私 は 兄 弟 の 世 話 人 で し ょ う か ?(15)


★    旧約聖書を読んでみますと、カナンの地に侵入したイスラエルも、大陸民の一部として、迫り来る敵を、そのたびごとに皆殺しにしたことを学びます。大陸に住む民とは、熾烈な生存競争の中で、したたかに生き延びる術を学びます。そうでなければ、自分の民族は生き延びることができないのです。 そしてその生存競争の戦いは現在この瞬間にまで延々と続いているのです。

 アジア大陸から適当な距離を置いて、四方を海で取り囲まれている日本に住む者にとって、すぐ隣の朝鮮半島に住む人々の歴史と、歴史過程の内で育まれてきた民族性や特徴を理解するのは困難なように思えます。 
 韓民族、朝鮮民族、呼び方はどうであれ、彼らはアジア大陸の一部なのです。釜山からストックホルムまで、大陸で繋がっているのです。 アフリカの喜望峰までも陸地続きで繋がっているのです。 島国日本とは違うのです。 有史以前から侵略や略奪や拉致や暴行の遣り取りの中で生き抜いて来た大陸民族の一部なのです。

 頭髪も皮膚の色も同じです。 瞳の色も同じです。 背丈も同じです。それですから、無意識に、私たちは韓国人・朝鮮人も私たちと全く同じだと錯覚してしまうのです。 しかし、彼らは大陸民族の一部です。 異なった歴史や風土や文化を持った異なった民族なのです。 多くの点で価値感覚も違うのです。

 1945年後に自由を得て、経済力を回復させ、朝鮮動乱時に特需景気で散々儲けて、近代化が急激に進んだ日本は、ある意味で、オカミ主導で全国画一化が進みすぎたように思えます。 どこに行っても駅前商店街は同じ風景です。 方言があたかも悪いかのように、明治維新以降これまた政府指導で「標準語」というものに統一されてしまいました。 マスコミも便乗して国民総白痴方化の手助けをしています。NHK=「日本放送協会」だと思っていましたが、最近では「日本白痴狂会」となり、民放の愚劣な真似をして日本文化の破壊の指導的役割を果たしているように見えます。 個性が喪失し、国民から希望が消えました。 大本営発表時代と変わらないようです。

 しかし、韓国のほうが、そういう点では独立精神、クェンチャナョ(大丈夫・平気・イイョ・イイョ勝手主義)精神、個人主義精神...が旺盛なように思えます。
 地域差や地域差別など、まだまだ日本人が統一された、(させられた)価値基準で韓国人・朝鮮人を裁くという傾向が強いように思います。 

 敗戦後急激に西洋化した日本が、脱亜入欧した日本が、最近の自称民主化した日本の価値基準で、あたかも日本が民主主義国家の模範国であるかのように錯覚して、傲慢に振舞い、無意識であれ、そのような姿勢で韓国や北朝鮮を劣等国であるかのように誤解して、そういう姿勢で臨むのは、それは傲慢不遜なことだと、私は思います。彼らの反感と反発を招くだけです。
 
 日本の自称「クリスチャン」の多くも、こと北朝鮮当局による日本人拉致問題となると、自分があたかも民主主義の模範生か、それとも自分が神さまであるかのように錯覚して、一方的に北を叩いているようです。 
 このことは、その逆さを考えてみますと、南の韓国のキリスト教が、あたかも東洋のエルサレムのように錯覚している可能性があるようだと、私は考えます。
 これら二つの姿勢は、クリスチャンとして採るべき態度ではないと、私はかねがね考えています。 なかなか理解を得ることが難しいのですが...

 もう少し冷静に、そして謙虚に相手の国の歴史や文化や風土を学び、日本が侵略者であった事実を常に肝に銘じて、日韓政府高官同士のなぁなぁ式の国交回復ではなく、民衆レヴェルで誠実な謝罪の姿勢を示すことが必要かと思います。 北に対してはいまだに謝罪をしていないという事実をも充分に理解しておく必要がありましょう
 そのようなことを覚えながら、今後の日本が採るべき道を、祈りの中に求めるべきであろうかと私は考えています。 そうすれば、そのような謙虚で真摯な姿勢の中で、新しい日韓・日朝を培う視野が自然に備えられてゆくのではないかと考えます。
 そうでないと、希望溢れる未来が全然見えてこないと思います。 自尊心の極めて強い朝鮮人・韓国人との無意味で不必要な感情的対立からは何も生まれてきません。

 今回の光州旅行で、光州事件の跡地を訪ね、韓民族・朝鮮民族の歴史やものの考え方を思い、もう少し日本人が冷静に、公平に、敬愛の念を抱いて、隣国のことを眺める余裕を養う必要があると強く感じました。 彼らもイェスが愛されている民です...
 日本の侵略と植民地政策に対する誠実な謝罪を、民間レヴェルに到るまで、誠意をもってまっとうする必要があると痛感しました。 偏見を捨て、誤解をただし、蔑視を捨て、ありのままでお互いを評価しあい、相手を受け容れる必要を感じました。

 好きでも嫌いでもその国をそのままの姿で受け容れ accept て、評価 appreciate する必要があります。 自分の国こそ最高規準を持っている立派な民主主義国家であるなどという傲慢な思い込みを、まず自ら吟味して、捨て去る必要があります。
 韓国・北朝鮮を日本と比較 compare するという姿勢は褒められる態度ではないのです。 そのような態度で他国のことを非難 complain するのは成熟した者の採るべき態度ではありえません。 これは個人的に人間同士の間でも同じでしょう。
 
 拉致問題に対する私たちの態度も根本的に見直すべき必要があると、かねてから考えています。 日本国家が犯した国家犯罪を速やかに謝罪し、補償すべきだと思います。 誠実な態度、謙虚な態度、公平な態度で国交回復を願う姿勢を祈りたいと私は考えています。 一方的な締め付け政策はますます相手を硬直させるだけです。

 長い韓国・朝鮮の歴史過程をありのままで考えないで、そこで培われてきた文化や価値感覚を理解しようとすることなしに、北朝鮮当局による日本人拉致事件だけを殊更に感情的に煽りあげて、日本国民を拉致・煽動してきた日本政府とマスコミの在り方に対して、何とも言えない違和感を、今回の光州事件発生現場を訪ねてみて改めて覚えました。

 双方に相手側を理解しようとする態度が完全に欠落しています。北朝鮮当局も、日本を憎むだけで、戦後の日本が思想的に大きく変化していることを理解しないまま、北朝鮮の価値基準や判断基準に従って、あのような愚劣な暴挙にでたものと思います。 お互いに理解しあえないということは悲劇だけを生み出します。

 先日の新聞で、北海道で酷使され死亡した朝鮮人労働者の遺骨の発掘作業があり、遺骨が新たに発掘されたと報道されていました。 沖縄やニューギニアで日本軍兵士の遺骨探しが行われていますが、朝鮮人労働者の遺骨探し作業は進んでいないようです。 どれだけ多くの朝鮮人や中国人を厳しい労働に使ったということを私たちの多くは無関心で過ごしています。 どれだけたくさんの朝鮮人を関東大震災のときに荒川の堤防で虐殺したのか...拉致を騒ぐ日本政府と日本人が問題にしたということを聞いていません。 豊臣秀吉がどれほど多くの朝鮮人技術者を日本に拉致してきたのか、何百人とも、千人単位とも言われている朝鮮女性を性奴隷として日本に拉致してきて、南蛮方面に売り飛ばしたのか...私たちはそれらのことに対して一言も語らないままでいるのです。 これら日本による蛮行に対して、それに相応しい対応を誠実に対応してこなかったことを、拉致を感情的に糾弾する日本人、特にクリスチャンはどのように応対しようとしていましょうか? 不公平で不誠実ではありませんか?