壁に向けて祈り、激しく泣いた王

                                                                                          ---列王紀下20章
★  列王紀下18章~20章にかけて、イェスの先祖の一人とされている、ユダ王朝では
最も良き王の一人として賞賛されている、ヒゼキヤ王のことが紹介されています。

  宗教的、政治的、軍事的にも優秀な指導者であったようです。
上記箇所の他に、イザヤ書36章~39章、歴代志下29章~32章、マタイ傳1章9節にも
言及されています。

  「ヤハ ウエ  = エホヴァ は強め給う」とか「ヤハ ウエ は私の力」という意味の名を
持つヒゼキヤ王 Hezekiah に関しては、特にキリスト新聞社発行の新聖書大辞典に
詳細な説明があります。  そのほかにも、たいがいの聖書辞典や人名辞典、あるいは
一般の和英辞典などにも紹介されていますので、ご自分で確かめてください。

★  ヒゼキヤ王については、比較的簡略に要点を紹介している日本基督教団出版局の
キリスト教人名辞典から主要点だけを引用してみますと以下のようになります...

  「ユダヤ王国第13代の王(位、前 715~前 687)。前王アハズの子で後継者。宗教
改革を行ったことによって申命記史家によって賞賛されている(列王紀下18.3-8)。
紀元前 705年の王サルゴン(2世)の死を機会に大規模な反アッシリア運動の起こっ
たとき、これに参加しただけでなく、パレスティナ南部の国々の指導者となった。朝
貢を中止し、アッシリアの偶像を取り除いた。バビロニアのメロダク・バラダンとも
外交関係を結んだ(20.12-19)。しかしセナケリブが勢力を回復し、エルサレムが包
囲されると、彼は再びアッシリアに朝貢して服従した(18.13-16)。新約聖書におい
て、イェスの先祖のひとりとして記されている。 HS 」  ...  です。

★  偉大な王として記録されていますヒゼキヤ王の人生を聖書から読んでみますと、
この王も私どもと同じように起伏の多い人生を送った王であったと学びます。
  しかし、基本的にヒゼキヤ王はその在任中、主なる神(ヤハ ウエ ともエホヴァとも
呼ばれていますが)に対して誠実な王でした。  節や道を曲げるということのない王
でした。  エルサレムで29年間を王として治めた人物でした。

  私たちにとっても耳の痛い話ですが、偶像を破壊し、偽りの神々への礼拝を禁じ、
イスラエルの人々に対して天にいます神、ヤハ ウエ 、すなわち、エホヴァのみが真の
神であると教えていました。  実際に命のない偶像を作って拝むことを禁じました。
モーセが鋳造した青銅の蛇の像をも破壊したと列王紀下18章の初めが語っています。

★  私たちも、実際には、いろいろとまことしやかな理由や言い訳をつけて、当たり
前のような顔をして、実質的に偶像神に仕えているように思うのですが...  如何?
  どうぞ、是非とも、列王紀下18章~20章を幾度かご自身でお読みください。
学ばさせられる霊的・信仰面での励ましや叱責が多く秘められていると思います。

★  そして20章の初めで、極めて優れた王ヘゼキヤは、不幸なことに病を得て、死に
瀕するようになったことを学びます。  腫物、おでき、出来物、根太、癰ヨウ、‥など
とも呼びますが、明らかに皮膚病に冒されたようです。

  もしかすると、生命にも係るような、悪質で、全身的で、組織的な、酷い皮膚疾患
であったのかも知れません。  送り込まれた豫言者イザヤによって遺言を遺すように
とまで勧められていましたので、相当に悪質な皮膚疾患であったと思われます。

  主の目に留まるような、何か悪いことを、特にしたというわけでもなかったのです
から、ヒゼキヤ王に取って、遺言を遺すようにという進言は大きな衝撃であったもの
と思います。  20章2節は、自分が死すべき身であると知ったヘゼキヤが、壁の方を
向いて主なる神に熱心に祈った‥としるしています。  3節は王が激しく泣いた‥と
記録しています。

  主なる神の方を向いて、すなわち神の顔の方に向かって祈るということを避けて、
壁の方を向いて祈ったということは、ヒゼキヤらしい、謙遜な姿勢を表現したのかも
知れません。

  この箇所を読んだとき、人生の終焉を目前にして、私も一人の贖われた者として、
遺言を遺す必要性があると教えられました。

★  40歳を前にしたヒゼキヤの祈りは壮絶なものであったものと推測します。
激しく泣いて祈ったとあります。  このように熱心に祈った...という箇所は、イェス
がゲッセマネの園で血のしたたりのように汗を流して祈られたという、ルカ傳22章の
祈りのほかに余り例がないように思います。  ヒゼキヤの祈りは罪悔の祈りです。

  ヒゼキヤのこの罪を悔いる祈り、真剣な祈りを、神は聞き届けられました。
神はヒゼキヤの病を癒し、その寿命をさらに15年伸ばされ、伸ばされた命で神のため
にさらに仕えることを許されたと聖書は語っています。  20章5節~6節です。

★  そして、おもしろいことに、ヒゼキヤの腫物を癒す治療薬として、干した無花果
a cake of dried fig, a lump of figs が用いられたことです。  東地中海沿岸文化
圏の中では干した無花果が薬草の一部として使われていたのかも知れません。

  創世記3章7節は、アダムとエヴァが神の言葉を破って、蛇の巧みな誘いに応じた
とき、「いちじくの葉」で腰巻きを作ったと、無花果が出てきています。

  大修館書店発行の「イメージシンボル事典」によりますと、人類と無花果との関係
は相当に古いことを知らされます。  50余の説明がなされています。  生命との関係
で、豊饒・潤沢、繁茂・生殖、女性器や乳房と生殖・繁殖、奴隷用食品、男性性器を
覆うに適した物、長寿、人身御供祭儀用伴供物、狩猟成功祈願、航海安全などなどが
列記されています。

  平凡社の「世界宗教大事典」には、エデンの園との関係で、智恵の木とも捉えられ
たり、原罪との関係で欲望の象徴とされています。  十字架との関係では救済を意味
するとも捉えられています。  枯れた無花果ということで死を意味することもあると
紹介されています。

★  当時のパレスティナ文化圏内の薬草のことに全く無知な私は、ヒゼキヤ王を癒す
ためになぜ干した無花果が使われたのかわかりません。

  遺言を遺せ...とまで勧められていたヒゼキヤに対し、己の死に直面して真剣に祈っ
たヒゼキヤに対し、激しく泣いてまで祈ったヒゼキヤに対し、乾燥した無花果を用い
て神がその致命傷を癒されたのです。

★  そういうことであるなら、私たちも他者の苦しみ、他者の真剣な祈りに応え得る
「神の乾燥無花果」の役目を、お互いに果たす責務と特権があると思うのです。

  『義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである』とヤコブ書5章16節は
述べています。