私 は 兄 弟 の 世 話 人 で し ょ う か ?(11)


★    朴正煕軍事独裁大統領、同じくそれに続いた全斗煥軍事独裁大統領、そして更に盧泰愚ノ・テウ軍事独裁大統領... 北では金日成キム・イルソン 独裁首領と、その息子の金正日キム・ジョンイル独裁首領、裸の王様のようだと思うのですが...、これら南北の独裁者たちと、いまだに延々と続いている南北軍事対峙体制が、朝鮮半島にもたらした、皮肉なことですが、数少ない貢献?というものに、国民皆兵制度というものがあると私は考えています。

 それは、軍隊での共同生活によって、一つの共通体験がもたらす共通した愛国心の養成ではないかと、素人の私なりに考えているからです。 出身地域の差によって、あるいは身分の高低によって、普通ならば絶対に交わらないはずの青年たちが、同じ釜の飯を食らうという体験をするからです。 お互いに好きでも嫌いでも一定期間を同じ場所で運命を共同しなければならないのが軍隊生活です。 このようなことは、長い朝鮮半島の歴史の中で、かつてなかったことだと私は考えています。 
 
 徴兵制度を通して、国民皆兵制度による、強烈な軍事訓練と思想教育・洗脳教育を経由して、それまで各兵卒が抱いて来た地域別差別感を、軍隊生活を通して、初めて統一した目的、愛国心を叩き込まれた若者たちが生産されてゆくのです。 

 南北の軍事体制が、皮肉なことに、朝鮮半島南北のすべての若者に、表面的にせよ、画一的価値感覚や愛国心を植えつけることに役立っていると、私はそのように見ているのです。 このような統一した愛国心の培養育成企画は、いままでの長い朝鮮半島の歩みの中でみることができなかったものだと思います。 奇跡だと思います。

 それまでの愛国心(というよりも、むしろ地域ごとの郷土愛と呼ぶべきなのかもしれません)は、交通手段や通信機関や教育機関の発達が困難であったという弊害があって、郷土愛よりも大きく成長し、発展することが困難であったのではないかと、そのように私は思っています。 たとえば、日本の侵略に抗して戦った時代に、一つの国全体として纏まって、団結して対抗するという点であまりにもお粗末過ぎたものであったと思います。 てんでばらばらな抵抗であったと思います。 

 現在のような、統一された、纏まった軍隊ではなく、地方ごとに集まって抗日運動をするというような、纏まりと統制力や命令・式系列がばらばらであったと思います。 中国に頼ろうとする地方勢力があったと思えば、帝政ロシアに依存しようとした一族もいました。 日本に頼ろうとしたグループや指導者もありました。 

 いろいろな思惑を、それぞれの地方が抱いていた思惑があったようで、統一して、一致団結して侵入してくる外敵に対応するということができませんでした。 そういう個人主義が徹底している民族性を抱いていると私は見ています。
 
 しかし現在では、皮肉なことに一つの国として纏まり、統一した価値感覚と愛国心を南北政府や軍隊が、それぞれの国民に植え付けるのに成功しつつあると思います。 しかし相手が敵であっても、同国人同士であると言う思いがあるのは事実でしょう。

★ ローマ帝国は、イングランドからインド西部までを網羅する広大な領土を保有していましたので、国土を護るために強大な軍隊を必要としていました。
 しかし強大な軍事力を保持するということは、自分自身の帝国を、特にその首都をクーデターで内部から崩壊・壊滅させてしまう危険性を秘めることでもあります。 

 すでに述べましたが、北朝鮮軍と対峙する韓国軍最前線司令官に鉄の三角地帯と呼ばれている最前線の鉄原チョロンで出会い、(=北朝鮮が秘かに掘り進めたトンネルが発見された最前線で)話を伺い、国の現状を憂いつつ未来を眺めている司令官のような人物が朴正煕大統領を覆す可能性が多いと感じさせてくれたのでした。 この私を「親韓派=親朴大統領派」にしようと試みて、一般韓国人や外国人が滅多に入り込めないはずの前線視察の段取りをしてくれた中央情報部(南山・KCIA)が、皮肉にも、私にしてくれた最高の贈物だと秘かに思い嬉しくなったものでした。
 
 そのあと、大統領は側近によって酒宴の席で暗殺されました。 北朝鮮軍人指導者の中にも、そのような人が存在しないとは決して言えないと思います。 更にのちに到って黄長燁ファン・ジャンヨブという、金正日首領の恩師で元朝鮮労働党書記が、日本と中国とフィリピン経由で韓国に亡命しています。 同様なことがローマ軍の中にも居たかもしれません。 

 ローマ皇帝が最も気を使ったことの一つにクーデターがあったものと思います。 これを防止するには、たとえば東京の青年を北海道に送り、北海道の青年を沖縄に送り、沖縄の青年を佐渡島に送り込んで、言葉や風俗習慣のまったく異なる地方に軍人を交互に、相互に送り込むことで、言葉が通じ合う兵卒たちが相談してクーデターを起こさせないように配慮したという基本方針があったことを学んだことがあります。

 この点において、韓国軍も北朝鮮軍も、同じような価値感覚や愛国心や思想を兵士に共有させる必要があります。 皮肉なことですが、南北共に軍隊制度を通してこの目的を達成しつつあると、そのように思います。 韓国人・朝鮮人の地域別対立精神構造を、強力な統制力を持つそれぞれの軍隊が改善しようとしているのです。 おもしろい、そして皮肉な現象だと思います。 それにもかかわらず、北から非武装地域を越えて、南に命がけで逃げてくる兵士がときどきあります。

 私は北朝鮮を訪れたことがありませんので北のことは何も知りません。 騎馬民族である蒙古が陸続きの朝鮮半島北部から侵入して来て長く留まったことがあります。 ソウルの西にある江華島カンファドに人々が逃れたという話もあります。通古斯ツングース系の女真ヨジン族も北から侵入して留まりました。 通古斯語を話す諸部族をツングースと呼んでいます。 シベリアのエニセイ川、アムール川流域から中国北東部にかけて広く分布していた部族です。 契丹族、女真族、蒙古族などが含まれていたと思います。 高句麗も南下しています。 そのいずれも強大な軍事力を有していた部族です。 朝鮮半島の人々が恐れた部族です。 とくに北のほうに住む人々の間では怖れられた外国勢力です。 「外部」勢力と呼ぶべきなのかも知れません。 なぜなら、その当時は、こん日の私たちが言う「国境」とか「国家」意識はなかったはずです。 地域単位、部族単位で睨み合いをしていたものと思います。 現在の日本人にとって、このことは理解し難い点かも知れません。

 侵略者との雑婚があり、サマリアとおなじ問題が後を引きます。 北朝鮮系の人のほうが、南の人よりも背丈が高いと私は思っています。 鼻が高いように思います。 言葉や抑揚にも違いがあるようです。 脱北者たちに接して何となく感じます。

 そのような北部を金日成や金正日一家が独裁者として支配しています。 何百年もの、支配者一族郎党による縦支配の精神構造です。 ある意味で、北朝鮮を訪れることができなくても、そこに住む人々や、その指導者の性格や営みを憶測することは、絶対に不可能だとは断言できないように思います。

 現在のように南北分断が固定化される前に北朝鮮に住んでいた人や、嘗ての北朝鮮を知っているという老人や、北朝鮮軍や中国義勇軍が2度にわたり南進してきたことに対して、アメリカ軍を中心とする国連軍が北進をしたという、そしてそのたびごとに無辜の住民を巻き込みながら押し合い圧し合いがあったとき、国連軍のあとを追って南下して来た友人や知人から話を聞きますと、北朝鮮内の地域差別や部族差別問題や蔑視問題も南と同じように盛んであったということでした。 同じ人間です...

 すでに述べましたが、北朝鮮で生まれ育った青年たちは、軍隊に徴兵され入隊することで、軍隊という厳しく、また徹底した思想教育と共同生活を経て金正日首領サマに対する絶対的な忠誠心を叩き込まれるとう洗脳作業が完成しつつあるものと憶測できます。 
 
 それまでの朝鮮半島に住む人々は、王とか皇帝などを中心とした縦社会の命令に対しては、日本人の天皇や為政者に無条件で服従するというような意味で、服従せず、むしろ各部族、各村落を中心に纏まって、侵入者に対抗するという姿勢であったものと推測しています。 大きな、纏まった外敵の侵入を容易に許してしまうという落し穴があったのではないかと、私はそのように考えています。 間違っているかも知れませんが...
 しかし、現在では、南北共に、中央集権的で絶対的な軍隊を中心として国民が纏まるという傾向が嘗てないほど強まったのではないかと思います。 大変な変化だと思います。 皮肉にも、南北の軍事独裁者たちが成し得た偉業なのだろうと思います。

 お馴染みの坂本竜馬劇が示すように、やれ土佐藩だ、やれ長州藩だ、やれ薩摩藩だのと、国単位での集団ではなく、地方単位で、地域単位で、お互いを意識しながらも、それぞれが単立でことに当たっていたように思います。 竜馬や西郷隆盛以前ですと、戦国時代、すなわち武田信玄だの、織田信長だのと、地域単位で差別や抗争や対立があったように、朝鮮半島内各地にもそれぞれの地域ごとに対立や抗争があったものと理解してよいかと思います。 そして、日本では、坂本竜馬劇が暴露したように、藩内においても実に激しい上下関係、すなわち、武士の中にも上士と下士という厳しい階級があり、お互いに激しい対抗意識と差別と蔑視がありました。 

 日本が明治維新のときに大政奉還というものがあり、それ以降は天皇を頂点にこの国が一つに纏められ、今日に到っています。 その間に、恐ろしい太平洋全面戦争を敗戦で迎えるという、天皇を頂点にした縦社会が、国民に大きな犠牲を強いるという失策がありました。 地方自治だのと叫ばれていますが、未だに同じ精神構造で日本は纏まっているようです。 明治維新の過程で、戊辰戦争というものがありました。おそらく日本国内では、あれが最後の二大勢力による最後の内乱であったかと思います。 

 韓国では、二人集まれば三つの政党があり、三人集まれば五つの政党がある...などと言われています。 士師記の最後の節のように、「おのおの己が目に善しと見ゆるところをなせり...」ということで、国を纏める求心力としての王が不在なのでした。 
 同族内の者、一族内の者でなければ、成功した人が出て来れば、必ずその人の足を徹底的に引き摺り下ろします。 こっぴどく引き摺り下ろす...と言われています。 
 最近はそういう傾向が中国に移ったようですが、ソウルでテレビを見ているとき、日本のコマーシャルがそっくりそのまま盗用されているのを見たことがあります。他人ということ、他人の作品ということを意識しないからだと思います。 利用できる物は何でも利用したらよいのです。 駅のホームで電車の到来を待つ間、ベンチに坐って新聞をよんでいると、見知らぬ人が隣に坐りこんで、目を通していない新聞の一部を自分の方に引っ張っていって平気で読みます。 洗面をするとき、手元にあったはずの電気髭剃り機が見当たりません。 どこかで電気髭剃り機の音がします。私の物を無断で持ち去って使っています。 あやまる気もなさそうです。
 
 自分の家族、一族、同族ごとに、二千年以上も纏まって生きる苦楽を共にしてきたのが韓国人・朝鮮人社会です。 そのような歴史過程を経た文化や慣習があるようです。 同じ教会のキャンプに来ているのだから、奴の物はおいらの物でもあるのです。 使っていないのなら俺が使っていいじゃないか...という理解です。 キャンプで一緒に食事をしているとき、隣の席に坐るはずの人が来ていません。 遅れて来るのでしょう。 日本なら、その人の分を残しておきます。 しかし韓国の教会キャンプで幾度か目撃したことは、そのような場合、先に食べ始めた食欲のある人が、空席の前に置いてある他人用の食事を食べてしまうことが往々にしてあります。同じ仲間という意識があるからでしょう。 とくに男性にそのような傾向が多いです。
 おなじような気質を、私どもが住んでいるところでも感じながら、四半世紀を過ごして来ました。 苦労して米を一緒に作って来た田舎の気質なのかも知れません。

 その代わり、部外者に対しては、ほとんど絶対に気を許さないのです。猜疑心が強いというか排他性が強いと言えばよいのでしょうか。 
 同じ先祖を共有していなければ、仲間として、一族の一員として、なかなか受け容れてもらえないようです。 韓国の場合には同様なことが言えます。 いや、むしろ韓国のほうが、もっと厳しいと言えましょう。
 
 お墓を訪ねて見ればわかりますが、「京都西陣飛鸞の野村基之の墓」というように墓碑に刻まれています。 ご先祖さまの地盤と血統を誇っているのですが、その反面、それほどまでに強い一族意識が死後におよんでも主張されているということです。これほど排他的、非妥協的なものはないと思います。 日本人なら、死んでしまえば仏さま...穏やかに...穏やかに...でしょうか? 

 その代わり、外国人である私のような者でも、いったん仲間の一人として受け容れてもらええると、楽でもあり、苦痛でもある人間関係を強いられることになります。 
 仲間の一員と認められますと、その一族なり、そのグループの掟に従わなければなりません。 面倒なことです。 厄介なことが始まります。
 たとえば、仲間なり、親族の内の誰かが経済的によくできない場合、その仲間なり一族の内で、「一番よくできる者」が、できない者を助けるのは当たりまえ...という不文律が、どうやら、存在しているようです。 韓国社会では「割り勘」という発想は起こり得ないし、あり得ないことなのです。 誰が支払うべきか...その場で、瞬間的に、誰もが暗黙の内に理解するようです。 気付かない外国人が恥をかきます。
 
 食堂に入る前にどちらが支払うのか、誰が払う立場にいるのかなどを、洞察して、心に決めておいたほうがよいかと思います。 できる者なり、食事に誘った側が支払いをするのが通常のようです。 戸惑うことが多い、気を使う食事になります。

 野村とかいう金持ち日本人のオッサンがいるんだから大丈夫だろう、心配ないさ... と、民主化運動の大学生たちは、私の知らないうちに、自分たちだけで勝手にそのように決め込んで、私がスラムの教会の指導者たち二、三名を誘って食事に行こうとするときなど、勝手に私のあとを付いて来て、それぞれが自分勝手に自分の好みを注文して、食べ終わればそのままどこかに消え去ったことが幾度かありました。 最初の内は相当に戸惑いました。 もし私に充分な所持金がなかったなら、私はどうすればよかったのでしょうか? また、スラムの内外に張り込んでいたはずの私服の警察官や南山要員がその現場を目撃していれば、私が民主化運動を支援し、反政府運動学生を養った...ということで逮捕される可能性もあったのでした。 震えます。
 実際に、日本人フリー・ジャーナリストの太刀川という人が、早川という留学生の通訳で学生たちを取材し、20ドルかの謝礼を学生に支払ったことで反政府運動に加担した...とこじつけられ、逮捕され、禁錮20年だかを食らったことがありました。

 このような習慣を知らない外国人は、気付かぬ内に大きな失敗や誤解を招きます。皮膚の色が同じで、髪の毛の色も同じなのですが、完全に異なった文化を持つ外国を訪問しているのです。 最近の金持ち日本人、海外何処へ行っても横柄に振舞う傾向があるようです。 適度な礼節を弁える必要があるのではないかと思います。
 私たち日本人が韓国を訪問するとき、わずか1時間半で外国に居ます。 気持ちの切り替えができないままで、円高で商店街を闊歩する危険性があります。 表面上共通点が多いので、外国に来ているということを忘れてしまうところに落し穴が隠れているようです。 

=みたびお詫び=

ここまで、自分が韓国人社会で、仲間として受け容れてもらっているのか、それとも部外者、外者なのかということで、難しいことがあると、体験談を書いてきました。
キャノワードからパソコンに原稿を変換する際に生じた電子信号のやりとりの失敗で、初稿を瞬間に失ってしまいました。  そのため、ここから以下の文章との文脈が繋がらなくなっています。 お詫びいたします