『日暮れて四方は暗し吾が魂はいと寂し』

                         Abide with me: fast falls the eventide
                                                     讚美歌39番

★  残りの空白紙面を埋める積もりですので簡単に讚美歌39番を説明しておきます。
この美しい讚美歌については、また改めて正式に紹介する予定でいます。

★  まず作曲家のほうです。  ウイリアム・モンク William H. Monk、 1823~1889を
生きた英国人です。  英国国教会に関係した優れた音楽家でした。
私が調べた範囲でも約50前後の讚美歌を作詞作曲しています。
  この讚美歌39番の詩に作曲した動機は、晩秋の夕べ、西空を焼きながら静かに沈ん
で行く夕日を眺め、深い感動に誘われて作曲したのだそうです。

★  作詞者はスコットランド生まれのヘンリー・フランシス・ライテ Henry Francis
Lyte, 1793~1847です。  幼児期に孤児となり人生の寂しさを味わった人です。
アイルランドのダブリンにあった有名なトリニィテー・カレッジに学んでいます。

  人としての寂しさを充分に味わったからだと推測しますが、詩人として有名になっ
た人です。  22歳、1815年に按手され、アイルランドとイングランド西部各地の教会
で牧会をしましたが、牧会人生の殆どをイングランドのデヴォンシアの全聖徒教会で
仕えています。  All Saints Church, Brixham, Devonshire, England です。

★  ライテが書き遺したものに2冊の詩集があります。ここでは省略しておきます。
彼が遺した讚美歌は、私が調べたものだけでも百篇ほどあります。
落ち着いて彼の作品のすべてを調べたわけではありませんが、例えば日本語讚美歌の
 336番に『主イェスよ、十字架を御手より受けて...』という奇麗な作品があります。

  讚美歌39番をライテが書いたのは、彼が自分の死期を間近に意識して書いたもので
す。  太平洋戦争敗戦後まで、結核という病気を癒す薬はなく、人類の多くが結核で
死んでいったのです。  ライテも結核に冒され、死期を明確に自覚していたのです。

  この讚美詩を書き終えた次の日曜日にライテは教会でお別れの説教をしました。
そして健康回復を試みて、暖かいイタリヤへと保養に出かけたのでした。
  しかしイタリヤまで到達することはできませんでした。  フランス南東部の港町、
ニースに辿り着いたとき、すなわち、この讚美詩を書き終えて3週間目に、天国へと
旅たったのです。  ライテの最後の説教の要旨を以下に紹介しておきます。

★  『兄弟たち:  死せる者たちの中から(野村注で:イェスの復活の力によって)
私は生かされて、皆さんがたのあいだに立っています。
  それは、もし私が皆さんがたを印象づけることが許されるのであるならば、そして
皆さんがたに影響を与えて、皆さんがたを誘導することが許されるのであれば、私は
すべての者たちに平等に訪れてくる、キリストの死によって心得のある、あの厳粛な
(最後の)時に対して、皆さんがたに心の備えをして頂きたく、私はここに、皆さん
がたの中に、今ここに立っているのです...』という主旨の最後の別れの説教を遺した
のです。  まさしく伝道者として memento mori の最後の言葉であったのです。

★  私も、この晩秋が私たちの人生の晩秋を気づかせてくれるように祈るものです。