『慈しみ深き友なるイェスは』 -What a Friend we have in Jesus-

★  クリスチャンでない日本人でも、この讚美詩か讚美曲を、多くの人々が耳にした
ことがあると思います。  あるいは、同じ曲を使った別の替え歌が存在しているかも
知れません。  教会での礼拝や祈祷会以外にも、家庭集会の席でも、結婚式や葬儀の
席でも歌われている讚美歌です。

  とりわけ変化に富んだ曲というよりも、どちらかと言いますと単純な曲のようです
が、人の心の奥底にまでジ~ンと届いてくる讚美歌のひとつだと思います。

  バプテスト教会系の新生讚美歌では 431番に、聖歌集では 607番に、インマヌエル
讚美歌集では 140番と 165番に異なる訳詞がつけられて掲載されています。
ほかの讚美歌集にも紹介されているでしょうが、詳細は略します。

  外国の詩を日本語に翻訳するということは極めてむつかしいものですので、原文と
比べながら、皆さんそれぞれが違った讚美歌集を比較なさるとよいかと思います。

★  まず作詞者のことです。
ジョーセフ・M・スクリヴェン Joseph M. Scriven, 1819~1886を生きた人です。
  私たちに関係の深いトーマス・キャンベルが活躍していた北アイルランドのダウン
郡で1819年9月10日、すなわちトーマス・キャンベルが新世界に移住してから12年後
に生まれています。  両親はそれなりに裕福な人たちであったようです。

  アイルランドに残してきた母親を慰めるために作詞したと言われています。
作詞したとき、自分の名前をつけて発表しなかったため、そののち30年ほどのあいだ
彼の作詞したものだと、誰も気づかなかったそうです。

  北アイルランドのダブリン大学の一部であるトリニティー・カレッジで学んでいま
す。  もともと英国国教会との関係で1581年に設立された古い学校です。
  後述のジョン・ネルソン・ダービーもこの大学に学んでいます。

  いろいろな参考資料で調べてみますと、スクリヴェンは英国国教会会員ではなく、
インデペンデント、すなわち既存の体制教会に属しない、プリマス・ブラザレンの人
で、  カナダ移住後もプリマス・ブラザレンの群れに席を置いていたようです。

  婚約者が、結婚式前日か、あるいは二、三日前に、思い掛けなく溺死してしまうと
いう痛ましい事件が起こりました。  このことがあったのち、スクリヴェンは生涯を
通して欝に悩まされたそうです。  人々の勧めもあって、気分転換のためにも新大陸
アメリカに移住することを決めたのです。  25歳のときでした。
  恋人を失った時の衝撃の深さは、愛する母の病気と共に、スクリヴェンにとって、
人生の真の友は主イェスのほかにあり得ないと、深く悟らせたようでした。

  なお、両親を故国に残して新大陸に移住するように動機づけたことの、もう一つの
理由は、プリマス・ブラザレンの信仰がカナダにもあったからだと言われています。

  プリマス・ブラザレンPlymouth Brethren 運動は、イギリスのプリマスで始まった
一般信者たちによる運動で、カルヴァン主義と敬虔主義との折衷的な理解をし、聖書
の逐語霊感説を採り、前千年王国説にも立脚し、倫理観はピューリタンのそれと同じ
であり、職業的聖職者制度を認めず、毎日曜ごとに主の晩餐を貴び、各教会は単立、
自治、自養、自伝、自教などを説きます。

  この群れの指導者は、ダービー John Nelson Darby, 1800~1882で、千年王国説に
立つ經綸学 Dispensational pre-millennialism を説いたことで知られています。
  この群れの教えの多くは、半世紀以上も前に私が留学したケンタッキーの聖書大学
で3年間にわたり学んだこととよく似ています。

  プリマス・ブラザレンの群れは、日本では、一部は日本基督教団に所属し、一部は
これに属すことを拒否しおり、後者は「基督同心会」と呼んでいるように思います。

★  1846年にカナダに移住し、オンタリオ湖畔のポート・ホープに到着です。
そののち、オンタリオ州トロント郊外ウッドストックと、ブラントフォードで教鞭を
とり、またのちには、トロント北東約百キロのビュードリーという僻地のペングリー
家の家庭教師にも雇われています。  この家族の詳しいことはわかりません。
ビュードリーという田舎町を捜すのも容易ではありませんでした。

  しかし、この地でスクリヴェンはエリザ・ローチ Eliza Rocheという女性と出会い
ます。  ペングリー家の親族のお嬢さんであったようです。

  ところが、不思議なことだと言いましょうか、不幸が重なったと言いましょうか、
再びスクリヴェンとエリザを襲いました。  エリザもまた、結婚式を直前に、死亡し
てしまったのです。

  スクリヴェンの二度にわたって婚約者を失うという悲劇的な事故は、私たちの想像
を遥かに越えるものであったにちがいありません。  その慰めをイェスに見いだした
のです。

★    そののちスクリヴェンは、プリマス・ブラザレンの交わりにさらに積極的に参加
し、その地域の加齢者たちの世話に没頭するようになったと言われています。

  スクリヴェンは、常識を逸した、風変わりな点もあったようですが、博愛主義者で
もあり、宗教的には極めて敬虔な、霊的な人であった‥と、語り継がれています。

  彼はいわゆる「山上の垂訓」(マタイ伝5章~7章)のイェスの教えを、実に文字
通り受け止め、それを実行することに努めた人であったと言われています。

  自分自身がどんなに貧乏な開拓移住者であっても、自分より気の毒な立場の人たち
を見れば、自分の持っている物を惜し気もなく分け与え、時には自分が着ている衣服
でさえ脱いで与えた‥と言われています。  私たちにまねのできないことです。

  「ポート・ホープの善きサマリヤびと」とも呼ばれていたそうですから、彼の信仰
とひととなりを充分に察することができるかと思います。

  『あの人(スクリヴェン)は、貧乏な未亡人が寒さで震えているのを見れば、材木
を割って薪束を作り、病気の人を見れば、薪を無料で提供する人なんだ‥』とうわさ
されていたそうです。  私たちなら、見て見ぬふりをたぶんすることでしょう...

  ある時、大衆福音伝道者ムーディーと組んで活躍した有名な讚美歌歌手のアイラ・
サンキーが、オンタリオのポート・ホープの街角で、木挽台とのこぎりを持っている
男を見かけ、薪を作ってもらおうとしたとき、回りの人たちがサンキーに向かって、
『そいっぁ無理ですで。  あの男は、貧乏人のためにしか薪割りをやりません!』と
告げたそうです。  そのことでサンキーはスクリヴェンのことを書き残しています。

★  ところで、スクリヴェンが作詞した『慈しみ深き友なるイェスは』という詩は、
スクリヴェンが住んでいたカナダから遥か地球の三分の一も離れた祖国アイルランド
に住んでいた恋しい母親が病に倒れた‥ということを聞いて、母親に手紙を書いたの
です。  その手紙の中にこの詩も書き含めたのでした。  決して公表するという意図
はなかったようです。

  のちに到り、スクリヴェン自身が病に倒れたとき、友人の一人が彼のノートの中に
この詩を見つけだし、『この美しい詩は君がかいたのかい?』と尋ねたそうです。
  スクリヴェンらしい返事が戻って来たそうです。
『ええ、まぁね・・  主イェスさまと私の共同作品っていうわけですよ』

  1869年に到って、スクリヴェンが作詞しておいたいくつかの詩が、ささやかな形で
出版されたそうです。
『Hymns and Other Verses讚美歌といくつかの詩』とでも訳しておきましょう。

★  ある日、かつてスクリヴェンが住んでいたことがある、ライス・レークの川辺で
彼の死体が発見されました。  溺死したのか、事故死であったのか、それとも自殺で
あったのかは、こん日に到るまで明らかにされていませんが、彼を慕う多くの貧しい
人たちによって5メートル前後の高さの立派な石の記念碑が立てられています。
写真で確認しました。

  (なお Rice Lakeは、オンタリオ州内に二つあります。  その一つはスクリヴェン
が住んで居た地方から余りにも掛け離れた地域にあります。  もう一つの湖は、彼の
活動していたトロント市から百キロほど東の、オンタリオ湖に面したところにありま
す。  おそらく後者のライス・レークであろうかと推測しています。)

  1857年にポート・ホープで作詞された『慈しみ深き友なるイェスは』という有名な
詩はその石碑に刻まれているようです。  オンタリオ湖に面するポート・ホープから
6キロほどの所にあるペングリー族の墓地の一角にスクリヴェンは眠っている‥との
ことです。

★  次に、作曲者のことです。
チャールズ・クロザット・カンヴァース Charles Crozat Converse  は、1834年10月
7日にマサチューセッツ州ウォレンに生まれ、1918年10月18日にニュー・ジャージー
州のハイウッドで死亡、ニューヨーク州キャナンダイグワに埋葬されました。

  ニューヨーク州エルミラにあったアカデミー、小中高校に学んでいます。
アパラチア山脈の中にある、ペンシルヴェニア州との州境に近い田舎町です。
  21歳の時にドイツに渡り、プライディー、リヒター、ハウプトマンの指導を受け、
リストやシュポアなどと交流を深めた人です。

  そうかと思えば、1861年にはアルバニー大学から法律界の学位を受け、1895年には
法学博士号をラザフォード大学から受けています。  ペンシルヴェニア州のエリ市で
弁護士として法曹界で活動しています。

  たいそう多才な人で、カール・レデンという偽名で、幅広い分野にわたって学術書
を発表しています。  有名な管弦楽団のために作曲家としても活躍していました。
もちろん、立派なクリスチャンでありました。
サンキーやブラッドバリーのためにも多くの優れた作曲をしています。

  しかし何といってもカンヴァースを有名にしたのは、スクリヴェンが書き残した、
『慈しみ深き友なるイェスは』に、美しい曲をつけたことであろうかと思います。

★  私たちも、私たちに神さまから託された、かけがえのない人生と才能を、神さま
の栄光のために捧げ尽くしたいものだと願うのです。  如何でしょうか?