もっと入れれば、もっと貰えたのに


★  獨逸から新世界に移民し、聖書を深く学び、説教者となられた恩師にR.H.ボールRobert Henry Boll(1875-1956)と仰しゃる温厚で優れた霊的指導者がおられました。
今回は、そのボール先生のことではないと思いますが、ボール先生との関係で耳にした小話がありますので、そのことから入ります。

★  ある説教者が(ボール先生ではないと思うのですが)ある教会の特別集会の講師として招かれたことがありました。  教会堂に入ってすぐの所の壁面に古ぼけた小箱が掛けられているのを見たその説教者は、その箱が世界宣教か福祉施設への献金用の箱だと思い、当時としては大きな金額であった、$5をそうっと捧げておきました。

  集会が終わったとき、その教会の牧師が小箱を壁からはずして、中から$5紙幣を取り出し、招かれた説教者に近づき、みんなの前で説教者に手渡しました。

  『うちの教会では、お招きした説教者に謝礼金として支払うために、この箱が用意してあるんです。  今日の集会のために、うちの教会員たちが今日の特別集会のために捧げた$5ドル紙幣をどうぞ受け取って下さい』...でした。

  自宅に戻った説教者は、集会のことを、食事をしながら、妻に報告していました。
両親の会話を聞いていた幼い男の子が、そのとき次のように父親に言ったそうです。

  『パパ、もっとたくさんのお金を箱に入れておけば、もっと頂けたのに!』...
息子のその発言を聞いた説教者夫婦は、『何も言えなかった』のだそうです。

  (ボールご夫妻には嬰児のまま天に召されたお嬢ちゃんを含めて、お嬢さんが他に二人ありました。  発言したのは男の子ですから、この逸話はボール家のものでないということになります。  なぜかボール家とこの逸話が私の耳に届いたのです)

★  「たくさん捧げれば、たくさん頂ける...」と子供が呟いたこととの関連ですが、聖書は、読めば読むほど、もっとさらにたくさんの祝福を頂ける書物なのです。

  ボール先生は黙示録をよく読まれ、よく祈られた先生であったと記憶しています。
そういう意味で、私たちの多くは、黙示録に接することが少ないようです。どのように黙示録を読めばよいのか...  各自が考えてみるのがよいと思います。

  ある人は、黙示録は、理解するのが困難な書だから読まない‥と告白されます。
私たち一般人が読んでもわからない書物を神さまがお与えになるはずがない‥と言う人もいます。  聖書が開かれた書であるので、いろいろな意見が出てくるようです。

  むつかしいので読めない、読まない‥というのではなく、初めからそのように決めこんでしまって読まないからむつかしいのではないのか‥という人もいます。

  いずれであれ、とにかく読むことから始まります。
読むという意味は1回や2回さっと目を通すというような読み方ではなく、何十回、何百回と、むさぼるように読むということですし、創世記の初めから黙示録の終わりまでを、神さまの人間に対する救いの計画という主題のもとで読むという意味です。

  「もう少したくさん捧げておけば、もう少したくさん頂けたのに!」とつぶやいた男の子のように、もう少したくさん聖書を読んでみる必要があるのです。  如何?

 今は朧げ、その日にははっきり<<< ひとつ前の記事は | 次の記事は >>> 戸惑いの時に
メインページ | サイトマップ