★ アメリカの歌謡作詞作曲家の一人にフォスター Stephen Collins Foster という人がいました。 1826年~1864年を生きた人です。 日本にも多くの名曲が紹介されています。 私が最初に留学したケンタッキー州にはフォスターが住んでいた屋敷があり、今でも多くの訪問客が後を絶ちません。 二度ほど訪ねたことがあります。
そこで彼が作った名曲のひとつに、「懐かしのわが家My Old Kentucky Home」や、「Beautiful Dreamer 夢見る人」などがあります。 忘れられない場所と歌です。
★ 今朝まだ空が曇っていた時、『御国を来たらせ給へ』という拙文を記しました。国籍や国境の違い、言語や文化の違い、歴史が生み出した軋轢などを考えました。
そして、この地に住みながら、この地に属していない私たちの国籍は天にあることを考えてみました。
★ 午後になって晴天となりました。 韓国や西日本に向かって次から次に飛来するジェット機が白いジェット気流の尾を引きながら飛んでいるのを目撃しました。
私どもが住む八ヶ嶽南麓と甲府盆地北端あたりが、横田米空軍基地からと、成田・羽田両空港から韓国に向かう航空路の下にあるので、毎日毎晩遅くまでジェット機の飛行を頻繁に目撃できるのです。そのようなわけでいつものことですが、青い大空を仰ぎ見ながら、私も「夢見る人」の一人となって、いろいろなことを空想してみることが多いのです。
上空を韓国に向けて飛んで行くジェット機を眺めるとき、国境や国籍を思うとき、そこで生まれて以来、生涯国境を越えて外国に出られない北朝鮮に住む人々のことを思います。 そして、日本を恨む韓国の多くの人々と、自分の国が犯した国家的犯罪に対して全く無知である日本人のこと、地上と天国の違いなど...、いろいろなことを思ってしまいます。
固く閉ざされた国境の内側の北朝鮮に住んでいるあいだ、同じように空を仰いで、いろいろなことを空想し、願い、欲したはずの、抑圧されていた北朝鮮の人々で官憲の手で殺されてしまった魂が、今ごろは天国で自由を謳歌しているのだろうか...などと空想してみることがしばしばあります。
先に私や妹を遺して天国に旅立った父のことや、私に聖書を教え、イェスに仕えることの喜びを教えてくださって、今は御国におられる恩師たちのことも想います。
大きな教会堂の中でガウンを着用して、「牧師先生さま」と自称他称していた偉いお方が、逝去されたあと、今頃どこで何をなさっておられるのか‥などとも想像してみました。 自分が座るべき場所は、天国か地獄のどちらにあるのだろうか‥などとも考えてみました。 空を眺めては、青空のかなたの国を想うことが時々あります。
白昼夢というのでしょうか‥無責任なことだと片付けてしまえることでしょうか?
★ ところで、聖書もまた、「夢見る人dreamers」のことを紹介しています。
創世記27章を読んでみますと、年老いて目が不自由になった父親イサクと兄エサウを欺いて、長子の権を次男坊のヤコブが奪い取ったというお家騒動があったことを学びます。
父イサクを騙したうえに、自分も騙されたことを知った兄エサウは、当然のことですが、弟の命を狙うことになります。 兄の怒りが自分の命に及ぶと知った弟ヤコブは家を捨てて逃避行に出ます。 なんどき兄が派遣した追手に殺されるかも知れないと、弟ヤコブは絶えず恐怖の内に彷徨い歩きました。 心身共に疲れ果てたヤコブは荒野で野宿することになりました。 硬い石を枕にして眠り込みました。
誰であっても、普通、硬い石を枕にして眠るということはありません。ヤコブの極限状態を表しています。 石の枕は、呪いと絶望のしるしともとれます。
讚美歌に「主よ、御許に近づかん」というのがあります。 その2節に「石の枕」が登場しています。
極限状態に追い込まれたヤコブは、荒野の仮寝の中で夢をみます。 自分の人生が重荷となり、自分自身の人生を呪っていたことを、「石の枕」が象徴しています。
追われる身の不安いっぱいの人生の極限状態の仮寝の中で、硬い石の枕のすぐ横で天に達する梯子が現れ、梯子には天と地とのあいだを往き交う天使たちの姿をヤコブは見たのです。
呪いと絶望のしるしとして捉えていた石の枕が、実は神からの祝福の出発点であることをヤコブは学んだのです。 呪いと絶望のしるしであった筈の石を立てて礼拝の柱とし、それに油を注いで新しい人生の出発点としたのでした。呪いの石、呪いの仮寝の場にも、神がおられということをヤコブは学んだのです。
悪夢に苛まれていたヤコブは、神と出会って、神の愛を知る人と作り替えられたのでした。 悪い夢を見続けていた青年は、美しい夢を見る若者に変わったのです。
★ やがて時が流れ去り、この夢見る若者は、十二人の息子の父親となりました。「美しい夢を見た若者」に与えられた十二人の息子の中の一人が、今度は父親と同じように、「美しい夢を見る青年」に成長して行ったのです。
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創世記37章~41章にそのことがしるされてあります。
「美しい夢を見た父親」によって可愛がられた末っ子も、とんでもない「美しい夢を見る17歳の青年」となりました。 父親の愛情を一手に受けたこの「夢見る青年」を兄たちは嫌い、捕えて、エジプトに向かう隊商に売り払ってしましました。
エジプトに売られた「夢見る青年」は、やがてエジプト王パロの右腕となったのです。 パロの夢を解釈することができたことでこの青年は更に出世したのです。ヨセフのことです。 「Beautiful dreamers」父子です。
★ 芥川龍之介が翻案した小説に「杜子春」というのがありました。 幼かった時、その話を聞いて心を躍らせ、また気持ちが沈みました。 他人さまの家に「居候」をしていた私は、幼心にも、杜子春が自分のことのように思えたので、強い印象を受けたのです。 あの話も一種の「夢見る人 dreamer」を主題にしたものと思います。
★ 父方の祖父のことをかすかに覚えています。 正太郎という名の貧乏人でした。珍しかったチンチラ兎を飼育していました。 兎で大もうけしたら...が口癖でした。しかし飴玉一個も買って貰えませんでした。 悪い夢を見ていた老人のようでした。
★ キリスト教会の中にも、「夢見る牧師」がいるようです。デッカイ教会を作るのだ... だから信者を増やさなければいけない‥ 献金額を増やさなければならない‥ 集会数を増やさなければならない‥ 牧師館を改築しなければ良い伝道はできない‥ 駐車場を拡大しなければ人が集まらない‥ エトセトラ...
可視的面の拡大拡張が強調され、信者たちに負担を強いているようです。 共通点は「神の国の拡大」ということです。 共通点は信者たちに犠牲を強いている点です。
アメリカや東北アジアの一部の国の牧師たちは、テレビ伝道というのをやります。そこでは、カメラと聴視者を意識して、癒しということが強調され過ぎる傾向があるようです。 豫言できる牧師先生さまだ...と評判の高い職業的牧師もいます。
数万人が集まるメガ・チャーチというのを私たち夫婦はケンタッキーで訪問しました。 何とも言えぬ違和感を覚えました。 何でも全てのことが主の名によって正当化され、絶対化されているように感じました。 主の名をたくみに使ったショーバイであり、ショーでした。 申命記13章3節~5節を思い出させました。
アメリカでは、この手の宗教ショーバイが根強いのです。 そして多くの人たちが騙されているのです。 東北アジアの或る国にも、この種の傾向があると思います。
★ 新約聖書の終わりのほうにユダ書というのがあります。8節に、『これらの人々は、夢に迷わされて肉をけがし、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちを誹っている』と警告しています。
教会という名の組織で、職業的宗教人たちが、主の名を用いて営むショーバイほど恐ろしいものはないと思います。 宗教酒に酔い痺れてしまうことほど恐ろしいものはありません。 エペソ書5章18節の警告は、宗教的に正常な価値感覚を喪失してはいけないということです。 「異常な霊的体験」などと称するものは、ガラテヤ書5章22節~24節と全く無関係です
聖書的に「美しく夢見る人、美しい夢を見る人beautiful dreamers」となること、これは結構むつかしいものです。 上記ガラテヤ書5章22節~23章を熟読推薦です。
神の栄光のため、主を知る知識と恩寵の成長のため、「美しい、健全な夢見る人」の増加と成長を願います。 神の国を夢見て、その到来を待望し、そのことを夢見る人たちが求められているのです。 たまには天空を見上げて、夢を見てください。