★ ヨシュアが年を重ねたときに語った奨めの言葉がヨシュア記23章~24章にかけて
したためられています。 ゆっくりと熟読する価値があります。
ここでヨシュアが言う「我は年すすみて老ゆ」ということは、私たちの信仰生活の
年と重ねて考えることができますし、また、そう読むべきなのだと思います。
私たちは、ただいたずらに年を重ねて来たわけではありません。
私たちが最初にイェスの福音に触れ、心の内にイェスを受け入れてから随分と年月が
流れ去りました。 その間に多くのできごとに遭遇し、その度に恩寵が増し加わって
いたことを振り返って見ることができます。 感謝の念も増し加わっています。
そのヨシュアは6節以下で、あるいは24章14節~15節で私たちに対して、私たちの
生温い信仰姿勢に対して、この世を去り行く信仰の先輩として、私たちの曖昧模糊と
した、決断力のない、この世と妥協を続けている姿勢を厳しく指摘し、心を新たに
して、主にのみ仕えることを勧めています。
★ マタイ傳が記す、いわゆる山上の垂訓の中でも、主イェスは『だれも二人の主人
に兼ね仕えることはできない‥、神とオカネと同時に仕えることはできない‥と警告
されています。 私たちがこの世に住む限り、確かにこの世の雑事や誘惑が多過ぎま
す。 しかし、それを言い訳にすることは許されないことなのです。
ロマ書12章1節~2節で使徒パウロも単純明解な、率直な、しかも根本的な進言を
しています。 それでもクリスチャンと自称する多くの人は耳を傾けないようです。
黙示録3章15節~16節では、「冷たくもなく、熱くもない信仰」を鋭く問いかけて
います。 これらの問いかけ対して皆さんはどのように応答なさいますか?