私 は 兄 弟 の 世 話 人 で し ょ う か ?(12)


=再開=

 韓国人の名のことです。 
 今の北朝鮮がどのようになっているのか、判断材料皆無ですので何も申し上げることができません。 推測ですが、両班制度という、従来の古い伝統は、反民主的制度として、おそらく否定されているものと思います。

 南に関してだけ...ということです。 古くからの朝鮮民族の伝統的な社会制度に、朝鮮王朝時代の両班ヤンバンという制度がありました。
 よく耳にするこの両班制度、わたしのような素人には、わかったような、わからないような点がおおくあります。 たぶん勉強不足からだと思いますが、スッキリしない...はっきりしない...のです。 お詫びをしておきます。
 
 何でも中国の古い朱子学の影響をうけた儒学の体系とかで、朝鮮半島では958年に文班が科挙制度を採用し、科挙という試験に受かった者が官吏になることが出来たといわれています。 995年には軍隊のような制度が整理され文官と武官の両制度ができたとかです。 次第に支配階級の学者、ブルー・カラー・エリート制度という社会の支配制度の頂点に立った高級官僚族ができあがったとかです。 両班の下層に中人という下級両班=技術官僚集団が形成され、その下に常民と呼ばれる一般住民=労働者層ができ、さらにその下に奴婢層があったとかです。 劇「チャングム」にも奴婢層の女性たちが顔を出していました。

 たぶん勉強不足からだと思いますが、スッキリしない...はっきりしない...のです。 お詫びをしておきます。 李氏朝鮮時代には、そのような高級官僚支配制度が完成していたようです。 宮廷に仕える役人のことで、政府の高級官僚になる資格を得るための試験、科挙というテストに合格した一族のもので、幾世代にもわたって同じ集落に住んでいる一族の一員で、先祖を崇拝し、学問に励み、まじめな人物であり、その家族は両班どうしが結婚して伝統を堅持する者、そのような要求を満たすことができる人物だけが採用されてお役人さまになれる、なれない...というような制度であったようです。 

 最初には武官制度もあったようです。 文官(東班)と武官(西班)という二つの班があったようですので、てっきり日本の源平に匹敵するのかと誤解していました。 しかし、のちに到り、特権的な文官の身分と、文官を輩出した支配層一族を指したもののようです。 儒教倫理の実践を重んじたと言われています。 自分たち一族の家系の優秀性や正統性を強く主張し証明したようです。 1894年に到って制度は廃止されています。
 現在の韓国社会とその文化の中に、この両班制度の影響が残っているのか、素人の私にはまったく見当もつきません。 間接的な影響ということであれば、そのような影響は残っているのではないかと思います。 お断りをしておきましたように、両班に関係する冒頭部分の初稿を喪失してしまいましたので、文脈がじょうずに繋がっていません。 

 両班との関係ですが...
 現在の北朝鮮を知りませんので、南半分のことで知っていることだけを述べてみます。
 南の韓国では、現在でも本貫ポングワンというものがあります。 貫郷グワンヒャンと同じことだと漢韓大字典に出ています。 ある氏族の始祖が生まれた地名という意味のようです。日本では意味が違いましょうが「本籍」というのが一番近いかと思います。 日本の平安時代末期に興った武士の所有地を苗字にしたようなものだとでも言うのが何となく近いのではないかと思います。 同一父系氏族集団の発生地を表しています。 そのことによって自分たち一族の正統性や名誉や優秀性を示すもののようです。

 今回の光州訪問時に光州市立公園墓地を見てきましたが、数百以上あるかと思われる統一された石碑の殆どに、何処どこの金族だ、李族だ、朴族だ、鄭族だ...という族名が故人の名の上に刻まれているのを確認できました。 すでに紹介しましたが、「京都西陣の野村族」の「野村基之」の墓だ...というように彫り刻まれていました。

 本貫が同じ男女は結婚しないとう社会的約束が最近まで韓国社会ではまかり通っていると理解しています。 そのため同じ族名の男女が出会えば最初にお互いの本貫を確かめ合います。 また、同じ本貫の男女が恋に陥ってしまって悲劇に終わった...という話を聞いたことがあります。 2005年以降は法律の緩和があったようですので、同姓で同じ本貫でも「八村以上離れていれば」、「親や親族が反対しない限り」結婚を認めるとも聞いています。 「八村」と言う意味は日本で言う八親等という意味だと私は理解しています。 昔は交通手段も少なく、人口も少なく、人口移動も少なかったので、近親結婚を避ける目的があったものと思います。 外国への永住韓国人同士はこの問題をどのように解決しているのかわかりませんが、韓国内においては本貫が同じ男女は結婚しないようです。 「純血種」を重んじる発想だと思いますが、同時に排他性をも示すもののように外国人の私には思えます。 しかし外国人の私がこのことでとやかく言える筋合いのものでありません。 そのようなしきたりの極めて強い国だ...と理解して受け容れるしかありません。 女性卑下社会でもありましょう。 自分の本貫以外の人を受け容れないという基本姿勢があります。

 最近の日本では、結婚届を出すときに、夫婦別姓で登録したい...と願う動きがあります。 しかし韓国では結婚した女性が男性の族名を名乗ることはありません。他族出身女性を男性の族名が代表する家系には絶対に入れさせないという習慣があるからだと思います。 「一族の血を護る」という発想が極めて強いのでしょう。子供が生まれると、その子は父の族名を名乗ります。 一種の排他的慣習でしょう。韓国の人権団体がこのことを問題にしているのかどうか私にはわかりません。 そのようなことは問題外なのでしょうか?
 そういえば、日本なら主婦が夫を指して言うとき、「うちのパパが...」などといいますが、韓国ではそのような場合、息子の名を使って「基之の父が...」と言っているのをしばしば耳にしたことがあります。 

★    日本という島国は、アジア大陸の東端に沿って、北は北海道から南は沖縄まで、アジア大陸からある程度の距離を置いて、細長く位置する島々から成り立っています。 
 そのため、南や西の方から個人や小家族なら何とか辿り付ける距離にありますが、大勢の軍隊を乗せた軍団が集団で襲うというのには、大陸からの距離が離れすぎていることで困難であろうかと思います。 蒙古軍が中国東海岸や朝鮮半島南部で船舶と漕ぎ手などを徴用して、12万人前後が壱岐対馬経由で北九州に上陸を企てたということですが、海のこと、海の気象のことに疎かったものと思います。 失敗しています。
 この地形のために外部から大きな軍事勢力が渡来して来ることを拒んでいたと言えます。 このことが善いとか悪いとかを論じているのではありません。

 しかし、朝鮮半島はといいますとアジア大陸とは陸続きです。 北東アジア大陸の一部です。 朝鮮半島に定着してきた朝鮮民族・韓民族が形成して来た「クニ」とその民族と、日本のそれとの違いが、その辺りにあるのではないかと考えています。
 朝鮮半島に住む民は、古くから中国や蒙古や北東アジアやシベリア地域に勃興した強力な部族・民族によって絶え間なく侵略の危機に晒されて来たと思います。 日本とはその地理的条件が異なるのです。

 この点においてアジア大陸から海によって孤絶している日本は、朝鮮民族を弱い国、劣等民族だ...などと誤解し、蔑視する傾向があったようです。 「日の本の国」だとか「日出ずる国」などと自称し、島国であることに気付かず、忘れてしまったままで、オイラの日本は偉いんだぞ!と自慢していました。 私が小学生時代、そのような皇民教育を受けていました。 宮城遥拝と一緒に叩き込まれていたのでした。そして、私たちは、オイラの国は万世一系の天皇の国、大日本帝国は神国である!と信じきって疑うことがなかったのです。 
 
 「いずれの外国勢力からも侵されたことが嘗てない神国日本だ!」と、小学校でそのように教えられていました。 元寇は「神風で簡単に勝利した!」...でした。颱風でした。 日本を攻撃する蒙古軍にとって最大の苦手は海を渡るということです。
 中国本土東端や済州島や釜山近辺から10万もの蒙古兵、徴用された中国人や朝鮮人、それに軍馬が海を渡るというので、難業であったものと思います。 てんでばらばらで、言葉や風俗習慣の異なる傭兵、漕ぎ手、医師、糧食・炊事担当者、馬丁、雑役夫、衛生係、エトセトラ...10万人を纏めるだけでも大変なことであったのでしょう。
 
 攻められる側の鎌倉時代の日本は米や雑穀の農業国です。 それぞれの土地のカミを中心とした一族の集団です。 ムラが生まれ、巫女やカミを奉る中心人物が現れ、やがて武将を戴く地方勢力が成長し、さらに天皇をカミガミの頂点とするピラミッド型の縦社会が育って来ることになる国です。 米作は独りではできません。 集団でやります。 意思の疎通のための命令系統が生まれます。 このような過程を経たのが日本というクニの成立ではないかと、そのように素人の私は理解しています。

 このあたりが、てんでばらばらで、互いに地域対抗意識の強い大陸の部族や民族との違いが出てきたのではないかと、素人の私は推測します。 もちろん、その過程で、とりわけ徳川幕府の時代に、一部の職業に従事していた人々を、その職業のゆえに厳しく差別したことによって、まことに理不尽な、蔑視された集団が生まれてしまったことも事実です。 

 アジア大陸から適当な距離で海によって四方を取り囲まれて隔離され、黒潮の影響を受け、明白な四季がある、コメ農業中心の日本の風土からは、「和以為貴」という文化が生まれ、それを支配者たちが都合よく利用して諺、金言を作りあげ、日本では「個の確立」が困難になったものと私は考えています。

 この点で、アジア大陸に直接繋がっている朝鮮半島と、そこに住むいろいろな民族は、まったく別な歴史過程を経て、こん日の韓民族・朝鮮民族の文化や、地域差意識や、同じ半島内での対立や抗争を繰り返して来たものと私は理解しています。 特に北東アジアからの騎馬民族の侵入の影響です。 ハンガリー及びフィンランドまでも侵攻した彼らが、そしてそのほかの強力な北方部族が朝鮮半島に侵入して来るごとに、彼らの侵入を阻止できた、都合のよい「神風」などはなかったのです。 

 すでに私見を述べてみましたが、1945年以降の南北の強力な軍事体制が、それ以前までのいろいろな地域に住んでいたいろいろな種類の人々の、てんでばらばらな価値感覚や郷土愛を初めて一つに纏めた、纏めることが出来そうになっているのではないかと、そのように理解しています。 軍隊とは、そのように天下御免で徹底した最高の洗脳集団ではないのかな?と思っています。 韓国の兵隊さんを眺めて、そのように素人の私は感じます。 テレビで視る北朝鮮軍兵士の、一糸乱れぬ集団行進を視ても、同じことを感じるのです。