★ 先月末に第三番目の留学先の母校ペパダイン大学に教会史に関連する全ての資料
を寄贈してしまいましたので、正確で充分な情報を提供できなくなりましたが‥
★ ジョン・ロビンスン John Robinsonという、英国人で宗教家がいました。
正確ではありませんが、1575年~1625年を生きた牧師であったと思います。
信仰的な理由で、イングランドからオランダに亡命した巡礼始祖たちに仕えた牧師
でした。 巡礼始祖というのは、別名でピリグリム・ファーザーズ Pilgrim Fathers
のことです。 1609年に分離派の一団と共にアムステルダムからライデンに移住し、
新しい教会を設立しました。 ピューリタンと呼ばれていた教群の牧師でした。
そこから信者たちを、信仰の自由を求めるため、新世界アメリカに移住することを
促した牧師です。 ロビンスン自身は渡米せず、オランダで客死しています。
★ ピューリタン=分離派は、国家が保護・支援する国家宗教であった英国国教会、
すなわち、日本では聖公会と呼ばれていますが、アングリカン・チャーチと、神学的
見解の違いから分離独立を試みた、良心的なクリスチャンの一群でした。
英国内で英国国教会による分離派に対する迫害と圧迫が増加するに従い、分離派は
海を渡ってオランダに避難したのです。 オランダで有名なチーズの産地、Leyden
で信仰の自由を得て信仰共同体生活を始めたのです。 そしてそこから新世界へと...
★ 1619年に到りロビンスン牧師は信徒の中から35名を選び新世界への移住を促しま
した。 1619年と言いますと、わが国では、鎖国が始まろうとしていた時期です。
新しく権力を握った徳川家が廣島城主福島正則の領土を没収し、独裁政治を振るい
始めた年です。 獨逸では30年戦争が始まっていました。
ピリグリム・ファーザーズがメイ・フラワー号 Mayflowerで新大陸に到着したのは
1620年でした。 メイ・フラワー号のことに関する何冊かの専門書もペパダイン大学
に寄贈してしまいましたので、これ以上のことを紹介できなくなりました。
母校に Heritage Centerとか呼ぶ、教会史の歴史資料館を設立するのだそうです。
★ 新大陸・新世界アメリカで、信仰の自由に基づく理想郷を設立することを願って
の渡航でした。 しかし全ての乗客が同じ動機で渡航を試みたわけではありません。
1620年12月21日にメイ・フラワー号は、多くの苦難を乗り越えて、ようやく目的地
に到着しました。
35名の信仰共同体を目指した乗客以外にも、新世界でのよりよい生活と稼ぎを求め
た66名も乗船していたと記憶しています。
拙著「トーマス・キャンベル物語」第4巻 787頁に上陸地点の地図があります。
★ 巡礼者たち、すなわち、ピリグリムズたちがライデン港を離れ、英国南岸経由で
新世界に向かうとき、ロビンスン牧師が巡礼者たちに語った告別のことばが遺されて
います。
『夢多きはずの新世界での新しい生活よりも、神の御言葉の中から、もっともっと
たくさんの真理と輝く光が飛び出して来るであろう...』
ロビンスン牧師も、おそらく新世界での信仰共同体を夢見ていたのであろうかと、
そのように私は推測するのですが、夢の新大陸を見ることなく、仮の宿り地ライデン
でその地上生活を終えたのです。
しかしロビンスン牧師は、彼が仕えた教会の信徒たちに、どのような困難や個人的
犠牲が迫り来ても、神の言葉である聖書に忠実に踏み留まるようにと、絶えず説得を
繰り返していたのです。
『妥協した真理などというものは、真理では絶対にあり得ない!』というのが
迫害によく耐えたロビンスン牧師の確信であったのです。
己の救い主と決めたイェスへの信仰に対して、いろいろな理由からさまざまな形で
妥協を迫るこの国に住む私たちにとって、ロビンスン牧師の在り方、御言葉に対する
真摯な姿勢、学ぶことが多いと思います。 頭で学ぶだけではなく、実践することが
求められていると、そのように思うのです。 如何でしょうか?
偉大な宗教改革者ジョン・カルヴァンは、『真理を犠牲にして、(神との)平安を
手に入れることは、これは絶対に不可能なことだ!』と語ったそうです。
★ 提案聖句 民数記23章10節、使徒行伝20章25節~31節、テモテ前書4章16節
を寄贈してしまいましたので、正確で充分な情報を提供できなくなりましたが‥
★ ジョン・ロビンスン John Robinsonという、英国人で宗教家がいました。
正確ではありませんが、1575年~1625年を生きた牧師であったと思います。
信仰的な理由で、イングランドからオランダに亡命した巡礼始祖たちに仕えた牧師
でした。 巡礼始祖というのは、別名でピリグリム・ファーザーズ Pilgrim Fathers
のことです。 1609年に分離派の一団と共にアムステルダムからライデンに移住し、
新しい教会を設立しました。 ピューリタンと呼ばれていた教群の牧師でした。
そこから信者たちを、信仰の自由を求めるため、新世界アメリカに移住することを
促した牧師です。 ロビンスン自身は渡米せず、オランダで客死しています。
★ ピューリタン=分離派は、国家が保護・支援する国家宗教であった英国国教会、
すなわち、日本では聖公会と呼ばれていますが、アングリカン・チャーチと、神学的
見解の違いから分離独立を試みた、良心的なクリスチャンの一群でした。
英国内で英国国教会による分離派に対する迫害と圧迫が増加するに従い、分離派は
海を渡ってオランダに避難したのです。 オランダで有名なチーズの産地、Leyden
で信仰の自由を得て信仰共同体生活を始めたのです。 そしてそこから新世界へと...
★ 1619年に到りロビンスン牧師は信徒の中から35名を選び新世界への移住を促しま
した。 1619年と言いますと、わが国では、鎖国が始まろうとしていた時期です。
新しく権力を握った徳川家が廣島城主福島正則の領土を没収し、独裁政治を振るい
始めた年です。 獨逸では30年戦争が始まっていました。
ピリグリム・ファーザーズがメイ・フラワー号 Mayflowerで新大陸に到着したのは
1620年でした。 メイ・フラワー号のことに関する何冊かの専門書もペパダイン大学
に寄贈してしまいましたので、これ以上のことを紹介できなくなりました。
母校に Heritage Centerとか呼ぶ、教会史の歴史資料館を設立するのだそうです。
★ 新大陸・新世界アメリカで、信仰の自由に基づく理想郷を設立することを願って
の渡航でした。 しかし全ての乗客が同じ動機で渡航を試みたわけではありません。
1620年12月21日にメイ・フラワー号は、多くの苦難を乗り越えて、ようやく目的地
に到着しました。
35名の信仰共同体を目指した乗客以外にも、新世界でのよりよい生活と稼ぎを求め
た66名も乗船していたと記憶しています。
拙著「トーマス・キャンベル物語」第4巻 787頁に上陸地点の地図があります。
★ 巡礼者たち、すなわち、ピリグリムズたちがライデン港を離れ、英国南岸経由で
新世界に向かうとき、ロビンスン牧師が巡礼者たちに語った告別のことばが遺されて
います。
『夢多きはずの新世界での新しい生活よりも、神の御言葉の中から、もっともっと
たくさんの真理と輝く光が飛び出して来るであろう...』
ロビンスン牧師も、おそらく新世界での信仰共同体を夢見ていたのであろうかと、
そのように私は推測するのですが、夢の新大陸を見ることなく、仮の宿り地ライデン
でその地上生活を終えたのです。
しかしロビンスン牧師は、彼が仕えた教会の信徒たちに、どのような困難や個人的
犠牲が迫り来ても、神の言葉である聖書に忠実に踏み留まるようにと、絶えず説得を
繰り返していたのです。
『妥協した真理などというものは、真理では絶対にあり得ない!』というのが
迫害によく耐えたロビンスン牧師の確信であったのです。
己の救い主と決めたイェスへの信仰に対して、いろいろな理由からさまざまな形で
妥協を迫るこの国に住む私たちにとって、ロビンスン牧師の在り方、御言葉に対する
真摯な姿勢、学ぶことが多いと思います。 頭で学ぶだけではなく、実践することが
求められていると、そのように思うのです。 如何でしょうか?
偉大な宗教改革者ジョン・カルヴァンは、『真理を犠牲にして、(神との)平安を
手に入れることは、これは絶対に不可能なことだ!』と語ったそうです。
★ 提案聖句 民数記23章10節、使徒行伝20章25節~31節、テモテ前書4章16節