多数決か信仰堅持か


★  ブッシュ保守政権に飽きたアメリカ人が、「変化」を主張するオバマを大統領に選んだものの、一朝一夕で急激な変化を見ることができず、オバマ人気も凋落。
  敗戦後長期に渉って我が国を牛耳って来た保守政党の政策に不満を表した日本国民が、変化を謳った小沢・鳩山を選んでみたものの、政治資金で躓いて、支持率低下を招いている現状がある。  沖縄基地問題は歴代自由党政権の愚策の結果であろう。

  日米両国共に多数決で選んだ政府が国民の期待を満たせないことを示している。
罪ある人間が人間を治めるということは、神の前に恩寵を得て出直した筈のノアが、泥酔し全裸で前後不覚で寝込んでしまったという失策でもわかるように、殆ど不可能なことである。  士師記の最後の節がそのことをいみじくも語っている。

  多数決が絶対に正しければ、イスラエルの民はエジプトの奴隷としてエジプトの地に残り、解放されることはなかったであろう。  兄弟姉妹の反対の声に従っておれば少年ダビデはゴリアテに立ち向かうことはなかったであろう。

★  聖書は私たちに、私たちが自ら神を選び、神に仕えることを勧めている。
出エジプト記14章11節~14節、ヨシュア記24章14節~15節、士師記21章25節、更にサムエル前書8章7節、同じく17章1節~49節などの聖句が、私たちは他人の意見や多数決の声に従うのではなく、自分自身の判断と決意で主の道を最後まで歩み続けること、自分の十字架を自分自身の意志で担い、主の道を主に従って求道・巡礼航路を選んで、進んで行くことを求めていると知るのです。

  詩篇51編10節と17節、あるいはテサロニケ後書3章5節の聖句がそのように勧めています。  神の国を目指すということは、日々の生活の場で体験し続けて行くことだと私は考えています。  他人のことではなく、まず自分の魂の在り方のことです。