★ イェスを神の独り子、自分自身の救い主として信じ受け入れてから61年余になる
かと思います。 その後の日曜ごとに、いわゆる聖餐、主の食卓、パン裂きを一度も
欠かしたことがありません。 瀕死の重症の病床に在ってもです‥
その間、コリント前書11章23節以下を、まじめな顔で読み続け、そのたびごとに、
イェスの十字架と埋葬と復活と再臨を覚えて来ました。
しかしここに大きな落とし穴があったと反省し始めました。
それは今回の訪韓で教えられたことです。クリスチャンだと自称・自慢する韓国教会
の人々ではなく、クリスチャンではない、むしろクリスチャンに対して不信感を抱い
ている、常識のある一般韓国人たちが、自分の周辺の苦悩の中に生きている弱者に、
喜んで奉仕している姿に接することが多くあったからです。
★ ルカ傳22章27節で、主の食卓をせつに求め、これを設定されたイェスご自身が、
「仕える者となれ」と示し諭されたことを、私はこの61年間、ほとんど考えたことが
なかったという厳然たる事実です。 コリント前書11章23節以下に気を奪われ過ぎ
ていたのです。 私たちは「地塩世光として仕えること」に徹しなければなりません。
「主よ、主よ」という者のすべてが天国に入れないからです。 マタイ傳7章21節