★ 今日の午後から加奈陀で冬期五輪競技大会が始まるとマス・メディアが大騒動で
す。 お金がかかり過ぎる傾向はますます加速し、富める業者や一部関係者が潤い、
貧しい国の若者が参加できないということを疑問視する人が少な過ぎるように私個人
は考えています。 アジア、アフリカ、南米からは青年たちが参加できないのです。
石原都知事が東京に五輪大会を招致するために巨額の税金を浪費する一方で、都が
地方に送り込んだ一種の「姥捨山」が火災に遭えば、その責任者が逮捕されるという
ことで「一件落着」という不可解なことを問う都民も少ないようです。
★ さて、コリント前書9章24節~27節にスポーツに関する言及があります。
そこには私たちの信仰生活に対する明白で厳しい警告と奨励が記されています。
コリントの町からそんなに遠くないペロポネソス半島北西部エリス地方で営まれて
いたオリンピック競技のことを、この書簡を記した使徒パウロも、それを受け取った
読者も、充分に承知していたものと私は理解しています。
使徒パウロは24節~25節でコリントからそんなに遠くないマラトンからアテナイま
でを走って戦捷を報じて死んだという故事に因むマラソン競技を意識して、競技場
を競走し優勝する走者が得る賞を例題に引き出して信仰人生の厳しさを語ります。
さらに使徒パウロは、26節~27節で拳闘を引き合いに出して、信仰上の厳しい自己
規制について語り、私たちが「天の冠」を得るために、失格者とならないために常に
厳しく自己制御に励むことを勧めています。
★ その使徒パウロは、テモテ後書4章7節~8節で、自分に与えられる「義の冠」
について語っています。 ヤコブ書1章12節は信仰生活の試練に耐えた者に与えられ
る「命の冠」について語っています。 ペテロ前書5章4節は「萎むことのない栄光
の冠」を語ります。 さらに、ヘブル書2章7節は「栄光と誉れの冠」を語ります。
黙示録は、私たちが受くべき冠について多く語っています。
2章10節、3章11節、4章4節、4章10節、6章2節、12章1節、14章14節です。
★ どの競技であれ、五輪大会であれ、厳しい自己訓練に耐え抜いた者だけが「賞」
を得るのです。 「冠」を得るのです。
私たちの人生の終焉に及んで、皆さんはどのような「賞」を、どのような「冠」を
神さまから頂かれるのでしょうか? それは、現在の生活の中で選んでいるのです。
冬季五輪競技大会の報道を鑑賞するのもよいでしょうが、コリント前書9章27節が
警告する「失格者」にならないように、神の一方的な恩寵に触れた者として、細心の
注意を払うことを絶えず心がけたいものです。