です。
実際にネーゲリはポピュラー曲や民謡でスイス国民を酔わせた人だと考えられてい
ました。 そしてネーゲリが歌った曲のいくつかは現在でも世界各地にあるビールを
飲める広場で歌われている‥と言われています。 スイス各地に合唱グループを誕生
させたことでも有名だそうです。 フライドリッヒ・ジルハー Friedrich Silcherと
交流が深かったと言われています。
ただし私の勉強不足で、この人がどのような人であったのか‥詳しいことはわかり
ませんが、ドイツの作曲家で、簡素な歌曲や合唱曲を作曲した人物のようです。
1789~1860を生きた人です。 彼の作品の中には、わが国でも広く愛され歌われて
いる「ローレライ」や「わかれ」があります。 ネーゲリのことをたいそう尊敬して
いた人物であったようです。
イギリス人フォッセットが作詞した詩が、どのようないきさつでスイス人ネーゲリ
の手に渡って、私たちが知っている曲がつけられたのか、それは今の段階の私の能力
ではわかりません。 いずれにせよ、美しいものは、とりわけ神さまを讚美するもの
は末長く世界中の人々の心の中に残るものだと、あらためて教えられたものです。
そして聖歌 314番、更にインマヌエル讚美歌 622番に今回の主題の讚美歌が掲載され
ています。 Blest be the tie that binds です。
珍しいことですが、旧讚美歌集に掲載されている翻訳詩と、インマヌエル讚美歌集
に掲載されている5節からなる翻訳詩がまったく同じなのには驚きました。
わが国の、明治後期から大正時代、あるいは昭和初期に到るクリスチャン同士が、
現在よりも自由に交わっていたからなのでしょうか?
この讚美歌は、わが国においては、しばしば別離や送別の席で歌われることが多い
ように思えます。 そして、私のアメリカでの限られた体験からも、そのような傾向
がない‥とは言えないように思います。 しかし実際にはそうではないのです。
この詩は、貧しい教会に仕えていた福音伝道者と、その集会に集っていた貧しい人
たちとの間の、豊かで堅い友情と親愛の絆を物語るものであったのです。
教会員たちを愛し仕える福音伝道者と、彼を慕う教会員たちの相互愛を、こん日の
日本の教会において捜し出すことは、次第に困難になりつつあるかと思います。
★ ジョン・フォッセット John Fawcett は、1740年1月6日、英国ヨークシャー州
のリジェット・グリーン Lidget Green, Yorkshireで生まれています。
死亡したのは同じくヨークシャー州のヘブデンHebdenというところで、1817年7月
26日でした。 そして同じ町のウエインズゲイト Wainsgate墓地に埋葬されました。
フォッセットが信仰を抱いたのは16歳のときでした。
大英帝国国内はもとより、新世界アメリカでもその名を知らない人はいないだろうと
囁かれ、かつまた、大いに尊敬されていた福音伝道者、英国カルヴァン派メソジスト
信仰復興運動の指導的説教者であったジョン・ホイットフィールド John Whitefield
(1714~1770)によって信仰に導かれています。
フォッセットは最初メソジスト教会に所属しましたが、3年後にブラッドフォード
のバプテスト教会に移りました。 そして彼がのちに埋葬されることになる同じ町、
ウエインズゲイトのバプテスト教会で伝道者として福音を語り始め、そして按手され
ています。
★ 1772年に到って、フォッセットはロンドンのカーター・レイン・バプテスト教会
から招聘を受けました。 それまでその教会に仕えていたギル牧師 J. Gillの辞任に
伴う人事異動によるものでした。 Carter's Lane Baptist Churchと綴ります。
なお、ブラッドフォードという町は、ロンドンからほぼ西 140キロのところにある
エイヴォン川に面した小さな町です。 エイヴォン川の上流から、人工運河を経て、
水路でロンドンまでつながっています。 エイヴォン川 Avon は、さらに西に伸び、
バス Bath やブリストル Bristol市を経て、セヴァーン湾 Severn Bay につながって
います。 そこから先は大西洋に‥です。
★ フォッセットがロンドンに向けて出発する日がやって来ました。
出発を前にフォッセットは最後の説教を終えました。 荷物が何台かのワゴンに分け
て積み込まれました。 準備は全て整えられました。 あとは出発の合図だけです。
しかし、出発の合図を出すはずのフォッセットは、なぜか『さあっ出発だ!』とは
とうてい言えなかったのです。
フォッセット牧師のロンドン向け出発を目前にしながらも、ブラッドフォード教会
の信者たちは、『牧師さん、ロンドンには行かんでくんなせ! ここに留まっていて
おくんなせ~ぇ!』と懇願し続けたのです。
自分のことを、それほどまでに愛してくれているブラッドフォードの人々の信頼と
愛情の深さと尊さを改めて教え示されたフォッセットは、人々を見捨ててロンドンに
出かけるという自分の恐ろしさを、彼らの涙を見て、初めて気づかされたのです。
それまで自分を信じ愛してくれたウエインズゲイト教会の人々を思うとき、そして
また、それまで自分がこよなく愛し仕えて来たウエインズゲイト教会を、あとにする
ことなどとうていできるものではない!...と気づいたからでした。
このようにしてフォセットは、ロンドンへの栄転を取り止め、それまでと同じよう
に、同じ教会に、さらに大きな愛をもって教会に仕えることを決めたのです。
『わかった! みなさん! 私はロンドンに行かないよ! ここに残るよ!』との
牧師の涙声に教会員たちは喜びの歓声を上げたのです。 荷物を馬車から降ろし始め
たのです。
この時の感激をフォッセットは書き記したのです。
『我々の心を、キリストの愛でひとつに結びつける紐は、何と祝された、すばらしい
ものであろうか! ひとつの同じ心にするというクリスチャンの交わりは、まさしく
御国での聖徒たちの交わりそのものである!』...
この詩の原文の第一節は、へたな仮私訳ですが、このようになります。
★ 1793年にフォッセットは、ウエインズゲイトからそんなに遠く離れてはいない、
大きな港湾都市ブリストルにあったバプテスト教会の小中高校、すなわちアカデミー
の校長に招聘されたことがありましたが、このときも、同じ理由で、招きに応じよう
としませんでした。 1811年に到り、アメリカの神学校から神学博士号を受けていま
す。
★ ジョン・フォッセット牧師とウエインズゲイト・バプテスト教会のメンバーたち
とのあいだの美しい関係を、私は実にほほえましい、すばらしいものだと羨みます。
しかし、それと同時に、そのような理想的な関係とは、決してすばらしいものでは
なく、実はそれが「当たり前で普通の関係」であるということを私たちは覚えなけれ
ばならないということでしょう。 それが「ノーマルな関係」なのです。
しかし、現実には、主イェス・キリストの教会の中においても、フォセット牧師と
ウエインズゲイト教会の信者たちとの、「当たり前の関係」、「ノーマルな関係」が
理想的なものであると捉えなければならないという、悲しい現実があるのです。
日・韓・米・獨四ヶ国というごく限られた国々での、半世紀強にわたる、四、五百
前後の教会との交わりの経験でしか過ぎませんが、それでも私にはフォッセット牧師
と彼が仕えた教会との関係を、やはり「うらやましい、理想的な交わり」と認め得ざ
るを得ないということです。
大きな聖堂を誇るか、たくさんの教会員数を誇る教会でしたが、そこで牧師と教会
員とが「ノーマルな関係、美しい関係」にあることを感じたことが少なかったという
ことでした。 信者を利用して、偉そうに振る舞う自称牧師と、「僕仕」をとことん
こき使う教会役員達や信者たちが多いといいう悲しむべき現実でした。
もともと当たり前の関係であるべきものが、当たり前でない‥ということは、これ
は聖書的に考えてみれば、「標的をはずした関係」=「罪の関係」だと思うのです。
あるべき所にあるべきものが、そこにはなく、あってはならないものがそこに厳然
と存在している‥ということを、聖書は罪だと定義つけているのですから‥
最近のことでしたが、とある超保守的な信仰を堅持する都内東北部にある神学校を
卒業したという40歳代の独身青年にぜひ会ってやって欲しい‥という依頼をある邦人
女性宣教師から受けたことがありました。
生気を全く感じることのできなかった40歳代の男性でした。 腕を捲りあげて伝道
に専念したいというような願いも意欲をも全く抱いていない魅力のない男性でした。
超保守的な信仰を強要する、牧師一族が牛耳る教団の神学校の卒業生が述べた
希望とは、給料はこれこれ‥ 退職金はこれこれ‥ 休暇は年にこれこれ‥ 自然に
恵まれた所で葡萄栽培ができるようなゆとりのある教会がいい‥ でした。
ご帰宅を願いました。 しばらくして同じ男性がキリスト新聞に同様内容を述べた
求職募集広告を出しているのを読みました。 福音宣教は彼にとって「ショーバイ」
にしか過ぎないのです。 就職にしか過ぎないのです... あきれ返りました。
寒村僻地のこの小さなベタニヤ集会に、ときどき出席をしてくださるある地方都市
の教会に属されているあるご夫妻の教会の話では、比較的若い牧師が、牧師館を拡大
改築して欲しい‥ エヤコンをつけてくれ‥ 給料を上げてくれ‥ 子供のために室を
大きくしてくれ‥ と、いろいろな要求が飛び出してくるのだそうです。
これも召命感の欠落した、一種の「ショーバイ・ビジネス」として福音宣教を捉え
ているサラリーマン牧師の姿ではないかと受け止めていますが、私にはとうてい理解
することができない、若い今どきのショーバイとしての牧師像だと思います。
その一方で、若い牧師さんだけではなく、契約牧師というのもあるようです。
アメリカの教会からのサポートを得て、十年前後の単位で、どこかの教会に「赴任」
するのですが、契約期間が終わればたちまちその教会を見捨て、別の「就職先」へと
「転職」を繰り返していた人がいたことを、私は身近に知っていました。
福音のために命を賭ける・懸けるということはないのです。 主イェスとその教会
に仕える‥ という発想は完全に欠落しているのです。 円の切れめは縁の切れめ‥
福沢諭吉(1万円札)がご主人なのです。 牧師というショーバイなのです。
★ そのような自称「牧師」がいるかと思えば、社会的にも、経済的にも、きわめて
困難な状況の中にあって、何ひとつ愚痴をこぼさず、もくもくと数名の教会員に仕え
るかたわら、その地域社会の中の弱者たちのために奉仕を続ける無名の伝道者たちも
確かに存在しているのです。 脱帽です。 すばらしい生き方をする「僕仕」です。
そうかと言えば、大きな都会教会に仕えるある牧師ご夫妻を私は知っています。
まさしく「僕仕」そのものです。 教会が大きくなればなるほど、教会の中には問題
も大きくなり、複雑になってゆくのが普通です。
群れの中に自分中心の交じわりを構築し、その教会や牧師家族に対して分派行動や
ら不和を招き入れる人々がいたことを、しばしば私は見て来ました。
それでもひたすらに教会員に対して公平に、文句も言わず、仕え尽くしている牧師
夫妻を私は目撃しています。 車椅子にだれだれさんを乗せて、牧師が商店街を歩い
た... こんどは私が車椅子に乗る番だ... そのような要求をする大きな教会に仕える
牧師は気の毒です。 しかし、牧師は微笑みながら、何も言わずに教会員たちに仕え
ています。
自分が仕えている教会員以外に、その「僕仕」は在日外国人の人権擁護のための奉
仕も忘れてはいないのです。 しかし、多くの場合、お世話になっている牧師に対し
て、外国人の中には、牧師の善意を利用してやろう...とする人が絶えないのです。
何であれ、自分にとって都合のよいように牧師を利用しようとする人々も多いので
す。 物事がうまくいっていればそれが当たり前、すこしでも気に食わなければ激し
く牧師を攻撃したり、あるいは陰に回って陰湿な牧師いじめをやったり、挙げ句の果
てには教会の中をかき回したあと、何の挨拶もなく、何人かの仲間を誘って別の教会
に移って行く‥ということも、私は多くの教会で見てきました。
教会のために、牧師のために、牧師家族のために何かをする...という発想は完全に
欠落している場合がほとんどであったと思います。 まことに恐ろしい世の中です。
英語で言いますと、What can I do for church? 私は教会に何をすることができる
のか? What can I do for the preacher and his family? 牧師さんとその家族の
ために自分は何ができるのか? という単純な自問自答すらできないのです。
いつも me-ism 自分中心主義が教会のメンバーの中に強く働いているのです。
そうかと思えば、日本の教会では、ほとんどの場合、3年か4年周期で人々が入れ
替わるのだから、そのような信者たちを信じたり、教会のことを任せることはできな
い...と、堂々とそのように私に語った牧師がいたことも覚えています。
またその反対に、若い牧師が、さらなる聖書の勉強をしたいと教会に申し出たとき
に、次の牧師を連れてこないのなら辞任に同意しない... どこかの教会の牧師を連れ
て来い... と、そのような要求をする長老たちがいることも知っています。
別な言い方をして見ますと、『どこかの教会から誰でもよいから、なるべくなら、
外国で牧師教育を受けた牧師をかっぱらって来い! そうすりゃ行かせてやるぞ!』と
いうことです。 恐ろしい、悪魔的な発想です。 このような教会では、おとなしい
牧師ならば、サムソンを地下牢に閉じ込めたままで、死ぬまで石臼を廻させよう‥と
した聖書物語が、当然のこととしてまかり通ってしまう‥ということになります。
この場合の長老とは、一種の社会的名誉職であって、聖書が語る長老とは全く関係
のない、別な役職のことです。 教会の霊的指導者として、教会に仕える者としての
資格を欠いた、恐ろしい人物だと思います。
★ いろいろな人々が主イェス・キリストの教会の中にはいるものです。
教会とそこに集う人々のことを思い、立身出世の道、名誉を求める道を、自らの思い
で拒絶したフォッセットのような牧師もおれば、そうではなく、自分のパンを確保す
ることだけに集中する自称・他称する「偉い牧師先生さま」もおります。
自分たちのためにとことん捧げ切って仕えてくれている牧師を、物心両面から暖か
く支えながら、みんながひとつの心となって、主イェスの栄光のために尽くす教会も
あります。
この半世紀と少々の伝道者としての歩みの中で、前述のように、日・米・韓・獨の
数百の教会と、その牧師たちと信者さんたちの相互に対する在り方を、私なりに身近
に観察して来ました。
そして、牧師と信者さんたちが、主イェス・キリストとその愛の中に在って、互い
に愛し合いながら、信じ合いながら、助け合いながら、神さまの栄光のために尽くし
あっている信仰の共同体としての教会が、思ったよりも少な過ぎるということを徐々
に私は見いだして来ました。 フォッセットとウエストゲイン教会とのあいだのよう
な美しい信仰と相互敬愛の念に燃えている教会を見いだすことが少なかったと思うの
です。
★ 『神によりて慈しめる友の交わりはいとも楽し‥』
教会全体がひとつの主、ひとつの思い、ひとつの奉仕の中で、ひとつとなれることを
心から願うものです。如何なものでしょうか?
★ 最後に作曲家のことを簡単に紹介しておきます。
スイス北部チューリヒの近くのヴッツィコン Wetzikon, Switzerland で1773年5月
26日に生まれた、ハンス・ゲオルグ・ネーゲリ Hans Georg Nageliが作曲したもので
す。
たぶんネーゲリで良いと思いますが、私はドイツ語の発音に慣れていませんので、
ご勘弁願います。 スイスの音楽教育家で、ペスタロッチの教育思想を音楽のうえに
発展させ、音楽と体育、およびすべての美的教育との緊密な関連に努力をした人物で
あったようです。 合唱曲、歌曲、ピアノ曲などの作品があるようです。
亡くなったのも同じ町です。 1836年12月26日でチューリヒに埋葬されています。
牧師の息子でした。 「スイス全体を歌わせる国にした男」とさえ言われている人物
です。
実際にネーゲリはポピュラー曲や民謡でスイス国民を酔わせた人だと考えられてい
ました。 そしてネーゲリが歌った曲のいくつかは現在でも世界各地にあるビールを
飲める広場で歌われている‥と言われています。 スイス各地に合唱グループを誕生
させたことでも有名だそうです。 フライドリッヒ・ジルハー Friedrich Silcherと
交流が深かったと言われています。
ただし私の勉強不足で、この人がどのような人であったのか‥詳しいことはわかり
ませんが、ドイツの作曲家で、簡素な歌曲や合唱曲を作曲した人物のようです。
1789~1860を生きた人です。 彼の作品の中には、わが国でも広く愛され歌われて
いる「ローレライ」や「わかれ」があります。 ネーゲリのことをたいそう尊敬して
いた人物であったようです。
イギリス人フォッセットが作詞した詩が、どのようないきさつでスイス人ネーゲリ
の手に渡って、私たちが知っている曲がつけられたのか、それは今の段階の私の能力
ではわかりません。 いずれにせよ、美しいものは、とりわけ神さまを讚美するもの
は末長く世界中の人々の心の中に残るものだと、あらためて教えられたものです。