『名は体を表す』

★  いつのことだったのか正確に記憶していませんが、自分の息子が生まれたとき、「悪魔」という名で戸籍に入れようとして役所で断られ、裁判沙汰になり、裁判所の判決で拒否されたということがありました。  記憶なさっている方もいらっしゃるかと思います。関西地方の話だったのか記憶していませんが、それにしてもまったく非常識な親だと思います。神さまから託された新しいいのちのはずですのに‥

★  詩篇20篇5節に、神の御名によって旗を揚げる...という句があります。
使徒行伝15章14節には、神の御名を背負う民が選び出された...という句もあります。
「クリスチャン」という名詞の意味は「キリストのもの」ということです。
私たちは神さまの一方的な憐れみにより、またその恩寵によって、「神の子」とされたのです。そのときから私たちは「神さまの御名を担う者たち」とされたのです。

★  それですから、私たちは神さまの人格を反映する者でなければなりません。
神さまの栄光を輝かし出す者たちでなければなりません。それが「クリスチャン」という意味です。

詩篇61篇5節や 119篇 132節を熟読してみますと、クリスチャンとされた者たちには大きな特権と共に、私たち「神の御名を担う者たち」を眺めるこの世の人々に対して大きな責任があることを学びます。

★  私たち各個人に名づけられた名は私たちの人格・品格・ひととなりを語ります。
「名は体を表す‥」と言いますが、私たちの名は私たちがどういう種類の人間なのかということをよく表しているのです。

それと同じように、神さまの栄光の高さ、深さ、広さというものも、すべて神さまの御名によって表されるのです。

それですから、クリスチャンという意味が「キリストのもの」である以上、私たちの日々の在り方そのものも「キリストのもの」でなければならないのです。

★  日曜の朝の1時間前後を、石や木で作った教会堂という箱の中で過ごすことや、その中で過ごす人たちのことを、それだけで「クリスチャン」と呼べるのでは決してないと、私はそのように考えています。  キリストの名を背負って日々の生活の場で誠実に生きる人、他の人々に喜んで仕える人のことを言うのだと信じています。


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