★ ヨブ記がいつごろ書かれた文章であるのかについては諸説があります。
しかし、いずれにせよ3千年以上古い文章ではないのかというのが定説のようです。
そのような古い時代に文字を書けたということは相当な地位と経済力と教養のある人物であったはずです。 鉄筆を用いることができるということは、相当な経済力のあった人でしょう。
そのような地位の高い人が、自分の思いを岩石に刻みつけたい...と切望したということは、その人の人生経験において、しかもその人が己の終焉に直面して、耐え難い深刻な悩みを持っていたということを物語っているように思えます。それはヨブ記19章23節~24節が語っている絶叫からその痛ましい思いを察することができます。
しかし同時に、25節~27節には、耐え難き環境の中に生きたヨブが、それでも神を信じ通し、世の終末に於いて、自分は必ず神の顔を仰ぎ見るのだ‥という、激しい、そして強いヨブの終末に対する信仰を表現しています。
この世がどんなに厳しいものであったとしても、それは決して墓場で終わるものではなく、神に在って、神の恩寵に在って、この世を離れた瞬間から、神の国において神と共なる新しい希望と栄光に満ち溢れた永遠の生活が始まるのだ‥とする、ヨブ強い信念が語られています。
★ すべての人に平等に訪れて来る死を前にして、私たちは、あなたも私も、自分の信仰を確かなものとする必要があります。 それが感謝と平安に満ち溢れた生き甲斐に繋がるのです。 メメント・モリ memento mori 汝、死を覚えよ!なのです。
主の晩餐に主イェス御自身によって招かれて与ることとは、イェスの食卓に招かれて侍ることとは、主の十字架と、主の再臨と、主との永遠の生活を覚えるということです。それはこの世のことではないのです。この世の基準では計り知ることなどとうてい不可能なことなのです。信仰の世界に属する貴い確信の世界のことです。