『愚なる者よ、今宵汝の霊魂取らるべし』

                                                                           文語聖書  ルカ傳12章20節

★  今週は留学第三番目の母校、ロサンゼルス郊外にあるペパダイン大学が新設した
歴史資料館に私が所有しておりました教会史関連の図書、写真、雑誌、個人的書簡等
を寄贈したいという私の願いに応えて、同資料館長に就任されたジェリー・ラッシュ
フォード教授 Dr. Jerry Rushford が来岳され、資料の箱詰め作業をされました。

  早朝から深夜まで、ずいぶんと精力的な箱詰め作業が続いていました。
新聞受けから新聞を取り出すことも忘れていましたし、テレビを見ることもできない
ほどの忙しさでした。  当然のことですが、その間に起こっていた南太平洋やインド
ネシア方面の大きな地震のことを知るよしもありませんでした。

  災害は予期せぬ時に襲ってくるものです。  梱包作業が終わり、教授が離岳された
後で、ようやく新聞を読み始めて、地震のことを知りました。

★  かつて私が東京YMCA英語学校で教鞭をとっていた時のことですが、高度成長期に
入ったばかりのころ、たくさんの勤労青年たちが同校夜間部に学んでいました。

  『もし今晩、あなたがたが死ぬとわかったら、今からどうしますか?』と質問した
ことがありました。  予想だにしなかった質問に青年たちは戸惑い、不快感を表し、
いろいろな意見や解答が飛び出したことを、今でも鮮明に記憶しています。

★  どのようなことが私たちの周辺で起こっても、また、どのようなことが私自身に
起ころうとも、神さまは不変でいらっしゃり、永遠はそのまま微動だにせず残るはず
です。  神さまのことばも不動のままで残るでしょう。  人間だけが無力です。

  どんなに私たちが財貨宝石品物を持っていようと、私たちは予期せぬ災害の前には
手の打ちどころがないものですし、私たちの命そのものが、一方的に、突然に召され
るという事実の前に、私たちは余りに無防備であり、無力なのです。

  ペパダイン大学に送り出したたくさんの書籍があった場所は、今はカラッポです。
取り出すために移動し、残された書籍や、本箱や本棚、その周辺に置いてあった品々
が、今では部屋中に、床の上に散乱しており、手のつけようもありません。

  インドネシアの地震跡地をテレビのニュースで見る限り、交通手段や救出用重機が
不足している現状では、人間の出来ることは、実に限られていると、無力感が人々を
襲っているように見えます。

★  物質を豊かに持つことが人生の豊かさを保証しているわけではありません。
ヨブが言いましたように、私たちは裸で母の胎を出てきました。  そして、私たちは
再び裸で神さまの前に戻って行かなければなりません。

  この世に生きている間に、神さまから私たちに託された金銭財宝も、この地上人生
を快適にするための便利な品々も、これらを背負って神さまの裁きの場に赴くことは
できないのです。  どこかでそれらをこの地上に残して、裸で、独りで、去って行か
なければならないのです。  dying broke ...  裸で去って行くこと、一文なしでこの
世を去って行くことへの理解と納得、その決意が必要です。

  他者に分け与えることができる限界‥  それは与えることの能力の限界と関係して
いると、 C.S. Lewis ルイスがじょうずに説明しています。  如何でしょうか?