★ 豊臣秀吉の数年間にわたる朝鮮侵略のときに、すべての日本の侍たちが帰国したわけではありません。 15万人もの侍たちの中には隊列から脱走した者もいました。 現地に留まることを欲した者もいました。 残らざるを得ない理由が生じた者もいたようです。 今回訪問した光州を中心点とする全羅南道には、そのような日本の侍の血を引く末裔が確認されています。 特に朝鮮半島西南部の海岸線に沿った地域です。慶尚道の海辺近くでも同じようなことを耳にしています。
また、豊臣秀吉軍が当時のいろいろな分野における優れた技術者たちを、二万人とも三万人単位とも聞いていますが、あるいはそれ以上の数の技術者たちを日本に拉致して九州に引き上げていたと聞いています。
九州は陶芸の場として広く知られています。 拉致された技術者、あるいは請われて渡来した技術者の末裔が、優れた陶芸家として現在九州で活躍しています。九州に拉致されて来て陶芸を続けた人々の影響が現在まで残っているようです。
そのほかにも、私の研究不足で、人数を確認したことがありませんが、多くの朝鮮人女性たちが拉致されて九州に連行され、そこから更に南蛮方面に奴隷売春婦として売られていった者たちが多く居たと聞いています。 もちろん、日本の最底辺層に住んでいた若い女性たちも南蛮方面に奴隷として売られていったとも聞いています。
人が動けば、カネとモノとアイデアが一緒に動くものです。 侵略とは、軍隊とは、恐ろしい、のちのちまで痕を引く、むごい、非人間的なことを平気でやってしまうのです。 『剣で立つ者は剣で倒れる』と、マタイ傳26章52節でイェスがおっしゃいました。 どのような名目であれ、戦争や侵略はいけません。
現在の南北軍事対峙姿勢ということではなく、古くから朝鮮半島南部に住む人たちが、北のほうに住む人を信用しないという偏見や蔑視や差別の現実のうしろには、私たち日本人には理解できない複雑な負の歴史が潜んでいるように私は感じています。
幾度もすでに述べていますが、北東アジア大陸各地から朝鮮半島に侵入した諸部族が、南のほう、すなわちコメを収穫できる南のほうの住民に対して繰り返し行った侵略、略奪、拉致、エトセトラを、南の人々は忘れていません。
北の威鏡道や平安道の人々に対する南の人々の不信感と憎悪感の陰には、かつての高句麗によるむごい蛮行を未だに観念的に覚えているのではないかと思います。
そして南と言えば、すでに述べていますように、朝鮮半島南東部の慶尚道人による全羅道民に対する歴史的な抑圧の歴史があって、これが日本海側(韓国では東海)の慶尚道と、黄海側(同じく西海)の全羅道との関係を絶えず不安定なものにしている歴史的過程があると、私は見ています。
そのような歴史や風土が、韓民族・朝鮮民族の間に極めて強くて旺盛な権勢欲闘争を絶えず煽り立て、手段や方法を選ばず、いつも誰よりも最強で在りたいと願う政治風土を生むことになるのではないのかと、そのように私は考えています。
光州事件にせよ、北朝鮮当局によるソウル青瓦台チョンワデ大統領公邸襲撃事件であれ、ラングーン事件であれ、大韓航空爆破墜落事件であれ、あるいは日本人拉致事件であれ、確定はされていませんが、海上軍事境界線近くで発生した韓国海軍の哨戒艇爆破撃沈事件の可能性を含めて、目的達成のためならばどのような手段も選ばないという激しい性格を有している民族のように思われます。
韓国人・朝鮮人には、『以和為貴』という精神や、『まぁまぁそこは何とか玉虫色に...というような日本式妥協は通用しないのです。 皮膚の色や髪の毛の色が似ていても完全に外国なのです。 キムチ・パワーのひたすらなゴリ押し一辺倒です。
そのような民族性を取り上げて、韓国人・朝鮮人が日本人より劣等であるとか、遅れているかのように誤解して判断することは、日本人側の無知によるものであって大きな間違いです。 お互いに相手をありのままで受け容れあって、理解して、尊敬しあって、対等なパートナーとして共存共栄の道を模索することが肝心です。
現在の北朝鮮のことを私はまったく知りえる立場にありません。 しかし韓国の政治家も、宗教界の指導者も、特に自称プロテスタント系の指導者たちも、弱い立場の人々に「仕える」という意識も発想もほとんど完全に欠落しているように私は見ています。 とにかく、俺さまがお山の大将でなければならないのです。
そういう意味では、朴正煕軍事独裁政権下の清渓川スラムで、極めて厳しい緊張の中で一緒に明るい韓国の将来を語り合った仲間の一人に諸廷丘チェ・チョング君がいました。 朴正煕政府によってたびたび逮捕され、刑務所で多くの日を過ごした青年でした。 のちに国会議員に当選し、貧民に仕えることに徹底した好青年でした。 私利私欲のない優れた奉仕者でした。 不幸にして病に倒れ、戻らぬ人となりました。 ソウルに諸廷丘記念奉仕会という組織が設立され、遺志を引き継いでいます。榮太楼の飴と雪印の6Pチーズが大好きな青年でした。 例外的な存在でした。ホームページに諸廷丘君の紹介文があります。『諸廷丘 チェ・チョング と金鎮洪キム・ジノン』
殆どの国会議員にせよ、多くの教会の牧師にせよ、とにかく主人公になりたい一心です。 出世街道を駆け登って頂点に立ち、そこで踏ん反り返って威張るためには、手段や方法を選ばない傾向があるようです。 政敵が居れば徹底的に引き摺り下ろし、妥協せずに打倒します。 何としても頂点に立ち、主人公になりたい一心です。 相手の存在を強く意識しながら、同時に相手の存在を完全に無視したいようです。 目的達成、初志貫徹に徹します。 仕えるという発想はありえないようです。 そのような精神構造が多くの韓国人・朝鮮人の背後に潜んでいるように感じています。
韓国教会の牧師が絢爛豪華な教会堂を競って建てたがります。 教会堂正面を特に一段と高くし他の部分よりも豪華に見せ、踏ん反り返って鎮座ましまして、信者たちを支配している姿を見て、無知蒙昧な日本のクリスチャンの多くが、牧師を含めて、一種の憧れと尊敬・敬愛の目で眺めていることがあります。 実に滑稽なことです。 あまりにも無知であり、相手側の民族性や精神構造を見抜けていないからです。
また、韓国の牧師と自称する男たちの一部が、日本を含めた世界各地で、女性信者蹂躙問題をしばしば起こしています。 その種の牧師や教会指導者たちは、ことが公にされたあとでも強硬に自己主張を繰り返します。 謝罪するということはほとんどあり得ないのです。 親分絶対崇拝主義という姿勢があるように感じます。
金銭的にルーズな有名な牧師を私は個人的に知っています。 巨額な詐欺ですが、本人はケロリとしています。 謝罪はいっさいしません。 たとえどのように問われても、『クェンチャナョ!...大丈夫だよ!...気にすんな!...』です。信者たちも、『たいしたことじゃない!...赦してやんなさい!...』となります。
このような発想、このような精神構造というものの背景には、どうやら家長制度といいましょうか、家長的権威といえばよいのでしょうか、縦社会的権威を有する者に対しては、無条件に尊敬し信頼し、無条件に絶対服従するというような政治的、宗教的、文化的な土壌が存在しているように、外国人の私には何となく感じています。
統一原理教会、すなわち世界基督教統一神霊教会の文鮮明ムン・センミョンや、北朝鮮の金正日首領サマに対する信者や国民の絶対的な信奉姿勢にも、シャーマニズム化した同じような精神構造を見ることができるように私は考えています。
そういう人物に共通していることは、「仕える」という発想が完全に欠落している点ではないかと思います。 栄華を極めたい...名声を得たい...という願望が顕著だと考えます。 そしてそのことを国民なり信者が肯定していると思ってみています。
韓国の政治「屋」や宗教「屋」には、善いとか悪いとかの感覚を超越して、そのような発想が強く、それを容認する気配も強いように私は個人的に思っています。
永田町にもそれと似た発想をするセンセイさまも存在しているようですし、それを容認する姿勢が存在していることも似ているように見えます。 またさらに、日本人の多くの心の奥底に、天皇や皇室に対して、同じような精神構造があるのではないかと、そのように感じています。 靖国神社や日の丸や君が代にも通じているようです。 人間には、そのような要素があるのでしょうか? 「余言者」の邪推でしょうか?
★ すでにお断りとお詫びを繰り返しておきましたように、初稿に混乱と、一部喪失を見ましたので、文脈が通じなくなったり、同じような内容が重なってしまったりする部分があります。
地続きの北東アジア各方面から、朝鮮半島の長い歴史の中で、強力な民族・部族が暖かい南を目指して侵入して来たことが繰り返されていたことを考えました。 南に住む人々が、そのような侵略者とその末裔に対して限りない不信感と憎悪感を抱いていることも考えてみました。 また、南は南で、慶尚道と全羅道との対立があることや、南の人の済州島人に対する偏見と差別と蔑視があることも考えてみました。
そのような侵略と略奪と殺戮と拉致と暴行の繰り返しが、そこに住む人々にどのような影響や結果を与えるのかということに対して、私たち日本に住む者は理解しがたい面があると思います。 日本とは全く異なった地理的位置と環境の中で生き抜いてきた朝鮮民族・韓民族です。 日本の尺度で韓国や朝鮮を計るというのは正しくありません。 公平でありません。
日本が朝鮮半島を、倭寇の時代から、豊臣秀吉の時から、そして最近は大日本帝国による朝鮮植民地化を実施したときから、日本は朝鮮半島に住む人々に対して多くの苦悩を押し付けたことになります。 最近の植民地化政策は多くの韓国人・朝鮮人の脳裏に残酷な事実として未だに残っています。
それらのことをすっかり棚上げにして、謝罪しないで、胸にブルー・リボンを着けて、北朝鮮官憲による日本人拉致だけを感情的に取り上げる姿勢に、私は何かしら不自然で、不公平なものを感じています。
今回、光州市の東側にある無等山を訪れたとき、山頂に嘗て日本軍の日の丸が翻ったことを知りました。 そしてそれより遥か昔、豊臣秀吉の朝鮮侵略時に黒田長政が全羅道にも侵入していました。 黒田軍も光州を襲ったとき、無等山頂から光州の村を眺めたことでしょう。 韓国・朝鮮の人々は日本の侵略を忘れてはいません。
北朝鮮がどんなに好きでない国であっても、日本が犯した国家的犯罪の事実と、それに対する謝罪がいまだ全然なされていないというのは厳然とした事実です。
西独逸ではワイツゼッカー大統領が、ナチス独逸が犯した国家的犯罪に関して近隣諸国に対し、諸問題を冷静に、誠実に解決しようと努力をしました。ワイツゼッカーが採ったように、東北アジア諸国に対して、その国民に対して、真摯に対応することができる政治家 statesman がこの日本にも出て欲しいと、光州の無等山を眺めながら、そのように心から願いました。 無理な願いのようですが...