★ 保守党がもたらした弊害に対し変革を求めたオバマ大統領候補が圧倒的な支持で
大統領に選ばれました。 麻生政権に対する日本国民の不満が鳩山内閣を生みました。
チェンジを求めたということは、別の言い方で言えば、日米両国民の間で、将来に
対する希望が見えない...という共通の認識があったのからではないのでしょうか?
敗戦直後この国で流行した歌に、たとえば「赤いリンゴ」というのがありました。
希望を喪失していた国民に、希望回復の願いを抱かせる歌であったので、多くの国民
に支援されたからです。 最近の流行歌を知りませんが、希望を抱かせる歌が少なく
なったように思えますし、NHK-TV朝の連続ドラマの視聴率が低下の一方であるのも、
国民がドタバタ劇の中に明日への希望を見いだすことができなくなったからでしょう。
★ 聖書では、希望についてどのように語っているのでしょうか?
創世記6章では、創造主が地の面をご覧になったとき、地の上に悪がはびこって居る
のを御覧になり、人を創ったことを悔いられたと、人の罪の恐ろしさを語っています。
ご自分がお創りになった筈の人の中に希望を見いだすことができなかったからです。
ノアとその家族にだけ神は希望を託されたことを箱舟物語で私たちは学びます。
★ 士師記の最後の節では、イスラエルを纒めることができる王がいなかったので、
すなわち、国を纒める力、求心力、希望というものを見いだせなかったので、人々は
己の目に良いと思ったことだけを、てんでんに行ったと描写しています。
希望のない所に混沌状態が生まれて来て居たのです。 現在の日本のようです。
★ 詩篇 121篇の最初を読みますと、イスラエルの人々が居住地区の周辺を取り巻く
丘や山の頂きにはバアルの偶像が乱立していたようです。 イスラエルの民が周囲を
見る限り、自分たちを圧迫・威圧する偶像が夕日に照らし出されて見えたようです。
偶像が象徴するような外敵を眺めて居る限り、彼らに希望はありませんでした。
しかし、イスラエルの民は、更に目を上に上げて、天を仰いで、天にいます神を覚え
て救いの確信を得たようです。 この地上には救いはないのです...
★ ルカ傳1章79節は、私たちのことを『暗黒と死の陰に住む者』と呼んでいます。
そのように、希望のない哀れな者たちに、神の一方的な憐れみで、日の光りが上から
私たちを照らしだし、私たちの足を平和の道へと導いていってくださる...』と嬉しい
おとずれを伝えています。 クリスマスの善き知らせです。
★ 19世紀の欧米は、啓蒙思想 Age of enlightenment の時代でした。
人の理知・理性がやがてこの世に満ち溢れる...と信じられていた時代でした。
人間の無限の進歩の可能性を確信する時代でした。 人間が経験から蓄積する知識の
積み重ねは本質的に善いものである...ということが信じられていた時代でした。
人間の理性・知性が増し加わるに従い、教育は進み、道徳は普及し、やがて聖書や神
の教えに取って代わる時代が来る...と信じられていた時代でした。
このような発想・理解を後千年王国 post-millennialism 的な発想と言います。
教育の普及と福音宣教の結果、最後の一人がイェスを主、キリストであると告白する
日が必ず来る、そしてその時こそが、黙示録21章以下に記されている千年王国の到来
と開始である...と、そのような理解が19世紀初めには信じられていたのです。
このような世界観・宇宙観・人間性善説が新生アメリカを覆っていたことは、米国
$1紙幣の裏面に描かれていますピラミッド型の図形にも見られますし、1845年の
7月にニューヨーク市のジャーナリスト、オ・サリヴァン John L. O'Sullivan が
「デモクラティック・レヴュー」に発表した論文 Manifest Destiny マニフェスト・
デスティニーにも見られます。
トーマスとアレキサンダー・キャンベル親子も、このような理解を共有していたの
です。 キャンベル親子の発想に反対の立場であったストーンらは、前千年王国論に
立ち、人間の理性よりも、聖霊の働きを強調する立場にありました。
キャンベルたちの啓蒙思想なり、人間の限りない発展の可能性を信じていた知識人
たちは、しかしながら、新生国アメリカ全体を巻き込んだ、恐ろしい南北戦争の現実
を目の当たりにして、後千年王国論に立脚した、人間性善説の崩壊を目撃し、大きな
衝撃を受けることになりました。
そして、第1次世界大戦が、そのような人間に無限の進歩発展の可能性を見ようと
した発想を無残にも壊してしまう結果を招いたのです。
★ 神を畏れぬ人類は、その後も自己を頼み、自己を神として科学万能精神で破滅に
向かって驀進しているような感じがします。 原子爆弾を発明し、核開発に国家威信
をかけて争っています。 パソコンやインターネットが、神を除去して、人間万能を
謳っています。 神不在で、モノとカネと権力がすべてになってしまっています。
このようにして、神を除外した人間、己の才能で何でも作り上げることができると
確信してこん日に到った人間は、しかしながら、希望を生み出すこともできないし、
希望を見いだすこともできなくなってしまっています。 希望がないということは、
これは実に深刻な問題です。
★ しかし聖書は、私たちの内に居ますイェスこそが私たちの希望であると証言して
います。 しかも栄光の希望であると言っています。 コロサイ書1章27節です。
人類に希望を与え続けて来て居るのは、昨日も、きょうも、明日も不変の主イェス
であると、ヘブル書13章8節は証言しています。
★ 『あなたの神、主はあなたの内に居まし、勇士であって、勝利を与えられる。
彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭りの日のように
あなたのために喜ばれる』と、旧約聖書ゼパニヤ書3章17節は、誇らしげに宣告して
いるのです。
私たちには明日のことを知ることができませんが、私たちの明日を握っておられる
神が、今この瞬間にも、私たちの手をしっかりと握って導いておられます。
英語の讚美歌の一つに次のようなものがあります。
『I don't know about tomorrow, but I know He holds my hands!』
私の手を握り締めて、私を明日へと導かれる主イェスは、再臨なさる主イェスです。
ここに私たちの希望があるのです。 テトス書2章13節の約束です。 感謝です。