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アム・ハーアーレッツ


★  先の記事で「サドカイ人」のことを紹介しておきました。国がローマ帝国によって占領され、宗教界を牛耳っていた職業的聖職者たちによって多くの民衆が支配され、貧しく、飢え乾き、虐げられ、辱められていたのでした。
  ローマ軍の占領下にあった群衆は、経済的にも社会的にも豊かであったユダヤ教と神殿礼拝儀式固守主義者たちによって虐げられていたのでした。
  イェスはそれらの大衆をこよなく愛され、憐れに思われ、彼らに希望と勇気を与えるために、神の国が近づいたことを告げられたのでした。

  この虐げられていた、解放の希望の無い大衆のことをアム・ハレッツとか、アム・ハーアーレッツ Am-Harrets と呼びました。  「the people of the Land  地の民」という意味です。  サドカイ人のような豊かな貴族支配層に対し底辺層の人々という意味でした。  あるいは都会人・知識人に対して農民という意味であったと説く学説もあります。  いのちのことば社の新改役聖書では「一般の人々」と訳しています。
  使徒行伝4章13節を「無学のただ者」とか「無学の普通の人」と訳していますが、本来は社会的に傷つけられた弱い立場の賤民という意味であったかと思います。

★  こん日の我が国では、物質と快楽で満ち溢れているように見えます。しかし一般大衆は将来に希望を抱くことができないでいます。  農村を見捨てた人々が大都会に集まり、失業者がどんどん増え、生活費や医療費がかさみ、老人が増え、政治は貧しく、オカネが人々を押し潰しています。  富める者はますます富み、貧し
い庶民はその日の生活にも困っています。  決して豊かな国ではありません。

  キリスト教会は結婚式宗教となり、仏教は葬式宗教となり、神道は地鎮祭とお守りとおみくじ販売の専門家と成り下がっています。  迫り来る国の危機を叫んでいません。  むしろ権力者・為政者の都合の良い道具化しています。
  悩める者、虐げられた者、希望を失った者、差別されている者の叫び声を聞くことができなくなっているだけではなく、彼らの声を伝え、人々が解放されることを訴える宗教ではもはや無くなっています。  使命を喪失したままです。

★  呷き悩む大衆の叫び声と、ヨエルの主イェスの怒り悲しみの声を、キリスト教会とその牧師やメンバーはどのように聞き、如何に応えようとしているのでしょうか?


復活否定のサドカイ派


★  私自身が私自身のこの地球惑星上で私に託された人生が終焉に向かいつつある事を意識し始めましたので、少しずつ所持品を手放すように努力し始めました。
  昨年秋には、所蔵していました聖書や讚美歌や教会史に関連する英文の資料を全て母校の一つであるペパダイン大学の教会史資料センターに寄贈しました。
  そのようなわけがありまして、「サドカイ人」という宗教グループの詳しい情報を提出することができません。  手持ちの日本語資料でご紹介いたします。

★  サドカイ人というのは、古代ユダヤ教内の一派のことです。  エルサレム神殿を中心とする、神殿での宗教行事を厳格に守る、いわば職業的宗教人のことだと理解してよいかと思います。  エルサレムの貴族祭司層とユダヤの地方貴族や地主によって構成されていた、極めて裕福な貴族階級、特権階級の人たちでありました。

  西暦70年にローマ軍によってエルサレムが破壊され陥落するまでは、ユダヤ教最高議会、すなわちサンヘドリンの中心的、多数派を占め、政治的、宗教的、社会的支配権を掌握していました。  ローマ軍の支配には不快感を抱いていましたが、ギリシャ文化、ヘレニズム文化の影響に対しては開放的であったと言われていますが、宗教的には極めて保守的な職業的宗教人層であったと考えられます。

  いずれまた考えなければならないことですが、パリサイ派という、もっと幅の広い層から成り立っている、聖書の口頭伝承の権威を肯定していた宗教層に対して、旧約聖書の最初の5書、すなわち、「モーセ五書」だけを正典としたのがサドカイ人たちでした。  パリサイ人たちは旧約の律法の研究と厳粛な遵守を主張していましたが、サドカイ人たちにとっては神殿と神殿儀式を守ることが最大の関心ごとでした。

  死者の復活も、天使の存在も、霊的な存在も、そのような信仰を、パリサイ人たちとは対照的に全面否定し、歴史や個人の人生に神や天使や霊が介入するということを否定していました。  保守的で富裕層に属する現実主義者であったと言えます。

  ソロモン時代の祭司ザドクからサドカイ人という名が派出したのではないかと考えられています。  列王紀上2章35節です。  使徒行伝23章8節にサドカイ人たちは復活、天使、霊などの存在を否定する人々であると使徒パウロが証言しています。

★  復活信仰も天使の存在も霊の存在をも否定するサドカイ人たちですが、どうしてそうなのだろうか?...という単純な疑問が湧いて来ます。

  サドカイ人たちというのは、強大な宗教権力集団の頂点に立っており、人々の生活のすべての面に到るまでを支配していた裕福な特権階級でした。  物質的に不自由なものはまったく無かった特権階級でした。  貧しい多くの人々を犠牲にして、悠々と生活を満喫していた権力者たちでした。  この世の中で欲しいものは何でも手に入れることができる、何ひとつ不自由のない、現世をとことん満喫している一握りの階級に属していた人々です。

  苦悩に満ちあふれたこの世からできるだけ早く脱出して、理想郷に到ること、復活して待望のメシアと共なる生活を渇望していた民衆とはまったく掛け離れた存在でした。  楽しい現世を満喫している者に、来世待望の願望などまったく不必要なことでした。  日々の生活に苦悩する庶民とはまったく別の次元に生きていたのです。

  高級自動車を運転し、高級腕時計をはめ、光熱費や通信費や税金の支払いから無縁な豪華な牧師館に住み、公費を使って海外視察名目で旅行もできる現在の宗教人たちに似ているところが多いと思います。  イェスが語った貧しい人々とはまったく無縁の存在でした。

  民の悩みの叫び声を聞く耳を持たず、群衆の悲しみと恨みに満ち溢れた絶望の声を代表して語ることなどまったくできない存在の宗教界の指導者と同じです。  社会の不義を問いただすことなどまったくできない自己中心的な職業的宗教人たちでした。

★  マタイ傳10章42節が語る「冷たい水一杯」ですらも飲めないで苦しみ悩んでいる人々を解放し、自由にし、来るべき神の国へと人々の目を向けさせる責務を果たそうとしない、富める職業的宗教人の存在とその悪を強く意識されていたイェスのことを思わずにはいられません。  現在の「教会」の多くはおかしいと思います。

ヨベルの年


★  このあいだから、イェスが生きておられた時代のことを、無責任極まることですが、何となく想像してみています。

  留学中の1950年代には、黙示録に書かれてある千年王国のことで散々にいろいろと教えられ、悩まされて来たことがありました。  紀元前1世紀から1世紀にかけて、確かにこの世の終わりを、千年王国待望信仰という考えで捉えることがユダヤ人社会では強かったようです。  この世の終わり=神の新しい秩序の確立、神の国の到来への期待信仰が強かったようです。  神による新しい秩序の到来を、イェスに重ね合せ、イェスの生涯をヨベルの年の始まり、解放の年の始まり、具現化と捉えていたのではないかと、教会史を学んで来た学徒の一人として、そのようなことをぼんやりと考え始めています。

  出エジプト記20章22節~23章33節や、詩篇68章5節~10節や、アモス書5章11節やヤコブ書5章4節~6節などを、これまた、焦点の定まらない朧な目で読んで見て、何となく理解しようと、無責任なことですが先週もそのように試みてみました。

  神さまのこと、イェスさまのこと、なぜ世に貧しい人、虐げられている人、弱い人たちが絶えないのだろうか?  どうして強い人、富める人、抑圧する人がいつもいるのだろうか?...などを、ぼんやりと考えてみました。

  人が「死ぬこと」は避けることができないが、「殺すこと」は避けられるはずだのに、どうして人も国も教会も、他者を殺すことを平気でやるのだろうか?...などとも考えてみました。  アメリカの保守的で原理主義的キリスト教会をも含んだことです。

  「殺す」ということは、鉄砲で相手の肉体を殺すだけではなく、言葉で、思い遣りの欠如で、相手を思いやる愛の不足が招く心の傷や存在の否定をも含んだことです。

  私も、親も、教会も、宗教人も、この罪からは自由ではあり得ないと思うのです。打ち付けた釘を抜くことができたとしても、釘の跡、古い錆びた傷跡は残るのです。日本のほとんどの人が、お互いに殺しあっているように思える時代に住んでいます。

  今の日本で、溢れ過ぎている物質、モノに取り囲まれているこの国は、実は精神的に極めて貧しい国だと思うのです。  巨大資本が国民を擂り鉢で擂り潰して国民から吸い取れる限りの富みと希望を吸い上げています。  永田町の政治屋も同じです。

  動物的な娯楽番組が多くなり、相撲が代表するようにスポーツ界も同じようです。この国が人類に正しい展望を与えることもできないし、自国の民に明るい希望の将来を与えることも最早できないのです。

  キリスト教も、仏教も、神道も、国民に何ら倫理的、道徳的、精神的な基準も希望も提供できないままで、死んだ儀式宗教に成り下がっていると考えているのです。

  明治維新以降、富国強兵論と脱亜入欧論でアジア諸国の人々と、自国の国民に多くの犠牲を強いてきた日本でしたが、今や追い抜かれる立場に転落しつつあるようで、これが国民に将来への失望感と不安感を与えているようです。  空虚感を満たすものが欠落したままのように思えます。

  このような世界の状態は、イェスが2千年前に御覧になった時と全く同じようだと理解しているのです。  「暗黒と死の陰とに住む者たち」だとルカ傳1章79節が描写している状態だと考えているのです。

  このような状態の私たちに対して、「罪の赦しの救い」が「神の深い憐れみの心によって」「天上からの日の光が私たちに一方的に臨み、希望のない私たちの足を平和の道へと導こう」とされているのだと、そのようにイェスによる解放の、ヨベルの歌をルカ傳1章77節~79節と4章16節~21節を読みながら、何かしら朧気ですが、私は感じ初めているのです。  主イェスが解放を高らかに告げて居られる2千年前の姿を、瞼の中にぼんやりとですが、見ることが出来るような気がしているのです。

  コリント地方の特産物の一つに、雲母、あるいは雲母片岩というのがありました。花崗岩の中に含まれている、はがれ易い、白雲母、黒雲母です。  マイカとも呼ばれていました。  耐火性が強いのでアラジンという石油ストーブの覗窓にも用いられていました。  電気の絶縁にも用いられていました。  2千年前のコリント地方では、雲母を使って、今わたしたちが使っている窓ガラスの代わりに用いていたようです。

  それでコリント前書13章12節では、丸い銅版を用いていた当時の鏡に写る朧気な自分の姿を、雲母の窓を通して外部を見ていた時にぼんやりと見えていた外の様子のように例えて語っているようです。

  先々週と先週、私はイェスさまのことや、2千年も前にローマの占領下にあった、そして神殿宗教を仕切る職業的宗教人たちが牛耳っていた当時の人々、圧倒的多数の奴隷や半奴隷を含む貧しく虐げられていた人々、希望なく何とかその日その日を生きていた人々のことを、ぼんやりと、朧気に考えていました。

  救われなければならなかった人々のことです。そしてそれはまさに現在の私たちの姿でもあるのです。  政治屋と巨大資本家が横行し、国を支配し、私たち国民に希望を与えることができないようにしているのです。
  結婚式専門のキリスト教、葬式専門の仏教、新築工事現場で祝詞を挙げ、お守りを販売するだけの神道寺院...腐り切った精神界です。  宗教にも救いがないのです!

  ヨベルを告げるイェスが今こそ必要とされているのです。聖書を読み、聖書が示す神の国、解放の状態を私たちは洞察すべきでしょう。


★  ヘンデルのメサイアやバッハの受難曲を聴きながらイザヤ書53章12節を読む時、大きな感動に満たされます。  讚美歌聖歌も十字架を讚える曲で満ち溢れています。

  一回りの初めの日に主イェスのお招きを受けて主の食卓に招かれて食卓に侍る時、コリント前書11章26節を読む時にも、同じような大きな感動が沸き上がって来ます。

  十字架に近寄れるのは砕けた心、感謝の心だけです。  いかなる知的理解も十字架に達することはできません。  砕かれた心だけが近寄ることを許されているのです。

  十字架には神御自身が架けられているのです。  独り子イェスが晒されているのです。  御子イェスの手や脇腹に私の罪の手が釘を打ちつけ、槍で穴を開けたのです。
 畏れ慄きつつ、謙った感謝の思いで十字架の主イェスの食卓に与りたいと願います。

何を選ぶのか?


★  今朝は、豪州に渡り宣教活動をして、大西洋上で暴雨風に襲われ、船と共にこの
世を去ったダニエル・ドレイパー牧師の最後の働きをご一緒に考えてみました。

★  私たちの人生の歩みは、大小さまざまな選択で成り立っています。
大きな選択もありますが、日常生活は些細な選択から成り立っているようです。

  職業を決めるとか、人生の伴侶を選ぶとか、家を購入するとか、教会を選ぶとか...
いろんな選択があります。  間違った選択をしてしまっても、この地上での生活では
何とかやりくりをして、我慢をして、工夫をして凌げば、差し支えがないようです。
何とかやって行けるもののようです。

★  しかし私たちがどんなに工夫を試みてみても、どんなに頑張ってみても、人生で
ひとつだけ、どうにもならない、どうすることもできない大きな問題があります。

  「問題」というからには、「解答」が必要であり、「答」が要求されていますが、
答えることができない人生最大の「問題」があります。  「死」という問題です。

★  以下は、ヘブル書9章27節の警告を、いろいろな訳から選んでみました。
  メメント・モリです。  アモス書4章12節の勧めも頭に叩き込んでおきましょう。

『人間は一度死んで、のち裁きを受けるように定められている...』
                                柳生直行訳

『一たび死ぬることと、その(死の)後の裁きとは、人に定まれるが如く...』
                                永井直治訳

『一度だけ死ぬことと、死んだのち(確かな)さばきを受けることが、
              (すべての)人に定められている...』  詳訳聖書訳

『人は一度は必ず死に、死後、裁きにあうように、定められている...』
                              キリスト新聞社訳

『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている...』
                            いのちのことば社訳

『一たび死ぬることと、死にてのち審判を受くることとの人に定まりたる如く...』
                                  文語訳

『人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている...』
                                  新共同訳

『一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている...』
                                  口語訳

メメント・モリ、豫言者アモスの勧め、如何でしょうか?

ダニエル・ドレイパーのこと


★  時々「ベタニヤつうしん」に紹介する聖句にアモス書4章12節があります。
『汝、汝の神に出会う備えをなせ!』という聖句です。  『memento mori !』と同じような意味です。  すなわち、『汝、死すべき身たるを覚えよ!』ということです。

★  この警告を実行した英国人メソジスト教会の牧師がいました。
ダニエル・ドレイパー Daniel Draper, 1810年~1866年を生きた聖徒です。ハンプシャーで生まれています。  父親は英国国教会員で大工でした。
  父の願いに反してダニエルは英国国教会の信仰を離れ、メソジスト教会員になり、メソジスト教会の信仰を抱く女性と結婚して、メソジスト宣教会からオーストラリアに宣教師として派遣されます。

  当時、大英帝国から新世界であった北米大陸に移住する人たちや、オーストラリアとニュージーランドに移住する人々が多くいたからです。  もちろん、囚人たちが送られたという事実もあります。  イングランドからほとんど地球の反対側に位置する豪州まで、喜望峰を経由した長旅でした。  それでも人々は移住して行ったのです。

★  30年間をドレイパー夫妻はオーストラリア各地で宣教活動に従事しました。
開拓各地に教会を設立し、メソジスト宣教会を組織し、学校を建てるなど、託された宣教の業をよくこなしました。
  しかし健康を損ねた妻は、数日間だけ生きることができなかった未熟児を出産後に他界しまいました。  3年後に同じメソジスト教会の宣教師の娘と再婚しました。
  ゴールド・ラッシュが豪州を沸かせ、ドレイパーはますます多忙な日々を送ることになります。  詳細は略しますが、南部オーストリラリアの教会員数は7千人、日曜学校生徒数は2千人などと、ドレイパーの苦労が報われていたことを示す記録が残っています。
  その後、一時イングランドに戻ったドレイパーは、イングランドとアイルランドのメソジスト教会活動にも積極的に、精力的に関わっていました。

★  1866年1月5日、イングランドとアイルランドでの仕事を終えたドレイパー夫妻はイングランド南西部、プリマス Plymouth 港からロンドン号で豪州向け帰国の長旅に就きました。  イングランド最南西端 Land's End を過ぎ、ロンドン号がフランス西のビスケー湾に差し掛かった時に暴風が船を襲いました。  乗客 263名中3名だけが救命ボートで難を逃れることができたそうです。

★  沈み行く船の上でドレイパーは人々に呼びかけ、悔い改めを勧めたと、生存者が証言を残していたそうです。

  『この船は、船長の話によれば助かるチャンスは皆無であり、間もなく深い海の底へと沈没するので、私たち全員は死んでしまうのです。  私たちは滅び去り、陸地を二度とふたたび見ることはありません。  しかし、希望がひとつだけあります。
    私が信じている「船長さま」は、私たちを「天の港」へ、「永遠の憩いの港」へと安全に導いてくださるお方です。  皆さんは、今ここで罪を悔い、そのお方を信じ、天国を到着港とするようにしなさい...』と勧めたそうです。

  トレイパーの力強い最後の説得を受け入れた乗客も、船長を含む「海の荒くれ男」たちも、肉体が滅び行く前に、「船長イェス」を信じる者となったそうです。
  こうしてドレイパーの魂は、1866年1月11日、彼の信じていた「船長さま」の御国へ、船客と船員と共に無事に旅立って行ったのです。  豪州主要都市のメソジスト教会や神学校には夫婦を偲ぶ記念碑が建っているそうです。

★  私たちが一時的に住むこの地球衛星の上には、次から次にと、あらゆる種類の罪と悪が絶え間なく襲って来ています。  そして余りにも多くの魂が、神の恩寵を全く知らないで滅んで行っています。  『人が一度だけ死ぬことと、死んだ後にさばきを受けることが、人間に定まっている』とヘブル書9章27節は断言しています。

  『汝、汝の神に出会う備えをなせ!』とアモスは勧めています。  memento mori!

裸で生まれ、裸で去り行く


★  神さまの一方的な恩寵に支えられ、計り知ることができないほど多くの皆さまのお赦しと愛情の内に、あっという間に人生78年が過ぎ去りました。  今から79年目の人生が、その終焉に向けて始まります。  神さまの時が来れば終わりましょう。

★  生まれる前から、どれだけの方々が私の誕生を期待されたのかわかりません。出産の時に、出産後に、どれだけ多くの方々が愛情を注いで見守ってくださったのかもわかりません。  産婆さん、親族の方々、お医者さん、近所の人々、お米やさん、魚屋さん、八百屋さん、洋服屋さん、牛乳屋さん、便所の汲み取り屋さん、幼稚園の先生がた、父の他界後にお世話をしてくださった方々、近所の腕白坊主たち、小学校の先生や用務員(昔は小使いさんと言いました)の方々、校医さん、お下がりの洋服を下さった方々‥  考え始めたらとうてい計り知ることができないほどの方々です。

★  極めて厳しい赤貧留学時代(1954年~1961年)にも、数こそ少なかったと記憶していますが、多くの方々の生きざまを通してイェスに仕えることの重要さを学ぶことができました。  その日のパン代もないのに私たちに聖書を教えて下さった先生方とそのご家族を覚えています。  人種偏見の強い当時の状態の中で、分け隔てすることなく、暖かく励まして下さった方々がありました。  学校の食堂で朝早くから調理をして下さったおばさんや、黒人用務員のアールさんも覚えています。  田舎の教会が暖かく支えて下さり、礼拝後に握手をして下さったとき、掌に5セントや25セントを下さった老婆もありました。  ロサンゼルスの日系人教会でも良くして頂きました。

★  結婚して以来、順子さんや母も良く支えて下さいました。  子供二人も伝道者の赤貧生活によく耐えてくれました。  八幡山の小さな家庭集会に出席されていた方々の中にも、豊かに支えて下さった、有り難い数名の方々を忘れることができません。

★  韓国のスラムの中でも最も酷い状況の中で、その日その日を生きていた寡婦たちが、イェスを信じてその日その日を一生懸命に生き抜くことを教えて下さいました。
  反面教師として、大言壮語を語りながら、悪魔的な生きざまを私に示した、哀れな職業的な牧師たちにも会いました。  またその反対に、朴正煕軍事独裁大統領統治下の最悪のスラムの中で、明るい明日の韓国社会を夢見た諸廷丘君にも出会いました。

★  今日から79年目の人生を感謝して歩き出すことができるようにして下さる恩寵を改めて感謝しています。

  欽定版聖書という、1611年にジェームズ王が公刊した英語聖書があります。
そのサムエル上書7章12節に、古い英語で次のような一節があります。『Hitherto hath the Lord helped us. = エホバ是まで我らを助けたまへり』です。
  最近「hitherto」という表現に接する機会が少なくなったように思いますが、副詞です。  「ここまで」とか「ここに到るまで」というような意味です。

  私たちが、私たち自身の人生の歩みを振り返って眺めるとき、喜怒哀楽・紆余曲折の多かった人生行路において、確かに主の一方的な恩寵が私たちと常に一緒であったことを見ることができます。

  むしろ、主イェスご自身が私たちの前に立って人生を導いてくださっていたこと、私たちのすぐ横に並んで共に歩んでいてくださっていたこと、私たちのすぐうしろから私たちを後押しして、私たちの肩を優しく叩きながら励ましてくださっていたことを実感するようになるものです。

  『ここまで主が私たちを助け導いてくださっていたのだから、これからの人生行路も大丈夫なのだ!』と、勇気と希望をさらに確かなものにして、終点を望み見て歩み続けることが出来るのです。

  私はよそさまのことはわかりません。  しかし私は、私の人生の歩みを振り返ってみますと、そこにはくっきりと主の恩寵が確かに存在していたことを覚えざるを得ません。  すべてのものが主によって備えられ、与えられ、祝されて来たと知ります。

★  ヨブがいみじくも告白した言葉がその1章21節に記されてあります。『私は裸で母の胎を出た。  また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。  主の御名は誉むべきかな』

  これから先、終点に到るまで、恩寵の内に、感謝に満ち溢れた日々が待っていると確信しています。  唇に『ハレルヤ、感謝』の一言を遺してお引っ越しが出来るものと信じて疑いません。

  私が親炙している師に、ギャレットLeroy Garrett と仰しゃる方がいらっしゃいます。  もういつ「お引っ越し」をなさっても不思議なことではありません。
  その先生の座右の銘は、『dying broke 無一文でこの世を去る』というものです。私も、『ハレルヤ、感謝』の一言を唇に遺してお引っ越しをしたいと願っています。

  今日、79歳という、新しい人生の初めを迎えるに際して、以上のようなことを感じました。  恩寵の内に毎日が「最高の感謝の毎日」となり得るように祈っています。

 

★  ユりカ!という叫び声があります。  発音はユりカ、平仮名にアクセントです。「eureka」は女性の名にもなっていますし、カリフォルニア州の標語にもなっています。  同州北西部で、オレゴン州との境界近くにある町の名にもなっています。

  ギリシャ語で、『わかった!』とか、『見つけた!』とか、『しめた!』の意味です。  『やった!』とも、場合によっては訳せるでしょうか...  英語で言うならば、『I have found it ! 』となりましょう。

  ギリシャの数学者・物理学者のアルキメデスが王冠の金の純度を図る方法を発見した時に、思わず彼が発した叫び声だと言われています。

  円・球・楕円・放射線、それらの回転体の求積法や、梃の原理など、アレキメデスの原理を発見した学者で、紀元前 287年~ 212年を生きた人だと言われています。

  考えごとをしながら入浴していた時に問題の解決方法を発見したので、思わず裸のまま外に飛び出して、『わかった! 見つけた!』と叫んだと語り伝えられています。『ユりカ!』とは、わからなかったことを見出した喜びの叫びであったのです。

★  これに似た、或はこのような意味を表す東洋の表現ですと...
  平安初期を生きた日本天台宗の開祖で、近江出身の最澄という上人がいます。事典によれば、受戒後の 785年(延歴4年)比叡山に入って修業し、法華一乗思想の中心として一乗止観院を建立。804 年(延歴23年)に遣唐使として入唐し天台教学んで翌年帰国、天台宗を設立した人物です。以下省略します。

  この最澄法師が語った言葉だそうですが...
『解脱の味は独り飲まず、安楽の果は独り証せず』と言われたそうです。

  すなわち仏教的発想ですが、束縛から離脱して自由になるということ、現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達すること、到達されるべき究極の境地、涅槃状態に達した喜びというものは、決して独りで楽しむものではなく、ほかの人も同じ涅槃の境に入って欲しい...ということであろうかと、素人の私は理解しています。

  キリスト教の言葉で言うなら、救いの喜びを、ほかの人とも分かち合いたいということでしょうか?

★  今日は、この「ユりカ」、「見出した喜び」ということを、「友を得た喜び」ということで捉えてみたいと考えます。  『よい奴をみっけた!』という意味です。

  新約聖書ヨハネ傳1章43節~50節に、ガリラヤ地方に行こうとされた主イェスがピリポに出会われたことを記しています。  主イェスはピリポに、『我に従え!』と誘われました。  ささいな出会いと思われたことが、ピリポのその後の生涯を大きく左右する全く別な世界へと導いたのです。  「善き師に出会わずば学ばじ...」です。

  善き師に出会ったと確信したピリポは、ナタナエルに向かって、『旧約聖書が豫言し、約束していた人、イェスに出会った』と語り、『お前も出て来て、会ってみろ!Come and see!』と誘いました。  ピリポもナタナエルも善き師に出会ったのです。人生とは、善き師、善き友、善き伴侶に出会うことで大きく変わって行きます。

★  先日フロリダの或る墓碑の前で、或る韓国人家族が集い、一家の大黒柱が召されて1年目のメモリアル・サーヴィスを捧げました。  故金世福 キム・セボク 兄の墓前礼拝でした。  私がこよなく愛した兄弟で、同地の韓国人教会の牧師をしていました。

  近日中に「神の声を聞く会」が出版する予定の小冊子があります。  50数回に及ぶ私の訪韓雑感です。  「光州訪問記」と題したものです。  拙文の中で私がどのようなわけで韓国で奉仕をすることを決めたのかを説明してあります。

  最初に訪韓を決意させたのは、今はフロリダの墓石の下に眠る金世福兄からの誘いでした。  1968年夏、韓国がいまだ赤貧状態にあったとき、金浦空港傍にあった短大(現在は四大)Korea Christian College の同窓会長をしていた金世福兄弟が、日本の諸教会に航空便を送りつけ、国際キャンプへの参加を呼びかけたのでした。当時の韓国内の状況が悪かったので誰も応じませんでした。  私だけが応じました。

  金世福兄は、誠実で熱心な青年でした。  曲がったことが嫌いな青年でした。寡婦の母親を良く支え、妹たちの面倒をよくみながら母校に関係する印刷所で働いていました。  極めて排他的で、恐ろしく律法主義的な宣教師の下で働いていました。

  韓国人の渡米は勿論のこと、永住権入手など不可能に思えた時代でした。
彼の人格や信仰上の悩みを十分に理解した私は、テネシー州ギャラティン教会に依頼して、移民割り当て枠外の、牧師としての資格で招待してもらいました。

  このことで金世福兄は渡米し、家族の呼び寄せに成功しました。現在は家族一同が良きアメリカ市民として、看護婦などの職を得て、米国各地で生活をしています。
  この金一族が今後も、良きアメリカ市民として生きて行くことを確信しています。そして、この金一族の渡米のきっかけを提供できたことを私は誇りに思っています。

★  それだからと言って、私が金世福一家に何かをした...、できた...ということで、自慢しているわけではありません。  金世福兄が1968年夏に私を韓国に招いてくれたことで、私は私で、そこから韓国への奉仕を始めることができたのです。  そして、私は私で、韓国の多くの人々に愛される存在として、生きる喜びを学んだのです。

★  聖書は、ピリポがナタナエルに対して、『イェスという師を見に来てみろ!』と誘ったと語ります。  神は、多くの場合、人を用いられると、私は確信しています。神は神の大きな業の達成のために人を用いられると、そのように確信しています。

  やがて豫言者となるエリヤ青年を養ったのは、自殺寸前の、名もない寡婦でした。『あなたの手にあるものは何か?  それを地に投げてみなさい!』と、神はモーセにおっしゃいました。  喜んで持てるものを喜んで神に捧げることが肝心です。

★  私たちはイェスに出会っているのです。  イェスに救われているのです。
『みっけた!  出会った!  わかった!』の感動を決して風化させてはなりません。

  イェスと出会った瞬間に発したあの感動の叫び声、『ユりカ!  主に出会った!』から始まった信仰をマンネリズム化させることは決して許されないことなのです。
  その救い主イェスのために、どのように私たち自身の人生を捧げ続けて行くのか... そのことが問われているのです。

★  また、私たちは、他者に対する影響を軽視してはなりません。私たちは「平和ならしむる者」(マタイ傳5章9節)であり、「地塩世光」(13節)なのです。  これらはイェスご自身が語られた言葉です。

  使徒パウロは、私たちが、「主イェス・キリストを知る薫りを到る所で放つ者」であるとコリント後書2章14節で誇らしげに告げています。  私たちの足が赴く所は、それが何処であれ、私たちがキリストの善き薫りを放っているということです。

  世の人々が、私たちと私たちの生きざまを見て、私たちが残した足跡に触れるごとに、『このすてきな薫りは何処からやって来るんだ?  これこそ生きるしるしの薫りなんだ!  この人はただの人じゃないぞ!  わかった!  キリストの薫りなんだ!』と叫んでくださるように在りたいもの、成りたいものだと願うのです。

★  主イェス・キリストの芳しい善き薫りを残してこの世を去りたいものだと、今は恩寵によって御国に憩う金世福君の凱旋召天1年目を迎えて心から願ったのです。


 

★  1985年に世田谷から当地に移住して来てからいろいろな体験をしました。その一つに捨て犬の保護があります。  合計で2百頭をはるかに越えると思います。

  浪花節ではありませんが、いろいろな事情でやって来た、主として大型犬たちでした。  柴犬ナナ嬢は現在14歳、視覚、聴覚、嗅覚が衰え、恐怖感に苛まれながら余生を送っています。  いつ咬まれるかわからないので注意と愛情が必要です。
  多くの大型犬が死んで逝きました。  ナナちゃんを観察して、ナナちゃんの終わりを予測しながら、いろいろなことを考えています。  自分自身のことを含めてです。

  この私も間もなくお召しに与って、未知の世界へとお引っ越しをして行くことになります。  時間の問題です。  最近に到り身辺整理をさらに急いでいる理由です。

★  今朝はピリピ書3章20節~21節を、神の力の働きの内容に注目しながら読んでみました。  『キリストは、万物をご自身に従わせ得る力の働きによって、私たちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ形に変えてくださるであろう』とあります。

  私たちは、この世に生を受けたその瞬間から、その終わりに向かって、全力で邁進を始めるのです。  この瞬間にも私たちは終焉に向かって、かたときも休むことなく走り続けているのです。  昨日より今日は、今日より明日は、さらに終点に向かって近くなるのです。  誰も避けられない厳粛な事実です。

  先週はコスモスの種を蒔きました。  種が地に埋められて死ぬことで新しい生命が生まれて来ます。  それと同じように私たちもいずれ近いうちに地に埋められます。
  魂は御国に赴き、朽ち果てるべき肉体は地中に戻ります。  しかし埋められた肉体は、やがて異なる、永遠に朽ちない形を採って、栄光のイェス・キリストの体と同じ形へと変えられて行くのだと、そのようにピリピ書3章21節は説明しています。

★  コリント前書15章42節~49節でも、同じ約束が保証されています。
罪多き私たちが、やがては主イェス・キリストに似た姿を身につけることになると、そのように約束されています。

  地の塵で作られた私たち(創世記2章7節)が、キリストと同じ栄光の体へと創り変えて頂けるというのです。  大きな驚きと大きな喜びです。  恩寵の為す業です。

  私たちは、『この世に在るが、この世には属していない!』と、コリント後書4章18節~5章10節は私たちに注意を喚起しています。  イェス・キリストに似た者へと創り変えられること、これが私たちの求道生活・巡礼生活の究極終着点なのです。

  この世の罪の力に支配されないように注意して、絶えず目を覚まして、巡礼生活、求道生活を続けましょう。  見上げ、目指すべきは、主イェス・キリストのみです。


吾が主、吾が神!

ヨハネ傳20章28節

★  ガラテヤ書5章6節は、『貴いのは愛を通して働く信仰だけだ』と教えます。
『割礼があってもなくても、そのようなことは問題にもならない』というのです。
  どのような教団に属しているとか、どの教派に所属しているとか、豪華な礼拝堂があるとかないとか、塔のてっぺんに十字架があるとかないとか、オルガンがあるとかないとか...、そのようなことは救いに全く関係がない!ということです。

  そのようなシルシが私たちを救うわけではないのです。  救って下さるのはイェスです。  神の御子、我らの救い主、キリストが救って下さるのです。  その他のモノが私たちを救うのではないのです。  十字架も救いを表すシルシにしか過ぎません。十字架であれ、教会堂であれ、シルシが私たちの救い主ではあり得ないのです。

★  コリント前書1章22節~23節の信仰告白をもう一度よく読む必要があります。
  『ユダヤ人(自分は信仰が強いと自称する者)はシルシ(可視的なモノ)を請い、ギリシャ人(インテリだと自称して驕っている者)は(口先だけの)智恵を求める...
  しかし私たちは、十字架の上で磔刑にされた主イェス・キリストを宣べ伝える!』私たちは救い主イェス・キリストを愛し、礼拝するのです。  モノを拝みません。
  イェス・キリストだけが救い主です(使徒行伝2章36節、ピリピ書2章11節)。