満月に想うこと


★  先週も雨降りの日がたくさんありました。  そのせいなのか暖冬でした。
この八ヶ嶽南麓の原生林の中で、雨降りの暗黒の夜は不気味なほどでした。
しかし晴天の夜もありました。  夕方から夜明けまで満月が美しかったです。

  都会と違って人工的な照明がまったくない原生林の暗黒の夜空に、みごとな満月が
白く光っていました。  紐で吊してあるわけでもないのに空中に浮かんでいました。

  そのような想像力を働かせて満月をしばらく仰ぎ見ているあいだに、そういえば、
人工衛星に乗って初めて月面上に降り立ったアメリカ人宇宙士たちが、宇宙に浮かぶ
青い地球を撮影した劇的な写真があったことを思い出しました。

  ソヴィエット人宇宙飛行士ガガーリンも、確か1961年に人工衛星ヴォストーク号で
地球を一周したとき、宇宙に神はいなかったが、地球は青かった‥とか語ったことが
あったかと、そのことも思い出しました。  月面に兎がいるとも言いませんでした。

  暗黒の大空に、青い地球が浮かんでいるということを、この地球衛星に住んでいる
私たちが実感として捉えることは困難なのですが、どうやらそれは本当であるようで
す。  青い地球が、天井から紐でぶら下がっているということではないようです。

  この拙文を書いている今宵も、東の空に欠け始めた月が暗黒の空に輝いています。
今朝、月曜日朝8時半には、西の紺碧の空に、少し欠けた月が浮かんでいます。
  引力の法則だと説明されても、それでも私には、あんなに大きく重たい物が中空に
浮かんでいるのか不思議でたまりません。

★  このように、あたかもまるで小学校低学年のように、空想とも現実とも見分けが
つかないようなことをぼんやりと考えながら、先週の夜の二晩を暗黒の天空を仰いで
しばらく過ごしました。  そして、天国ってどこにあるのかなぁ‥などと、ぼんやり
考えていました。  まぁそのような時間があっても許されるのかも知れません。

  しばらくのあいだ寒い冬の夜空を眺めていましたので首筋が痛くなり、書斎に戻り
聖書の中から大空に関する聖句を捜し出してみました。  新約聖書と比較してみます
と、旧約聖書には大空に関する言及がたくさんありました。

  創世記初めの天地創造物語から始まって、ヨブ記22章14節と37章14節~18節、
詩篇8篇4節~9節、19篇1節、78篇22節以降、85篇9節~13節、89篇6節、
150篇1節、箴言8章27節、エゼキエル書1章22節以下と10章1節、ダニエル書
12章3節、それにアモス書9章6節など、いろいろと選びだすことができます。

  とりわけ上記詩篇19篇1節が、『もろもろの天は神の栄光を顕し、大空は御手の業
を示す』と、天地宇宙の創造主を何とかして賞賛しようと作詞者は試みています。
  その同じ偉大な天地宇宙の創造主が、どのような理由で、虫けらにも等しい私たち
をどうして御心に留めて下さるのか、なぜ顧みて下さるのか‥と、同じ詩篇8篇4節
では創造主の絶大な恩寵を、感動し、戸惑いながら、作詞者の足りないことばで誉め
称えています。

★  このことを新約聖書では、たとえばヨハネ傳3章16節で、『天地宇宙を創造され
た神が、この世をそんなにも愛して下さったので、御子イェスを信じる者たちが一人
たりとも滅びないで、永遠の命を得るために、その独り子を賜ったのだ‥』と説明し
ています。

  私たちはこの地上で生活をしています。  この地上で溜め息と涙と共に生老病死を
繰り返しています。  年末になれば支払いや物質のことで追い回されています。
  天文学者でもない限り、私たちがめったに天空を見上げて生活をするということは
ないのです。  まして、天空にぶら下がっている太陽や月や無数の星の方から地球を
見てみるという発想も経験もできないのです。  そういうことはないのです。

  しかし、天地宇宙を創造された神は、よりによって、この地球惑星を選び、そこに
住む私たちのことを顧み、御子イェスを送って、私たちを罪の支配から解放し、神の
子としたいとお考えになったのです。  天から救いの手が一方的にさしのべられたの
です。  有限の世界に無限の神が介入されたのです。

★  そのことをルカ傳1章77節~79節と2章14節が誇らしげに告げているのです。

  『神の一方的な、憐れみ深い御心によって、天からの日の光りが、天からこの地上
に住む私たちに臨み、生きたままで文字通り暗黒と死の陰とに住む私たちを照らし、
私たちの足を平和の道へと導いて下さる‥』と告げています。

  おおかたの人々が眠っているあいだにも、暗黒と寒さと孤独が支配している荒野で
黙々と働かなければならなかった、最底辺層に属する羊飼いたちに生きる勇気と希望
を与えるために、ある夜、天からあまたの軍勢が突然に現れ、歌い出したのです。

          『神が居ます、いと高きところでは、神に栄光があるように‥
            地の上では、御心に叶う人々の中に平和があるように‥』

★  これがイェスの降誕の目的と意味だと私は捉え、心から静かに感謝するのです。
  寒いかも知れませんが、たまには天空を見上げて、私たち各自の歴史を導きたまう
創造主がなさる奇しき御業を静かに黙想してみては如何でしょうか?

  騒々しく、けばけばしい、物質主義・商業主義に汚染された、表面上の、いわゆる
「クリスマス」を拒否するのがよいと私は今年も考えているのですが‥  如何です?