エゼキエルの乾骨 Dry Bones


★  すでにお知らせしましたように、1970年代、八幡山時代に購入しました屋内私設
電話交換機も、末期高齢者となった使用者と同様に、劣化が始まったようです。
  当地に移住して来たときに持参した交換機を設置してくださった業者に修理を依頼
しましたが、どうも上手に修理ができず、年末以降不自由になった電話機を使用して
います。  新しく電話交換機を購入すれば済むことかも知れませんが余裕皆無です。

★  いっぽう、99歳だか百歳になった母カツさんの老衰化が進行中であり、緊急時を
控え、母を看取る妹との確実な連絡手段を確保する必要が生じてきました。

  長男と同じ携帯電話会社であれば通話料金が無料であると聞き、一番簡単な機種は
無料で入手できるとの説明を聞きましたので、恐る恐る加入しました。
  操作するのに困惑している初心者に対して、メール・アドレスとかを決めてくれ‥
と言われ困り果てました。  結局、それを選択しませんでしたが、エゼキエル書から
「ドライ・ボーンズ Dry Bones」というのを、もうすこしで選ぶところでした。

★  それは、私がケンタッキーに留学した1950年代に流行した黒人による四重奏で、
エゼキエル書37章1節以下に登場する「枯れ切った骨 Dry Bones  ドライ・ボーン」
を主題にしたおもしろい歌を思い出したからです。

  谷間で、おびただしい数のばらばらに散らばっていた乾き切った人骨が、神の霊の
命令に従って、12の骨が一つずつ結び合ったり、またお互いから離れたりするという
姿を半音階ごとに描いていたと記憶しています。  ウインチェスターの神学校在学中
に、全校生徒わずか20名前後で構成されたコーラスで楽しく歌った記憶があります。

★  黒人四重奏霊歌そのものはユーモラスに歌われていましたので、当時大流行歌に
なったと記憶しています。  しかし、36章25節~28節などと結びつけて読んでみます
と、死せる者(物)ですら、神の霊によって再び生かされて、神の御用に当たる
ことができると読めます。

  私も自由党政権下で天下公認の後期高齢者、すなわち、末期高齢者となりました。
70才代後半部になって、今まで体験したことのない、いわゆる老人男性が体験する、
新しい体験を心身ともに体験しつつあります。

  希望をほとんど抱けないこの国にあって、加齢者となるということは、希望を抱け
ない年齢に到着したかと、そのように思わざるを得ないときが多々あります。

  しかしエゼキエル書37章が語るように、乾いた骨が、神の霊によって再び結合し、
生きた人間に戻り、神の御用に当たった‥と、11節以下は淡々と語っています。
  年老いて去り行くことを考える老人であっても、神はその御旨に従って用い給うと
いうことを知るのは、大いなる感謝であると、私はそのように思うのです。
神に用いられるのであれば、乾骨・老骨であっても、まんざらではないと思います。

  ヨエル書2章28節の中で、『老人たちは夢を見る』としるし、『神は神の霊を僕や
端女に注ぐ』と約束されています。  そして、同じことを語る使徒行伝2章18節は、
『神の霊を注がれた者たちは預言する』と説明しています。

  この2章18節が語る「夢を夢見る」という表現ですが、「睡眠中に超自然的な暗示
や示唆によって受ける夢、a sleep vision」という意味です。

  すなわち、神さまは、年齢に関係なく神さまのご用のために仕える人間をお用いに
なるのです。  老若男女は関係なく、神さまは私たちが神さまのために仕えることを
求めておられるのです。  仕える人を求めておられるのです。

  『主の目はあまねく全地を行き巡り、自分に向かって心を全うする者のために力を
顕される‥』と歴代志下16章9節は語っています。  主の御用に用いられることを、
主に仕えることを、本年は誠実に願い求めたいと考えるのですが...  如何でしょう?