★ ここまで、思いつくままに、行き当たりばったり方式で、継ぎ足し、継ぎ足しを重ねて、今回の光州訪問雑記を、無責任極まる気楽なかたちで書いて来ました。せっかくキャノワードで書いた原稿をパソコン用に変換した際に、今回どうしたわけか、パソコン側が変換した文章の受け入れを拒否し、一部草稿が破壊されてしまうという予期せぬ出来事もありました。 恥の上塗りを覚悟で、無責任な文章をもう少し加えてみたいと思います。
私は韓国学・朝鮮学も、韓国史や朝鮮史も、学んだことのない全くの素人外国人にしか過ぎません。 多くの誤解や誤りがあると考えています。 お赦しを願います。
韓国・朝鮮のことを何も知らない私ですが、 1968年から現在までに、数多くの制限の中に在って、品川バプテスト教会の日隈光男牧師先生ご夫妻、旧八幡山基督の教会の皆さんがた、そして私の家族らの暖かいご支援を頂いた上で、60回近く訪韓を経験した者に過ぎません。 訪韓中に、耳学問、手学問、足学問、舌学問、それに韓国の情報機関などによる「ヒヤヒヤ・ドキドキ学問」なども加えて、韓国の皆さまがたの暖かいご配慮を頂き、いろいろな体験を実に多くを学ぶことができました。
「豚も煽てりゃ樹に登る』...という流行歌がありました。 私の場合、独りで煽て挙げて、独りで樹に登ってしまった...という感じがしないわけでもありませんが、滅多にこのような機会もないかと考え、もう少し加筆いたします。
私は個人的に北朝鮮をも訪問してみたい...という漠然とした思いがあります。それは、日本の為政者たちがこの日本を動かして、朝鮮半島に住む人々に対して犯した国家的犯罪行為がありますし、日本敗戦後の65年間に、北半分に対しては何も謝罪していないという歴然とした事実があるからです。 これは異常だと、私は思います。
また、主イェスの十字架上の贖罪の業には、神の愛の対象には、北朝鮮だけは含まれていない!...というような誤解があるようです。 日本人拉致問題ということで、北朝鮮バッシングという風潮が日本のキリスト教会内にも広く蔓延しているように思えるからです。 しかし、北朝鮮に住む人々も福音の対象であり、神の愛の対象だと私は考えています。 彼らにもイェスの福音を聴く権利と特権があるはずだと信じているからです。
また、嘗て1975年に、かなりの個人的な経済的重圧の中で、私が単独で西独逸教会を2度にわたり訪問し、疲弊しきっていた韓国農漁村やソウルなど大都市周辺に住む最低辺層の未就学児童たちのために、バランスの採れた、暖かい食事を与えたいとの願いを訴えたことがあります。 フィリッピン・レガスピのスラムの未就学児のことをも含んで、西独逸を上下左右に、田舎の方の教会まで訪問して訴えました。 その結果、西独逸教会が韓国内各地に10数箇所の託児所を建設してくださり、そこを拠点として、毎日2,000名の未就学児童に対して20年間にわたり給食をして下さったことがありました。 延べにして1千5百万食前後になったかと推定します。
同じようなことを北朝鮮の未就学児に対してもできないものであろうか...と、そのようなことを漠然と考えているからです。 経済的にもはや個人ではできませんし、このハラボジ、間もなく時間切れとなり、夢は実現しないままで終わることでしょう。
★ 朝鮮半島の南半分に関しては、隅から隅までとは決して申せませんが、離島やハンセン病棟、淫売窟、北朝鮮軍が掘った秘密トンネルなどを訪問しました。
北朝鮮軍と直接対峙する最前線での司令官と最前線で昼食を共にする機会がありました。 意識の高い司令官で、国際情勢にも精通した軍人でした。 朴正煕大統領の軍事独裁政権下で、民主化運動がそのうねりの最高潮に達していたころであったかと記憶しています。 韓国を取り巻く厳しい国際状況を的確に把握されているのには驚きました。 一般韓国人が読むことのできない日本の新聞や雑誌類にも精通している司令官でした。 会食中の談話から、このように意識の高い職業軍人高官が存在しているということは独裁大統領を倒すことが可能なのであろうと、そのような感覚を私は感じて、内心安心できたように嬉しく感じました。 暗殺という毒薬を隠すのには毒薬薬局=軍隊が最高の隠し場だと考えたからでした。 朴正煕大統領はその後、側近の手で暗殺されました。 現在の北朝鮮高官の中にもこのような人物が居ても決して不思議ではないと、素人の私ですが、そのような気がします。 さてっ?!
朴正煕軍事独裁政権下の大統領緊急措置令発令中にも、清渓川スラムを含めた各地で民主化運動家たちの緊張した一種の秘密集会など、いろいろな場所を見聞きしました。 常に追われる身の、緊張しきっていた民主化運動の学生たちや指導者たちが、極度の緊張をほぐすという名目で、淫売窟で安い酒を呑み、女性たちと戯れる場面もありました。
私は必ずというほどそのような席に誘われました。 その場合、韓国式慣習で、私が巾着役でした。 タクシー代を含め、酒代、席料、「その他もろもろ」の請求書は私にまわってきました。 安い酒に酔い、金属製の箸でちゃぶ台を叩き、酒宴にふさわしい、私にはわけのわからない歌をどなりながら歌っていました。 横に侍る女性の体を触っている若者や牧師もいました。
新婚ほやほやの青年もいました。 現在では韓国キリスト教界で地位の高い職に就いている人もいます。 いつ逮捕され、いつデッチアゲられ、いつ誰が死刑にされるのかも知れない我が身を覚え、そのような極限状態のもとで、ひとときの心身の生き抜き、憩いを得ようとしていたものと理解しています。 近日中にそのような嘗ての「仲間」の一人と、神田で再会する予定を立てています。
酒も呑まない、彼らの会話もわからない哀れな私は、客にあぶれた女性たちの、嘘かほんとうかはわかりませんでしたが、身の上話を聴きながら時間を過ごしました。そして、次回の訪韓時に、彼女たちの希望するささやかな品物を東京で用意して持参すると約束をしました。 また実際、届けたこともあります。 コールド・クリーム、ナイロン・ストッキング、故郷に残した子供たちのために衣料品や家庭常備薬を頼まれたこともありました。 老いた母のことを語ってくれた、ほとんど化粧もしていない、無表情に近い若い女性が、寂しい目をしていました。 励まし慰めることばをかけられないもどかしさを覚えたことを記憶しています。 お互いに辛い時間でした。
民主化運動に挺身している青年たちや若い牧師たちが、そのような身分の低い女性たちのことを、どのように考えていたのか疑問でした。 結局はエリート・インテリ階級制度の頂点を目指す候補生たちなのかなあ...などと、複雑な思いで彼らの一時的な痴行を眺めるしかできませんでした。 緊張しているはずなのに、あまりにも無防備な姿であったからです。 彼らを責めようなどという気持ちはありませんでしたが、複雑で居心地の悪い気持ちでいたことだけは確かでした。 スッキリしない支払いでしたし...
気の毒な女性たちでした。 朝鮮半島内の厳しい地方対立と差別を感じることができました。 私のほうから、彼女たちの生い立ちに関して、根掘り葉掘りという種類の詳しいことは尋ねませんでしたが、全羅道出身者が多かったのではなかったかと、記憶しています。 済州島出身の女性が身分を隠して侍っていたかも知れません。
中国義勇軍の介入で米軍が南に撤退するとき、北から米軍と一緒に、米軍のあとを追って脱出して来た女性であったのかも知れません。 火田民ファジョンミン系の女性であったのかも知れません。 詮索すること自体が無意味だったのかも知れません。
彼女たちが接客していた、狭くて小さくて、お粗末な淫売窟の中に住んでいたものか、それとも別に居住する場所があったのか、あるいは淫売窟のボスから監視されながら他の女性たちと一緒に仮住まいする蛸部屋があったのか、それとも清渓川スラムの板子家パンジャチップ か、それと同じような掘っ立て小屋で、その日その日を過ごしていたものか、そのようなことを尋ねることもしませんでした。 無意味でした。
当時の韓国では、天候と孫と農作物の話し以外、誰も公の場で口にしませんでした。人々の顔は引きつっていました。 喋るときには、まず周囲を見回したあと、相手の耳元に片手を当てて、ひそひそと話をしたものです。 極めて緊張した状態に国全体がありました。 そのような緊張状態の中で、相手のことを充分に観察することなどできませんでしたし、私の人生経験も不足していた、「黄色い嘴」の若い愚者でした。
彼女たちの職業は、人類最古の商売だそうです。 寂しい、重苦しい時間でした。しかしイェスさまなら、どのようになさるのだろうか?...ということは考えました。 私が幼いころを過ごした西陣にも、そのような場所があったことを思い出し、弱い立場の女性たちのことを何もわからなかった当時のわたしのような子供でも、そこに住み、そこで働いていた女性たちに対して一種の憎悪感のような目を向けていたことを思い出しました。 敗戦直後には占領軍兵士のための「特殊娯楽施設」になっていました。 また、同じ西陣で、釈迦堂の敷地内で、今なら児童虐待で逮捕者が出てもおかしくないような状態の中で、小学校にも行けず、酷い労働を強いられていた女の子がいました。 両手は松の樹の表皮か鰐の皮膚のように膨れて爛れていました。 戦争であれ、侵略であれ、差別であれ、いつも婦女子が犠牲になります。
韓国で有名なミッション・スクール、ソウルの梨花イファ女子大に近い新村シンチョンに、そのような淫売窟が多かったように記憶しています。 今ごろ彼女たちはすでに70歳とか80歳になっているはずです。 どうしているものか...と思います。
ヨハネ傳8章1節から11節で、イェスのことを常々おもしろくないと考えて、折があれば何とかイェスを試してやろうという悪意を抱いていた律法学者やパリサイ派のお偉がたが、イェスの前に、「姦淫をしている最中に捕まえられた女」を、男たちが引きずり出して来た...という記録があります。
「姦淫をしていた」という相手の男性のことを、律法学者もパリサイ人も、そして聖書も、何も言及していません。 実に不公平な、男性中心主義的な発想であって、最低層の中で、苦悩を強いられる女性だけが裁かれているように、私には思えます。
力ある者たちによって差別され、蔑視され、利用され、用が済めば捨て去られるという、聖歌467番の「悲しみ尽きざる浮世に」生きている、最低下層の弱者たちだけが常に力ある者たち、主として男性によって利用され、裁かれるという、人間の罪が生み出す恐ろしさ、無常さ、非常さを、主イェスは見抜かれていたものと思います。
厳しい階級制度の名残が色濃く残る朝鮮半島(少なくとも南半分)で、貧民窟の中で、ソウル市内の中心地、鐘路チョンノ街のYMCAの前で、新村シンチョンで、百万人?が集まったというビリー・グラムの汝矣島ヨイド広場大会で、背中に大きな籠を背負って、手には職業をあらわす、大きな音の出る大きな鋏をカチャカチアさせながらゴミを拾って歩き廻るノンマチュイのアジョシ(小父さん)や、売春せざるを得なかった女性たちを思い出すたびに、ヨハネ傳8章の主イェスの寂しそうな瞳を思い出します。
どの人であれ、自ら好んで階級制度の底辺層の中に生まれたくて生まれて来たわけではありません。 弱い者が希望を持つことができる主イェスの福音を、弱い地位に置かれている人々に対して、主イェス・キリストの教会と、その信者と称する者たちが、解放の喜びとして、希望として、語る必要と責務があると私は考えています。