『寿則多辱』


★  「寿則多辱」=「長生きすれば、それだけ恥も多くなる」という意味の古い言葉
が荘子の文章のなかにあるようです。  但し、四字熟語辞典で読んだだけですので、
中国の先泰時代の同家のことも、荘子のことも、お恥ずかしい次第ですが、この年に
なっても、何も私は学んだことがないのです。

★  新約聖書のなかにも、寿則多辱と同じようなことを示唆する物語があります。
ヨハネ伝8章4節~11節が語る、姦淫をしていた時に捕まえられた女性を律法学者や
パリサイ人がイェスの前に引き摺り出して来て、イェスの判断を求めたという物語で
す。  レビ記20章には男女間の性のことを扱った律法がたくさん書かれています。

  女をイェスのもとに連れてきた律法学者やパリサイ人は、イェスが返答に困ること
を想定しての動機と行動であったようです。  しかしイェスは、彼らに意表外の回答
をされたのです。  7節です。

  9節は、イェスのこの何気ないように思える、つぶやきにも似た発言を耳にした、
人生経験の多い老人たちから順番に、何も語ることも批判することもなく、裁きの場
から一人去り、また一人立ち去ったと書いてあります。

  加齢と共に、人は己自身の在り方や、己の内に潜む底知れぬ罪の恐ろしさを、他人
事としてではなく、何となく理解し始めるようになるということでしょう。

★  いつのまにか私も末期高齢者となっており、自分の走馬灯のような人生の歩みを
考え始めています。

  加えて47年前に遭遇した不可解な交通事故で左腎臓を失い、その時の大量輸血から
肝炎ウイルスを招き入れ、そこから肝硬変へと順次移行して自分の人生の終焉を迎え
つつある事実に当面して、考えることが多くなりました。

  さらにまた、ある若い伝道者から、私が伝道者にふさわしくない者であるとの弾劾
発言を受けまして、あらためて伝道者生涯50年を振り返って眺めることが多くなりま
した。  どのような具体的根拠や証拠があっての発言であったのかは示されないまま
で来てしまいましたが、伝道者としての人生をその根底から完全に否定する、恐ろし
い糾弾発言でありました。  そのとおりであるのだろうと思うようにもなりました。

  まことに「寿則多辱」の人生であったと思います。  そして主の恩寵が、それにも
増して豊かであったと、日々考え、感謝するに到っています。

★  前置きはこの程度にしておきます‥

  私が一人の人間として、また、伝道者としての人生を振り返って見ますと、二つの
大きな失敗があったように思います。  「一所懸命に間違っていた」こと二つです。

★  その一つは、まず父親として、神さまが私に託してくださった二人の子供たちと
の関係です。  「一所懸命にやった」はずの子育てという大事業、たとえ自分の子で
あっても、実は絶対他者であり、その他人さまの人生を形成する重大な責務と特権を
私の愚かさから「一所懸命に間違っていた」と反省しているのが正直な告白です。

  神さまと、二人の子供たちに対して、とんでもないことをしてしまったと、詫びる
言葉を知らないのです。  一人の父親として子供に対して「一所懸命にやる」という
ことが、そっくりそのまま愛を基とする賢い父親であるということではないのです。
父親としての皆さんのことではなく、この私の大きな失敗です。  皆さんは如何?
以上のことは、血肉という関係、家族内という問題に対する私の失敗の告白です。

★もう一つの失敗の告白は、福音伝道者としての私の歩んで来た人生に関してです。

  すでに述べましたように、私が伝道者として相応しくないという糾弾宣告がなされ
たように、私の半世紀の歩みは、実は大切な核の部分を見逃していたために、伝道者
としてふさわしくない歩みであったのかも知れません。

  私はもしかして、福音書が明白に示しているイェスを、いつのまにか軽視し、無視
して来ていたのかも知れない‥という、そのような反省です。

★  ペンテコステ以降のことに、とりわけ教会のことに夢中になり過ぎて、私は肝心
のイェスをどこかに置き忘れてしまったままで、こん日まで来てしまったのではない
のかと、そのように厳粛に自己反省を始めるようになって来た‥と思えるのです。

  盥の中の水のことに夢中になり過ぎて、赤ちゃんのことを忘れてしまっていたので
はないか?‥、そのように思うようになって来たのです。  教会史の勉強にあまりに
ものめり込んでしまって、教会の主であるイェスを忘れてしまっていたようです。
愚かでした。  ペンテコステ以降に生まれて来た主イェス・キリストの教会に関する
ことばかりに気を奪われて、教会の主であるイェスを忘れてしまっていたのです。

  新約聖書教会の主であるイェスと、福音書に語られているイェスの単純明解な教え
をすっかり忘れて、初代原始教会の姿に戻るのだ!‥などという、とんでもない空想
教会を自分自身の内にいつの間にか築き上げてしまって、そのような幻を追っていた
ように思え始めたのです。  自作自演のキリストの教会史、新約聖書教会史‥です。

  福音書が語るイェスは、人々の求め、ニーズに応えるということ、神の国の接近を
語り、悔い改めて、神との新しい関係に人々が戻るようにと訴えられたのでした。
  このことを私はすっかり忘れて、イェスが貧しき者、虐げられていた者たちを哀れ
み、捜し求め、涙を流してまで世話をされたことを私はすっかり忘れていたのです。

  『このいと小さき者に為したるは、我に為したるなり』と繰り返し教えられたこと
を私は完全に忘れて、ペンテコステ以降のこと、すなわち教会のこと、教会の秩序の
こと、教会の組織のこと、教会の儀式のこと、礼拝の内容のこと、終末のことなどに
エネルギーや時間やお金を使い過ぎてこん日にまで及んでしまったのです。

  たとえば、ルカ傳22章7節以下の主の食卓、一部の教会ではパン裂きとか聖餐とも
呼んでいますが、復帰運動教会史の研究家は、ともするとそこで使用されていたパン
が、イースト菌入りのパンであったのか?‥とか、発酵した葡萄液であったのか?‥
弟子たちはパンを先に与ったのか?‥それとも葡萄液(酒)が先だったのか?‥

  このようなことばかりに論議が集中し、口角に沫を飛ばして論じることが多かった
と記憶しています。  もっとも、この問題は、8世紀~9世紀にかけて、東方教会と
ローマ教会の間においても論じられていたので、私たちの時代になって、私たちが言
い出した論争点ではありません。  男というものは、教会が誕生した直後から、解釈
を巡って論争を繰り返して来たのです。  イェスはそっちのけだったようです。

  そういえば、敗戦直後に、C宣教師が中心になって、創価学会の過激派に討論会を
挑んだことがありました。  イェスの心から遥かに離れた、むなしい論争でした。

  二千年の教会史の中で、そして私たちの「ストーン・キャンベル聖書復帰運動史」
の中においても、そこでは、イェスが強調された、「仕える者としての姿勢」の重要
さが、ほとんど強調もされず、論争もされては来なかったのです。

  マタイ傳23章11節~12節でイェスが語られた、「あなたがたの内でいちばん偉い人
は、仕える人でなければならない‥」というイェスの教えは、教会説教においても、

聖書研究の席においても、神学校の教室においても、めったに語られたことがないの
です。  私も私たちの教会も、まとをはずしていたのです。  如何でしょうか?

  また、「私の弟子であるという名のゆえに、このいと小さい者のひとりに、冷たい
水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれること
はない」というマタイ傳10章42節のイェスの言葉を、教会が教会自身の存在の根拠
としているようには、とうてい思えないのです。

  同じようにマタイ傳25章40節でイェスがはっきりとおっしゃったこと、すなわち
「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、私にしたのである」という
仕える者としてのイェスの姿勢を、めったに教会は語らず、牧師は説かず、信者たち
はそのようなイェスの教えがあることすらも知らないのが現実です。

  このように、常にいと貧しき者に仕えることを大切になさったイェスの教えと姿勢
をすっかり忘れてしまい、イェスから目をはずしてしまい、貴重な人生において目標
を見失って過ごして来てしまったのです。
「まとをはずすこと」をハマルティア、すなわち、罪と聖書は呼んでいるのです。
このような点が、復帰運動と復帰運動史研究の思わぬ落とし穴なのです。

★イェスは、人間の求めを満たすことに専念なさっていました。
それは、マタイ傳3章でバプテスマするヨハネのもとで、自らを罪ある弱き者の友と
してご自分を示すために、罪なきお方であったイェスが、バプテスマされたのです。
コリント後書5章21節はそのことを語っています。

  孤独と静寂と死が支配する荒野で、敢えて悪魔の試みを受けられ、迫り来る神の国
は神の言葉を信じる者たちのためであることを証明され、バプテスマのヨハネの逮捕
後は、巡回治癒神として、人々の間で、ユダヤ教の会堂で、ユダヤ教の律法学者たち
が説いたことのない神の国の福音を宣べられ、人々の抱えていた疾病を癒し、人々を
苦しめていた人間のさまざまな肉体的な物欲と邪悪な思いを正されたのでした。

  そのことをマタイ傳4章23節~25節が堂々と語っているのです。
しかし残念ながらこの私は、イェスの宣教活動を少しも理解していなかったのです。
過小評価していたのです。  それですから、その次に来る、いわゆる山上の垂訓にも
まともに対処したことがないのです。

  こん日の教会の礼拝がこうだとか、そうではない‥とか、私が想像して、私が作り
上げていた、私の教会像を元に、論議をすることに心を奪われていたのです。
  これが私たちの聖書復帰運動の歴史であったと、最近まで気づくことができなかっ
たのです。  まことにお粗末で恥ずかしいことでした。

  イェスは、「日曜朝に週報の順番に従った礼拝形式」がどうあるべきだ、いやそう
ではない‥などと、そんなことを、いわゆる「王国憲法」である「山上の垂訓」で、
一言もおっしゃっていないのです。
  愚かな人間たちの、すなわち、私やみなさんの教会が、まじめで、しかも一所懸命
に間違っていた私たちの聖書解釈の違いに基づいて論じて来ただけのことであって、
イェスはそのようなことをまったく話題にもされていないことに、私と私たちの教会
だけが気づいていなかっただけのことです。

  山上の垂訓の中で、四福音書の中で、イェスは、いわゆる教会の在り方、式次第、
赤い絨毯、ステンド・ガラス、オルガンやピアノ、牧師が着用するガウン、そのよう
なことを一切おっしゃっていないのです。  山上の垂訓を読み直す必要があります。

  イェスは、大工として、生活の糧の一部を得ておられたと思います。
また、アリマタヤのヨセフ(ヨハネ傳19章38節)など、秘かにイェスの弟子となって
いた有力者たちの経済的な支援を受けておられたのではないかと思います。

  しかし、ルカ傳8章1節~3節に紹介されていますように、イェスとその弟子たち
による巡回治癒宣教旅行のほとんどは、イェスによってその心身の病を癒され、一人
の人間として認められ愛された女性たちの莫大な愛の犠牲によって賄われていたもの
のようです。  十二人の直弟子のほかにも多くの外弟子も巡回旅行に参加したものと
思われますので、婦人たちのイェスへの信仰と希望と愛は大きかったはずです。

  しかし、教会はこのことを語りません。  牧師の多くと会計さんの多くは、教会の
懐が潤うことだけに気を奪われているのが現況です。  教会は、上記ルカ傳8章の、
捧げつくした婦人たちの姿のことを語ろうともしないのです。  まして、教会堂での
礼拝にたまにしか来ない人が、たくさん捧げるということはめったにありません。

  よく聞く冗談ですが、$百ドル紙幣は、ラスヴェガスやディズニーランドや保養地
を専門に駆けめぐり、$1ドル紙幣は、諸教会間を駆けめぐるようにと造幣局が製造
している‥と言われています。  日本でも同じような傾向があります。

  イェスはユダヤ教の正式な神学訓練を受けた人ではありません。  ユダヤ教の教師
でもありません。  牧師先生サマでもありません。  英語でいう Reverend でもあり
ません。  位階聖職者制度にあぐらをかいている職業的聖職者としての牧師でもあり
ません。  ひたすらに仕えることに専念された召し使いの姿勢を貫かれたお方です。

  このことをこん日の教会は忘れています。  仕えることを忘れて、牧師先生サマと
自称・他称して、仕えてもらうことを考えている職業的宗教人たちが、西洋式の建物
の内に身を退いて、自らを罪にあえぐこの世からゲットー化して、引き籠っている姿
をイェスはご存知ではないのです。

  イェスは、罪赦され、愛されたことを感謝する無名の人々によって支えられて宣教
活動をされました。  宣教協議会だの、宣教師協会だの、牧師や牧師夫人を支える会
だのをイェスはご存知ないのです。  こん日の私たちは、あまりにも組織など人の力
に頼り過ぎて、イェスに喜んで仕えた婦人たちの姿から目をそらし過ぎてきました。

  イェスの教えは単純明解でした。  マタイ傳5章から7章にかけてイェスが語られ
た教えを、こん日の教会がまじめに説いたことがほとんどないのです。  8章以下の
イェスの教えと行動についても教会は語らないのです。  これは異常な姿です。

  ルカ傳4章14節~22節は、イェスが、ユダヤ教の会堂で語っておられる姿を紹介し
ています。  語られた内容を紹介しています。  イザヤ書61章1節~2節からです。
  ヨハネのあとを引き継いで、迫り来る神の国を説き、そのために必要な悔い改めを
力強く語っておられます。

  しかし、こん日の教会は、迫り来る神の国と、そのための悔い改めを語りません。
教会の弱さがここにあります。  自分のことしか考えることができなくなっているの
です。

★  今日郵送されて来た9月12日号のキリスト新聞の質疑応答欄に、田舎の牧師さん
が、「一生懸命に導いたのに青年たちが都会に出て行ってしまって悲しい」旨の投書
をされています。  しかし近視眼的視野で、あるいは可視的面の結果だけで、神の国
のこと、信仰の世界のことを測ってはいけないと、私はそのように考えています。
  コリント前書3章6節~9節の問題だと思います。  成長させてくださる神さまを
全面的に信じて、そのお方にすべてを委ねることが肝要だと私は考えています。

  また同じ号の論壇には、聖学院大学院の<偉い有名な先生>とされているF氏が、
『日ごろ2百人以上の出席をもつ教会に出ている私には、<わずか5人>の礼拝出席
の教会の存在を知って驚いた‥とか、<たった五人>に向かって説教している』‥と
の用語を含む論文を発表されています。  (注:矢印括弧<>は野村)

  <わずか五人>や<たった五人>という表現は、僻地にあっても誠実に主イェスの
福音を伝えたいと願っている僻地教会とその伝道者に対して、無意識であれ、配慮に
欠ける発言です。  <わずか>や<たった>という言い方には、あたかも僻地教会を
あざ笑うかのようにも受け取れかねない発言であり、励ましの言葉ではありません。
  ややもすれば否定的な意味や、消極的な印象を与えかねない用語です。
「イェスの御名によって二、三の者が集まっている所には、我もその中にいると約束
されたマタイ傳18章20節を確信して、僻地にもかかわらず五人の誠実なかたがたが集
い、神と人に仕えている教会」と言及されたのであれば、励ましのことばになった
でしょう。  配慮に欠けた、都会のインテリの発言であり、極めて残念でした。

  このF先生サマのように、数の多寡で信仰の世界を測ろうとすること自体、たとえ
無意識であっても、そのようなものさしでしか信仰の世界を測れないご仁が、日本の
基督教界の「お偉方」であるということ自体、この日本の教会の情けなさを暴露して
います。  このような発想はイェスの「数学」とはまったく違うと私は思うのです。

  イェスが説かれたのは、組織化された教団制度の教会ではなかったのです。
教会堂や、その大きさや、集会回数や出席者数や献金額の多寡、あるいは教義や教理
や聖書釈義でもなかったのです。  数の大小・多寡ではなかったはずです。

  忠実であること、誠実に仕えること、そのようなことを大切にする少数の者たちが
二、三人でも集まるところ、そのような状況には、イェスご自身が居てくださると、
マタイ傳18章20節で、約束されているのです。

★  イェスの関心ごとは、「人々に仕える」ということであったと、私は考えます。
そして、「迫り来たる神の国」であり、そのために「悔い改める必要がある」という
メッセ-ジであったと思うのです。  ルカ傳4章で私たちはそのことを学びます。

  「悔い改める」ことには、オバマ大統領のスローガンのように、社会的チェンジを
も含むことであったようです。  それは、ヨハネ傳2章13節~16節が物語っている、
いわゆる「宮きよめ」に見られます。  サマリヤの井戸端の婦人や、よきサマリヤ人
の譬や、ザアカイに対するイェスの姿勢にも見られます。

  悔い改めるということを、福音伝道者としての私も、教会も、あくまでも個人的な
体験として捉えて来たので、地塩世光としてのイェスの弟子たちにとって、社会的な
広がりをもつものであることを考えることのなかった自分の聖書解釈の浅薄さを恥じ
るものです。

  しかし、イェスのこの毅然とした姿勢は、ユダヤ人の激しい反感を買いました。
ルカ傳4章28節~29節はその時の緊張状態を語っています。  イェスのメッセージ
は、そのような緊張を招くほど真剣で誠実なものであったのです。

  しかし今日の私たちが、そして教会が、基督者として、地塩世光として、社会不義
に対してほとんど無関心、無感覚、無感動の姿勢を執り続けているようです。
そのような姿勢を、何も疑うことなく採り続けて来たこの私を、恥かしく思います。

  玉虫色を尊ぶ日本文化に押し流されて、イェスの教えに反して、ナァナァ式で来て
しまったのです。  信仰的決断に欠け、流れに抗してイェスの弟子になりたいという
決意を欠いたまま、玉虫色のおかしな信仰人生を過ごしてしまった自分の在り方を、
主イェスの御前で詫びなければならないと気づき始めたのです。

★  イザヤ書53章が描く「苦悩の僕、the Suffering Savior」を、受難週や降誕節で
読むことは比較的多いようです。  確かに「仕える僕」イェスのお姿です。
これに対して何も文句を言うつもりはありません。

  しかし、同じイザヤ書61章は?となりますと、正直なところ、私は目を通すことが
少なかったと反省しています。  この聖書箇所はルカ傳4章16節~20節が描写する
イェスの地上宣教生涯の目的をよく豫言している箇所だと思います。
  私は、自分がイェスの弟子となることを決心した若い時から、この聖書箇所を充分
によく読んで、よく洞察して置くべきであったと反省しています。

  ペンテコステ以降のことばかりに専念し過ぎて、教会や使徒パウロのことにばかり
に心を奪われ過ぎて、イェスの生涯とその教えを軽視した、偏った新約聖書の読み方
をして来たように思うようになってきたのです。

  善き師である主イェスご自身にも深く出会うことなく、この地上人生、信仰人生に
於いても善き師、善き友を捜す努力を怠っていたのであろうと、反省しているところ
です。  「寿則多辱」、すなわち、長生きをして、己の恥を知り始めたのです。

★  上記ルカ傳4章が語るイェスの地上使命には、教会の組織だの教会での礼拝とは
こうこうあるべきだ‥などの秩序や規則は一切含まれていないことを私は最近に到り
気づき始めたのです。  信仰生活61年、私はどのように過ごしていたのでしょう?

  教会史を独学でかじり始めて60余年になります。  恥ずかしい告白ですが、イェス
とその地上生涯を、語られたことを、まともに顧みなかったのです。  愚かでした。
それは、イェスがベタニヤ村でマルタにおっしゃった一言によく表現されています。
  『お前は、究極的に見て、どうでもよいようなことの多くに心を配り過ぎて、結局
は、<無くてはならないたった一つのこと>を見失っている』ということです。
仏師が見事な仏を造って、魂を入れるのを忘れた‥ということに似ています。

  みなさんは、私のように、愚か者であってはなりません。  イザヤ書61章とルカ傳
4章が語るイェスの地上宣教の目的を、熟読してくださるようにお薦め致します。

  こん日の社会の、毎日毎晩の新聞やテレビジョンの報道は、邪悪に満ち溢れたもの
ばかりです。  嬰児が殺され、老人が殺され、弱者が見捨てられ、役人たちの不正が
報じられています。
  イェスがイザヤ書から引用されたルカ傳4章の内容は、現在社会においても必要と
している内容です。  礼拝席上で楽器使用がどうのこうの‥そのようなことではない
と私はイェスの発言を理解するのです。  「寿則多辱」を恥じるのです。

  もし、上記のイザヤ書61章やルカ傳4章を私どもが真剣に待望し、そのような状態
の来たることを切望するのであれば、ヨベルの年として、「暗黒と死の陰に住む者」
(ルカ傳1章79節)は狂喜することでしょう。

★  ヨベルの年のことは、レビ記25章に主に記されていますが、私たちにとって霊的
な解放の年、恵みの時として喜びに満ち溢れた年ということにもなります。
  イェスの弟子である、弟子になりたいと願うということは、霊的に解放されたこと
を祝う者たちで満ち溢れている世界‥ということになりましょう。

  ルカ傳4章22節でイェスは、「このイザヤ書61章の聖句は、あなたがたが耳にした
この日に成就した‥」と語っておられます。  貧しき、虐げられている者への福音、
すなわち、よきおとずれを聞き、心に重荷を負う者が癒しを得、捕われている者たち
が解放され、盲人が視力を回復し、押えつけられている者たちが自由を得る‥という
主の年を告げているのです。  ヨベルの年が来たということです。

  人々が罪を悔い改め、新しい関係を神さまとこの世との間で始めたのです。
メシアのもとで悔い改め、神の国の新しい民として解放され、信望愛の新しい人生を
始めたということです。  私はこの神の国の始まりを、恥ずかしい次第ですが、見抜
くことができないままで現在まで来てしまったのです。

★  私たちは、この地上人生において、ストーンやキャンベル親子たちが言い出した
とされている、クリスチャンの一致を聖書に戻ることで達成しようと呼びかけている
運動を貴い目標に掲げている教会に属しているんだ‥と主張しています。

  そして、ストーンは、キリストの再臨は、これからやって来るのだ‥と信じていま
した。  その一方で、キャンベルは、とくに息子アレキサンダーは、キリストの教会
はすでに始まっている‥と主張していました。

  前者を前千年王国論と言います。  後者を後千年王国論と言います。
そして私たちの「ストーン・キャンベル聖書復帰運動」という群れは、とくに無楽器
教群の間では、神の国の到来に関して、教会の交わりを断絶するほどの激しい論争を
続けてほとんど85年ほどになります。  私が留学をしたのは、千年王国論争が最悪の
状態のときでありました。  そのことを体験した留学生はこの群れの中で私ひとりだ
と思います。  恐ろしく非人間的な、非聖書的な、憎しみ合いの闘争でした。

  そのような愚かで恐ろしい論争の中で私は留学し、両陣営から教えを得たのです。
今では、実に恐ろしい時代を体験したものだと、それでも護られてこん日まで来られ
たことを得さしめた恩寵に感謝を捧げています。

  愚かで恐ろしい千年王国論争の中で育った者としまして、私にはルカ傳4章が語る
イェスのヨベルの年、解放と新しい秩序の時代が、すでに打ち立てられていたのだ‥
という事実を想像することすらできなかったのです。  愚かでした。

★  このことを頑固な私に少しずつ悟らせてくださったのは、私が半世紀に亙り親炙
していますギャロット Leroy Garrettという先生です。

  ストーン・キャンベル運動からの先駆者の宣教師ガルスト Charles E. Garst 夫妻
らが来日されて百年目に当たる1983年に、ギャロット教授に私がお願いをしまして、
東京で百年記念祭を企画したことがあります。  小幡史朗先生のご好意を得まして、
御茶の水教会などで記念講演をして頂いたことがあります。  そのことがあってから
もう三十年近くになりますが、その間にも個人的にしばしばご指導を頂いています。

  そのギャレット先生が、ルカ傳4章が語る「イェスによるヨベルの年の始まり」を
よく考えるようにと教えてくださった次第です。

  確かにそこから、人々の必要に応えられるメサイアとしてのイェスの姿を、徐々に
私も見ることができるようになって来たのです。  ようやく忌まわしい千年王国論争
では見ることができなかったイェスの新しい世界を見ることができるようになったと
考えています。  また別の、「よき師」にようやく出会うことができたのです。

★  レビ記25章が説明するヨベルの年、解放の喜びの到来を告げるラッパが鳴り響く
年のことを読んでみますと、重い借財に苦しんでいた者や奴隷であった者の歓喜の声
が聞こえてくるようです。  重荷に苦しみ喘いでいた人々が解放され、新しい希望の
人生が始まるのです。  讚美歌 169番はシリアの喜びの調べを美しく伝えています。

  イェスは、遣わされたメシアとしての確固とした自覚と共に、ルカ傳4章16節以下
で、イェスの到来と共に始まった新しいヨベルの年の始まりを宣言されていま
す。  私はこの事態を洞察・掌握できないままで、ペンテコステから始まった教会の
こと、使徒パウロのこと、教会のことばかりに心を奪われて来てしまったのです。

  ルカ傳17章21節でイェスは、『神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ』と
宣言されていることを私は頭の片隅で知っていましたが、キリストの教会という群れ
の中では、神の国とは将来に於いて、終末に於いて、可視的な現象としてやって来る
ものと教えられて来ました。  「あなたがたのただ中にある神の国」という視野から
論じられてきたことがなかったからです。  自分で聖書を読み、考えるということが
なかったのです。  イェスの到来で始まったヨベルの年の理解がなかったのです。

  イェスというメシアが、湖畔で五千人を養われたこと、病める者を癒されたこと、
死せる者をよみがえらせられたこと、悲しむ者を慰められたこと、寡婦に仕えられた
こと、幼子を抱いて神の国の姿を示されたこと、いろいろな種類の身体障害者たちを
覚えて癒されたこと、社会的に蔑視され疎外され隔離されていた重い皮膚病患者たち
に愛の目を注ぎ癒されたこと、世間から激しく卑しめられながら、自分自身の肉体を
売ることでかろうじて生きようとしていた女性たち、ザアカイのような取税人‥
  ユダヤ教の学者や祭司が見向きもしなかったこれらの人々に対して、メシアである
イェスは、「神の国の到来」を告知され、その内容を実際に示されたのでした。

  そして、ヨベルの年の到来を宣言され、実行されたイェスは、そのことでイェスに
敵対する人々によって十字架の道へと追いやられて行かれたのです。

  これらを結果的に軽視して、ペンテコステのあとのことばかりに心を奪われていた
私が、己の地上生命の終焉に及んで、初めて気づいたことが「寿則多辱」です。

  教会の多くも、私と同じような誤解をしているのではないかと案じます。
こん日のちまたに溢れる犯罪、失業者、ホームレス、世界各地で行われている戦争の
被害者たちに対して、ほとんどのキリスト教会と、それに属している「善男善女」は
「メシアとしてのイェスによって始まった神の国」とはほとんど無関係なことを実行
しているのではないかと案じます。  エペソ書5章18節の警告を誤解しています。

  教会も、自己という囲いの中で、宗教的阿波踊という酒に酔い浸っているのです。
教会が置かれている社会から自らを隔離疎外して、つまりゲットー化して、自分たち
だけでイェスの名を使って、ハレルヤ・アーメン騒ぎをしているようです。
  いちおうは十字架を掲げていますが、己の十字架を己で担うということをしません
でした。  そしてそのことに全然気づいていないように思います。

  聖書に戻ってクリスチャンの一致を図るのだ、図れるはずだ!」と主張しているの
です。  私もその一翼を担っていたのです。  ずいぶんと長いことかかって、自分が
偏った、狭い宗教世界の中にどっぷりと浸かっていたことを気づき始めたのです。

★  メシアであるイェスの到来と共にやって来た、イェスのヨベルの年の始まりを、
こともあろうに、イェスの弟子たちの自己中心主義、損得計算主義が妨害して、弟子
たち自身も神の国の新しい始まりを理解させなかったようです。

  丘の上に坐られたイェスは、イェスに付いて来た大勢の疲れきった群衆をごらんに
なって憐れに思われ、群衆にパンを与えることをお考えになったと、ヨハネ傳6章が
語っています。

  ご自分では何をなさろうとしていたのかご存知でしたが、計算だかいピリポにわざ
と質問をされました。  『どこかでパンを買うことができるのかな?‥』です。
計算だかいピリポに比べ、半信半疑のアンデレは、『ここに弁当を持った子供がおり
ますが、足りそうもありませんよねぇ‥』と答えています。  質問を受けた弟子たち
は、「いくらお金がかかるのか?‥」という現実的なことを考えたのでしょう。

  そこでは、イェスが群衆のことを、どれほどまでに憐れんでおられたのか‥という
理解はなかったようです。  イェスは、飢え乾きながらもイェスに従って来た群衆の
ことを、どのように養えばよいのか考えておられたのでした。

  現在の教会も、救いを必要としている群衆の存在を見ることができなくなっている
ばかりでなく、ほとんどすべてを、「お金がどれだけ要るのか?」で図る傾向がある
ようです。  イェスの神の国が到来していることがわからないのです。  神の恩寵が
豊かであるという事実を理解できない状態にいるようです。

  教会は、「教えを説くこと」に専念したいのでしょう。
イェスが五千人を養われたとき、「説教をされた」のではなかった事実を、こん日の
教会は理解できないでいるようです。  イェスは心を痛めながら、飢え乾く者たちを
養われたのです。

  私が清渓川スラムに居たとき、ビリー・グラムは汝矣島(ヨイド) の広場で百万人福音
集会と称する活動をおこなっていました。  スラムの教会員たちがソウル市内に出て
行って、ごみの収集をやっている間に、絢爛豪華な教会堂が次々に建てられていまし
た。  いつも何かおかしい‥ Something is wrong!と感じていました。

  イェスは己のすべてを与えられました。  しかしこのイェスを、救い主だと信じる
と口先で言っているこん日の教会の多くは、絢爛豪華な建物を競って建てて、巨万の
富みを教会会計の中に貯め込んでいます。  そして世の必要にはほとんど応じていな
いのです。  苦しみ悩む弱者に交わりの手を差し延べることをしていないのです。

  これでは、主の弟子であるとはとうてい言えません。
黒人霊歌の、『弟子とならま欲し‥ Lord, I want to be a Christian 』を歌う資格
がないのではないかと、そのように思うことがあります。

  新約聖書の中で、聖書のどこに、教会が会計係を置き、教会が献金を蓄えるという
ことを記しているのでしょうか?  教会が救いを必要としている弱者に対して、どの
ように教会に集められた献金を、喜んで使っているというのでしょうか?

  私たちは、今まで、ことごとに、「聖書的かそうでないか?」という自分で決めた
価値基準で他の教派教会を厳しく裁いて来たことでしょう?
  しかし自分の教会に、献金という、聖書が語っていない制度を築き上げて、献金額
の多寡で、いわゆる牧師や会計さんが浮き沈みしていることでしょう?

  『天に宝を積め』とイェスはマタイ傳6章19節~34節で教えておられます。
「あめに宝つめる者は、げにも幸なるかな」と讚美歌 513番を私たちは歌います。
「みな捧げまつり吾がものはなし‥我みな捧ぐ‥」と聖歌 541番を大声で歌います。
  しかし実際生活において私たちは、その反対のことを無意識で、無感覚で繰り返し
ています。  日曜日の朝だけ、主の名を使って誓うのですから、これは神さまを欺く
偽善行為となります。  これほど非聖書的、反聖書的なことは在り得ません。

  教会と教会につながっている私たち一人ひとりは、私たちの時間も、経済能力も、
エネルギーも、教会で日曜日になると唱える、神さまの名による誓いや約束に従って
誠実に実行する者となる必要があります。しかし私たちの実生活は、そうでないこと
が多いようです。

  『私は裸で母の胎を出た。  また裸でかしこに帰ろう。  主が与え、主が取られた
のだ。  主の御名はほむべきかな』とヨブ記1章20節は言います。  聖書的でありた
いと願う者であるならば、私たちはまずそのことを実行したいものです。
  イェスのヨベルの年を歓喜の声で迎えた者は、人に仕えることで神さまに仕えると
いうことを、恩寵の内に、静かに、着実に実行して行く者となりたいものです。

  「聖書の単純な教えに戻ることによって、基督者の一致を図ろう」という運動は、
そのスローガンだけは実に立派な謳い文句だと思います。
  しかし、それはそれを口に唱える者にとって、実際には絵に描いた餅以上に極めて
実行困難であり、偽善者のスローガンにしか過ぎないことを、「寿則多辱」となった
こん日、私は覚え始めたのです。  実にお恥ずかしい次第です。

  「聖書に戻ることによって‥」ではなく、「イェスに戻ることによって、イェスの
愛に戻ることによって、基督者の一致を求めよう‥」とするのが、更に妥当であり、
実現しやすいものであると考え始めるようになったのです。

  いや、聖書復帰運動とは、イェスに在ってすでに成就していることではないのか‥
ということを、最近に到って、私は考え始めるようになったのです。
「寿則多辱」の内に、恩寵によって示され始めたのです。
復帰運動の目標はイェスに戻ることによって可能なのではないのでしょうか?

  「俺たちこそ聖書的な教会」だと自称している教会は、マタイ傳25章31節~46節に
紹介されているイェスの言葉を、謙虚に読み直す必要があるように思えるのです。
  『これらのいと小さき者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである』という
イェスの言葉を、より多くの教会が大切なこととして語りはじめることができれば、
クリスチャンの一致はさらに可能になるのではないかと、そのように思うのです。

★  最後に、教会史の登場人物が何をどう語ったかとか、何をどう解釈したかのか‥
ではなく、コリント前書15章3節~4節とマタイ傳17章8節に記されているように、
「私の罪のために十字架の上で死んで下さったイェス」を熟視することが必要だと、
「寿則多辱」の日々が多くなっている私は、そのように改めて思うようになってきた
のです。

  これからストーン・キャンベル教会史を学ぼうとなさる後輩が出てくることを期待
しますが、私の失敗を繰り返さないで頂きたいと願うのです。
  書くべき多くの失敗談や告白がまだありますが、今回は一応これで終ります。