★ 敗戦後に京王線桜上水駅と上北沢駅との中間点にアメリカ人宣教師タッピング嬢が住んでおられたタッピング・ハウスに入れ替わり立ち替わりアメリカ人宣教師夫妻が住むようになりました。 それらの宣教師の誘いを受けて東京中央キリストの教会の集会に参加するようになりました。 現在の御茶の水キリストの教会です。
そのことから若い宣教師たちと接することになり、極めて自己中心的で律法主義的で排他的な教義を堅持していた教派に、この世で生きる限り、何となく属すようになりました。 この頃では、主イエス・キリストの教会に属したいと願っています。
その教派では、自分たちだけが唯一正統なクリスチャンであって、自分たちの教会だけが新約聖書の教えることを忠実に守っている教会である・・・と教えていました。
他の教派は、すべて堕落してしまっている教派、教会であり、自分たちが示す教会の姿だけが新約聖書教会の本当の姿である。
それを取り戻すことによって、そこで初めてクリスチャンの一致をつくることが可能となるのだ・・・などと、傲慢不遜なことを私たち日本人青年に宣教師たちが吹き込み、洗脳していました。何も知らなかった多くの者がすっかり信じ込みました。
聖霊不在の、終末信仰不在の行為義認主義を徹底的に吹き込もうとしていました。恐ろしい群れ、哀れな群れでした。 それを拒否した私は異端者扱いを受けました。
★ 昨秋に母校の一つ、ペパダイン大学が設立した教会史センターに大量の書籍類を寄贈しました。これで一つのけじめがついたように考えています。
私たちの群れの小さな伝道者学院の開設記念礼拝が昨秋ありました。午後の集会で私に何か話すようにと誘われ、「寿則多辱」と題して、自分の信仰人生を振り返って眺め、恩寵によって生かされてきた人生を述べました。その続きとして、基督者の一致について述べたいと願いましたが時間不足で述べ得ませんでした。
★ 述べたいと願った主旨は、「基督者の一致はイェス・キリスに在って最初から存在している・・・」ということです。そのうちに文書化したいと願っています。
ヨハネ傳10章16節とエペソ書4章3節を中心に考えたことです。
一致とは、私たち人間の手で作り上げるものでもなく、築きあげることが出来る性質のものでもありません。最初から十字架を通して与えられているものです。
私たちには、基督者の一致を大切に保ち守ることが求められているのです。