『草庵を謳った道元禅師』


★  京都の人で、鎌倉初期の禅僧に道元という方がおられました。  内大臣久我通親
の子です。  比叡山に学び、のちに栄西の法嗣に私事した、日本曹洞宗の開祖です。
  1223年に宗に渡り如浄より法を受け、1227年帰国、京都深草に興聖寺を開き仏法を
弘めた。  1244年、越前に曹洞禅の専修道場永平寺を開いた‥と辞書は紹介していま
す。  1200年~1253年を生きた仏僧です。

★  この道元が次のようなひとことを遺しています。
『草庵に起きても寝ても祈ること  吾より先に人を渡さん』です。
万民祭司の福音の伝道者として、クリスチャンとして、深く教えられる言葉です。

★  使徒パウロも、多くの迫害に遭遇しながら、ピリピのクリスチャンたちに対して
勇者らしい言葉を遺しています。  ピリピ書4章11節~13節です。

  『私は、どんな境遇に在っても、足ることを学んだ。  私は貧に処する道を知って
おり、富みにおる道も知っている。  私は、飽くことにも飢えることにも、富むこと
にも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ている。  私を強くし
て下さる方によって、何事でもすることができる‥』というのです。

★  寄りすがるべき家族もなく、財宝はなく、不動産も所持せず、とことん徹底的に
貧乏人であり、今ふうに言うホームレスであり、たびたび牢獄に投げ入れられ、外国
人や同国人からも迫害を受け、ローマ官憲からもユダヤ人からもお尋ね者として追わ
れ、極度の近視に悩み、いつも疲れ果てていたのが使徒パウロだったのです。
誰がどこから彼を見ても、英雄などでは決してありませんでした。

★  そればかりではなく、自分自身を罪人の頭であると告白しています。
ダマスコに到る道でイェスに出会うまでは、クリスチャンたちを迫害することを使命
として活躍していたので、多くのクリスチャンたちから怖れられていた恐ろしい人物
でありました。

  キリストと劇的に出会い、それ以降はキリストに仕える者となった使徒パウロでし
たが、ロマ書7章24節で告白しているように、自分自身の内に潜んでいる罪の重さに
とことん苦しんだ人物でもありました。

  そのような罪人の頭の使徒パウロが、25節で、『神の一方的な賜物は、主イェス・
キリストにおける永遠の命である‥』と告白しているのです。
  そしてパウロは、一方的な恩寵を受けた者として、自分は世界中のすべての人々に
対して福音を述べ伝えなければならないという負い目がある、果たすべき責任がると
語っているのです。  そのためには、どのような責めも恥も忍ぶと決意しているので
す。

★  道元禅師の願いは、たとえ自分自身はお粗末な草庵に住もうとも、自分の地位や
名誉や物質的な幸せを求めるのではなく、どんなことをしてでも、ほかの人々を何と
かして仏のほうに先に送りたい‥ということでした。  このように一筋な滅私奉公の
姿勢を貫いた、優れた宗教家がこの日本にも嘗ては住んでいたのです。  驚異です。

★  使徒パウロも同じような姿勢でイェスの福音を人々に語り伝えたい‥ということ
でした。  私たちの基本的な信仰の姿勢とは、それでは一体全体どのようなものなの
でしょうか?  各自ひとりひとり、そのことが問われていると思うのですが‥