『讚美歌75番の作詞者を想う』

★  昼間は栗鼠や野鳥たちに、夕べには狐たちに餌を与え始めて、すでに半世紀にも
なります。  その間に蛍や小綬鶏コジュッケイが完全に姿を消しました。  貂や鼬、白鼻心
や狸の来訪も減りました。  鹿は沢山いますが猪親子の姿を見かけなくなりました。

  部落の居住地域からはかけ離れた原生林の中の一軒家ですので、最初の何年かは、
雀の姿を見ませんでした。  しかし、いったん学習した雀たちは、雀の学校全校生徒
を挙げて集団入学するようになり、あちこちの集落から一斉に毎日通学して来ます。

  気にいった餌なら大量に食い尽くし、自分たちの嘴に合わない向日葵の種などを、
餌台から蹴飛ばし落としますので、烏と同様に、困った集団強盗のようなものです。

  毎年この頃になりますと、雉の夫婦が庭にやって来ます。  そのために鶏用飼料を
7百グラムほど朝ごとに庭に撒きます。  しかし、雉が来る前に、雀たちが貪るよう
に食べ尽くしてしまいます。  補給すれば、また同じことが繰り返されます。

  早朝から暗くなるまで一心に食べ続ける雀たち、メタボ雀となり、飛翔することが
できなくなるかも知れません。  むかし私が小学校低学年生のときに習ったように、
お爺さん・お婆さんにお礼の葛籠を運び込むという発想を、現在の雀の学校では全く
教えなくなったようです!  時代の変化を感じます。

★  さて、砂糖水を飲む目白や鶯、一日中食べ続ける雀の姿を眺めていますと、一人
の聖徒を想い出します。  讚美歌75番の作詞者 Francesco Bernardone のことです。
わが国ではアッシジのフランシスとして知られています。  ブラザー・サンという名
の映画もありました。

  実際には、ローマ教会と支配者階層にとって、厄介で恐怖の対象であった人物で、
抵抗勢力の異端者として異端審問所で断罪されても決しておかしくなかった、底辺層
の人たちの中に身を置いて福音を語り、主イェスがそうであったように、自らも苦悩
する者たちの中に身を置いた人物であったと私は理解しています。

  フランシスを慕う貧困層の人々の数が増えるに従い、彼を反乱運動の指導者として
逮捕して処分してしまうよりも、彼を利用して、英雄化して、そのことで不満の矛先
をローマ教会に向けられるのを避けようと試みた、教皇たちの政治的判断が優先し、
教会が彼を聖人に祭り挙げたものだと、私はそのように、一人の教会史の学徒として
捉えています。  素直でない、捻くれ者の発想だ‥と言われる可能性がないとは決し
て言えませんが、私は少なくともそのように見ています。

★  フランシスは実に霊的な若者であったようです。
『偉大なる、栄光に富み給う、主なる神さま、そして私の主イェス・キリストさま、
私の暗い心の中をその御光りで照らしてくださり、私に純粋な信仰と、堅い希望と、
完全な愛をお与えください。  そのことによって私があなたさまを知ることができる
ように導いてくださいませ』‥と、そのように祈っていたそうです。

  フランシスの父は裕福な商人でした。  その父の保護の下でなに不自由のない生活
をしていたのでしたが、次第に苦しんでいる多くの人々の悲惨な生活に目覚め始め、
父に逆らって勘当されるに到ったのでした。

  山野を彷徨い歩く求道者ホームレスになったのでした。
そのような厳しい極限状態の過程で、ますます貧しい人のために徹底的に仕えること
を学び、そしてそのことと同時に、心の中で、ますます神さまを愛する単純な信仰を
増し加えていったのでした。

  つまり、社会正義感の強い人でしたが、同時に、神さまが創造なさった天地自然の
いと小さなものにまで、神さまの創造の栄光を鋭敏に感じて、神さまを讚美すること
においても実に豊かで素朴な信仰と人となりを持ち合わせた青年であったのです。

  神さまはそのようなフランシスを用い給い、世界を信望愛で変えるために、豊かに
お用いになったのでした。  そして、彼が作詞した讚美詩も、最近になってようやく
日の目を見ることとなり、世界的に歌われるようになったのです。

  讚美歌75番、新生讚美歌 125番、聖歌86番、インマヌエル讚美歌93番などに、彼の
作詞した、いのちが溢れ満ちている讚美の詩が紹介されています。

  それから四百年後に、ウイリアム・H・ドラパー  William H. Draper がこの詩を
英語に翻訳し、子供讚美歌 Public School Hymn Book, 1919に紹介したのでした。

  曲は、1906年出版のオックスフォード大学発行の The English Hymnal の 519番に
掲載されました。  ラルフ・ヴォガン・ウイリアムズ Ralph Vaughan Williams
1872~1958が最終的に手がけたものだそうです。

  新緑の初夏、神さまの創造の業を見つめつつ、神さまを讚美致しましょう。