(キリストと称するイェスをどうするのか?)
★ 神さまの「お召しのとき」が迫っているという、一種の楽しい期待と、その時がいつ来ようとも、常に良く準備が整っているようにしておきたいという一種の緊張感が日々次第に強くなって来ているように感じています。
★ そのことを意識し、1968年~1980年初期までの間に秘かに撮影をしてあった韓国各地、とりわけソウル市内の清渓川貧民窟内部を撮影したおいたフィルムとカラー・スライドなど数千駒、日本の朝鮮植民地統治下に発売された朝鮮関連写真集、さらに日本で発売された朝鮮戦争時の記録写真集、朝鮮半島の詳細な畳サイズの大型地図を何点か、そしてさらに、嘗て流通していた韓国通貨など多くの物品を、去る2006年2月、母の友人を介して、ソウル歴史博物館に贈呈することができました。
★ 次に、昨秋には、留学第3番目の母校ペパダイン大学に、教会史関連英文諸資料半トン弱を贈呈しました。 その中には相当な価値のある古文書もありました。
同校には、あともう一回、梱包して送り出す資料が残っています。
★ 先々週からは、個人的資料の整理と大量の書類の廃棄処分を開始しました。
1954~1957年の間に留学したケンタッキー聖書大学とロサンゼルスのバイオラ大学での手書きのクラス・ノートや、試験の解答用紙などを、資源分別ゴミとして処分し始めました。 これまたずいぶんな量になりました。
★ それらのノートを廃棄する前に、いちおうノートに目を通しました。
ケンタッキーのノートの中に、マタイ傳27章22節に記されているローマ帝国占領軍総督ピラトの戸惑いのひとことに関するメモを見いだしました。
『さらば我、キリストと称ふるイェスを、如何になすべきや?』...です。
ノートは、私の信仰人生に決定的な影響を与えてくださったマレンズ Frank. M.Mullins Sr. 先生のクラスで私がメモしておいたものでした。
『イェスは吾が救い主、神の独り子、神により油注がれしキリストなり』...と口先で告白することは、かつての帝国憲法下で、特高と憲兵が目を光らせていた日本や、現在の北朝鮮のように、命をかけなければならないような、そのような決意や困難を伴うようなことでは、現在では、なさそうに思えます。
しかし、信仰告白を誠実に実践しようとすれば、相当な覚悟が必要なことに何らの変わりもありません。 『キリストと称えるイェスをどうするつもりなのか?』
物質万能主義、拝金主義、権力絶対主義、弱肉強食主義の現在の日本に在っては、「イェスのみ」という信仰や聖書信仰一本槍を貫くことは極めて困難なことです。
マタイ傳6章19節~34節でイェスが問いかけておられる深刻な問題があるからです。
★ 『キリストと称されているイェスという男を、この自分は、一体全体どうしようとしているのか?』という、総督ピラトの重要な質問との関係で二人の人物のことをここで考えてみたいと思います。 バラバとデドモという二人の男のことです。
★ 四福音書を研究している聖書学者にとって、いろいろと話題を提供している人物の一人に、イェスの処刑の前に登場して来た、バラバという男がいます。
「アバの子」とか「父の子」という意味だそうです。
マタイ傳27章16節~22節、マルコ傳15章7節、ルカ傳23章19節、ヨハネ傳18章40節にこのバラバが登場して来ます。
「イェスか?‥バラバか?」どちらかが十字架に懸けられるべきなのか...という、せっぱ詰まった決断が総督ピラトに求められたのでした。
結局のところ、イェスが十字架で磔刑にされ、バラバは釈放されたのです。
私たちもバラバと同じように罪ある者とされ、神の裁きにはとうてい耐えられない者であったのですが、神の一方的な恩寵によりその罪を赦された者とされたのです。
この事実を私たちは決して忘れてはならないと思います。
さて、放免されたバラバのその後のことを聖書はいっさい語っていません。
一方的に釈放されたバラバにとっても「イェスという男」のことを生涯忘れることはできなかったものと推測できます。 『俺がイェスをどうしたというのか?』です。
この質問を基に、1950年にスエーデン人だと思いましたが、ある作家が「バラバ」という小説を発表し、敗戦直後に岩波文庫で翻訳文が出たことを記憶しています。さらにこの架空小説は、1962年に到り、確か映画化されたと思っています。
★ バラバとは反対に、イェスを信じ、使徒パウロを支援していた別の人でデマスという人物がいました。 獄屋に捕えられていた政治犯パウロの世話をよくやっていた人で、エーゲ海両岸の諸教会にもその名を知られていた忠実なクリスチャンであったようです。 コロサイ書4章14節とピレモン書24節にそのような証言があります。
脱線しますが、私がソウル清渓川スラムにたびたび出入りしていたころは、朴正煕パッチョンヒ 軍事独裁大統領時代でした。 大統領緊急措置令が発令されて、韓国の民主化運動を強権弾圧政策で押え込もうとしていた緊張時でもありました。
そのようなとき、朴正煕大統領の独裁政策に対して全国民主青年学生総連盟という組織が反政府ビラを撒いて抵抗運動を開始したという名目で酷い弾圧がありました。
多くの逮捕者の中で、でっち上げられた8名が処刑されるという酷い弾圧でした。
この時に、民主化運動を取材した太刀川正樹という日本人が、取材に応じた韓国人学生に$20ほどの謝礼を渡したということを、韓国中央情報部(KCIA)は「反政府運動に工作金を提供した」という名目をつけ、太刀川に軍事法廷で懲役20年の刑を宣告しました。 太刀川の通訳をした、ソウルの大学への留学生早川嘉春も内乱罪と反共法違反で懲役20年の刑を受けました。 そのように厳しい時代でした。
この「民青連事件」で逮捕された者の一人に、その後に韓国国会議員になり、その生涯を貧民のために尽くした諸廷丘 ジェジョングという友人がいました。 今は故人です。
スラムや近辺で一緒に食事をしながら明日の韓国を熱心に語り合いました。
日本から持参した栄太楼の飴や雪印の6Pチーズを好んだ青年でした。 生活費を提供したこともありました。 純粋な社会正義感と貧しい者への深い愛情を抱いた優れた人材でした。 文才にも長けた人物で、当時かわいい赤ちゃんがいました。
これらが中央情報部に知れていたならば、おそらく私の場合、終身刑か死刑宣告を受けていたであろうかと思っています。 太刀川や早川のケースで懲役20年でした。
海外から韓国民主化運動を支援する動きに対しての見せしめ的な警告として、二人より更に厳しい判決が、この私に下されていてもおかしくない時代でした。
★ 脱線をしてしまいました...
要するに、政治犯の世話をするということには、上述の例を御覧になってもおわかり頂けるかと思いますが、多くの危険性を含むということです。 デマスという男は、使徒パウロの面倒をよくみていたのでした。 相当に「ハラのできた人物」であったということになります。 教会と伝道者を支える多くのデマスが必要なのですが...
ところがテモテ後書4章10節を読んでみますと、こともあろうに、信仰の強かったこの忠実なデマスが、信仰を捨て去り、世俗を愛する者と変節し、使徒パウロを捨て去って、テサロニケに行ってしまったというのです。 理由はわかりません。
現在ではテサロニキと呼ばれていますが、ギリシャ北部の大きな港湾都市です。
漁業や海運業に従事する海の荒くれ男たちを相手に娯楽を提供する各種の職業を含めて、本来の船を中心としたいろいろな商売が盛んな港町として現在に到っています。
現在人口は40万人弱です。 デマスには何かよほど大きな誘惑があったのでしょう。
★ デマスがどのような理由で信仰を捨て去ったのか、そののちデマスがどうなったのか‥などは、放免されたバラバと同じように、聖書は何も語っていません。
『この自分は、キリストと称えられているイェスを、どうしようとしているのか』
ということが問われていたはずです。 この質問は極めて重要なものです。
皆さんがたにとっても、皆さんお一人お一人が自問自答して頂かなければならない重大な質問なのです。 皆さんへの聖書の問いかけなのです。 回答が必要です。
★ さらにデマスの「背教」ということとの関係では、別の問題提起があります。
それは、カルビン主義(カルヴァン主義)との関係で出てくるものです。
どうやら日本の教会では余り問題にされないようですが、この曖昧さには、日本人特有の国民性ということも絡んでいるのかも知れません。 カルビン主義が説く教えをひとことでわかり易くいえば、神の絶対主権を強調するという聖書解釈です。
カルビン主義信仰を堅持している教会は、主として長老教会、改革派教会、それにバプテスト教会です。 そこでは聖徒たちの救いの絶対性も含まれています。
the perseverance of the saintsと英語で言いますが、ひとたび救いに与った者はその救いを失うことはあり得ない once saved, always saved ‥という主張です。
その主な根拠はヨハネ傳6章37節にあるとされています。 2番目の留学先の大学で、すなわちバイオラ大学でも、そのように厳しく教えられました。
この解釈に従えば、デマスが背教した、信仰から離脱した‥ということは、これはあり得ないことである‥ということになりましょう。 バイオラの教理学の教授ならおそらく、『そのような者は最初から確かな信仰を持っていなかったからだ』と説明されるのかも知れないと推測します。
★ バイオラ在学中に、教理学のある教授に、『それでは、ヘブル書6章4節~8節をどのようにご説明なさいますか?』と、個人的に教授室を訪ねて伺おうとしたことがありました。 教授は烈火の如くご立腹になりました。 必須科目で落第点を採れば移民局との間で問題が生じます。 しかし、教授の聖書解釈には同意できませんでした。 私がヘブル書6章4節~8節を読む限り、信仰を喪失することがあり得るとしか読めなかったからです。 いやな思い出のひとつでした。
★ いずれにしましても、総督ピラトであれ、革命家で盗賊の首領のバラバであれ、あるいは使徒パウロを熱心に支えていたデマスであれ、あるいはまた、私たちひとりひとりが私たち自身に対して、『我、キリストと称ふるイェスを如何に為べきや?』と問い続ける必要があるのです。
主の日ごとに、主の食卓に招かれて侍るとき、私たちはこの質問に応答する必要があるのです。 ピラトでもなく、バラバでもなく、デマスでもないのです。 私たち自身が問われているのです。 私たち自身が答えることを求められているのです。
主の食卓に侍るとき、ヨハネ傳20章28節でトマスが告白したように、私たち自身も『わが主、わが神』と信仰の告白を確かなものにしたいと願うのです。 如何です?