讚美歌 136 聖歌 155 O Haupt voll Blut und Wunden に就いて


  追加情報です。  主イェスの十字架上の受難を表現するに相応しい讚美の歌として
いろいろなものがありますが、讚美歌 136番・聖歌 155は特に有名だと思います。

  『血潮したたる主のみかしら』(讚美歌)にせよ『いばらの針』(聖歌)にせよ、
この荘厳な讚美歌はバッハの受難曲によって多くの人々によく知られています。
英語では" O Sacred Head, now wounded "としてよく知られています。
  この讚美詩は原文のラテン語から直訳されたものだと考える人が多いようですが、
実は獨逸人で敬虔な詩人パウロ・ゲアハードが、クレルヴォーのベルナール Bernard
のラテン語で作詞した十字架のイェスに関する詩文をまず獨逸語に訳したものである
とされています。  しかし、この学説に対して疑義を抱く人も少なくないそうです。

  ベルナールはフランス語読み、獨逸語ではベルンハルト、英語ではバナードです。

使役犬セント・バナードの語源ともなっています。  西方修道院制度の父とも呼ばれ
ているベルナール神父はフランス人で、優れたキリスト教思想家、神秘主義者として
も有名です。  基督者としての敬虔な品性や優れた芸術文化的才能の持ち主としても
秀でていますが、同時にそのことで、回教徒たちの手から聖地奪回を謳った十字軍を
賞賛激励したり、同じ基督教界の中で論敵を撃破するという理論家でもありました。

  ベルナールの作詞したこの讚美歌は極めて中世期的な響きと修道僧的な薫りが漂う
ものです。  修道僧は十字架の数珠を使いながら祈祷していましたので原文の詩にも
そのような配慮がなされてあったのです。

  即ち、私たちが現在讚美している歌集にはふつう四節しかありませんが、元来の詩
では十字架に架けられた主イェスの体を両脚、両膝、両手、両脇、胸、心臓、頭部の
七つに分けて考察し、主のみ体の各部分について更に五十行を割いて詳しく描写し、
それらのことを想い唱えながら十字架の数珠を手に黙想するように作詞されていたの
です。  また、私がバイオラ大学で習った時には、主イェス・キリストの体を十二に
分けて、修道僧たちは主イェスのお苦しみを想ったのだとの説明もありました。
七と言い、十二と言い、共にそれらは完全数を表しているからです。

  いずれにせよ、そのような敬虔な黙想のために、時間をかけて主の十字架の苦悩を
記憶するために作詞された讚美詩です。  私たちも同様に心して讚美したいですね。

                              《十字架のこと いろいろ》完