★ 2010年4月5日から8日にかけ韓国南西部全羅道光州グワンジュ Gwangjuを訪問しました。短い訪問でしたが感じました雑感想をここに書いてみることに致します。
5日の朝に小淵沢駅を出発し、羽田空港と金浦空港を経由し、全羅南道の中心都市光州市を訪問しました。
光州市立民族博物館がソウル歴史博物館と共同開催をした『異邦人が見たかつてのソウル』という特別写真展の開幕式に「異邦人 イバンイン」として出席するためでした。
1968年から1985年前後までのあいだ、訪韓ごとに密かに撮影しておいた韓国各地のフィルムやカラー・スライドなど最低数千駒をソウル歴史博物館に寄贈しました。
ソウル歴史博物館がそれらを纏め上げ、過去に2度にわたりソウル市内で大規模な写真展を開催したことがあります。今回初めてソウル市以外の地方都市での展示ということになりました。
光州市は、1980年5月に、朴正煕パッチョンヒ軍事独裁大統領の死後に成立したばかりの全斗煥チョン・ドファン軍事独裁大統領が率いる軍隊が、民主化を求める民衆を、強力な武力をもって弾圧した、いわゆる光州事件、或は5・18事件とも呼ばれている事件の中心地です。のちに大統領になった金大中を支持する人々が圧倒的に多い地盤です。
末期高齢者でもある独立福音伝道者にとりまして、韓国内で3回目になる写真展に自費参加するということは、決して易しいことではありませんでした。
今回も順子さんの並々ならぬ努力と妹の協力を得まして、何とか急遽最低限の旅費を調達して開幕式への出席が可能となりました。 老齢年金生活者にとっては相当に厳しい出費でしたが、再び多くを学ぶことができました。 いつものことなのですが順子さんには感謝のことばがありません。 50数回目の訪韓となったかと思います。
★ 韓国・朝鮮の多くの人々は、過去に日本が韓国・朝鮮に対して侵した国家犯罪に対して、日本人に対して、「恨ハン」という、深い被害者意識に基づく、私には説明するのがとても困難なのですが、被害者として、民族的な、粘着性の強い嘆き、恨み、痛恨の念のような複雑な感情を抱いています。日本人にはわからないことですが、日韓・日朝の関係を仲々に解消できない問題を抱えている民族です。未来よりも、どうしても過去に固執する傾向がある民族性の一つだと思います。
有史以前から、北東アジア諸方面から朝鮮半島に侵略していたいろいろな民族集団によって酷い目に会わされて来た朝鮮民族が、侵略者たちに対する憎しみや恨みの念を、「恨ハン」と呼んでいたのではないかと思います。最後に侵略して酷いことをした隣国日本に対して、この「恨ハン」が一気に噴出したのかも知れません。
この点で、いまひとつ私に理解できないものがあります。おそらく私の勉強不足ということだろうと思いますが、有史以前から、千年も二千年も前から、朝鮮半島を侵略し、人々から略奪し、住民たちを殺戮して来た、多くの北東アジア民族に対して、私の知る限り、韓国人は日本に対するほどの不信感を抱いていないという事実です。
古くから特に歴代中国権力に対して朝鮮の権力者たちは貢物を捧げて来ました。中国人に対しての感覚は、日本に対する感覚とは全く異なったものがあります。
チャングム劇でも、中国からの薬草や食膳に関する場面が数多く出てきますが、日本となると倭寇のことだけです。
朝鮮戦争のときにも、北朝鮮軍を支援するために中国共産党は義勇軍兵士を北朝鮮に派遣しています。そしてそのことで「外国軍人が祖国の土を汚した!...」と彼らが激しく怒ったということを見聞きしたことがありません。つい先日も金正日一行が中国を訪れ、援助を要請したようです。中国や蒙古や北東アジア諸民族に対して韓国人が、日本に対するように、怒ったり、恨んだりしているのを私は知りません。
そうなれば、民族的に、日本を見下げた国として無意識に理解し、その日本に侵略されたということで「恨ハン」の念を抱いているのかなあ...と、そのように考える折があります。民俗学や民族心理学を学んでいませんので、何とも申せません。
それから、これも私の主観的なひとりよがりの理解ですが、彼らの言う「恨ハン」は、どうやら南道から起こったのではないかという、薄々の推測を私はしています。
それは、この「恨ハン」を謳った民族的音楽を聴いて、そのように感じているからです。パンソリとか伽?琴の音色に耳を傾けますと、そこに確かに彼らの言う「恨」を感じるからです。そして「南道民謡」というとき、それは全羅南道の民謡を指します。のちに詳しく述べるつもりですが、慶尚道人にいじめられ続けている全羅道の民衆の恨みが込められている民族音楽です。もともと両班が愛したものです。
早速の脱線になりますが...
パンソリとは、現在の北朝鮮では、古い朝鮮の両班ヤンバンの玩弄ものだとして拒絶されていますが、南半分の韓国では民族的、大衆娯楽として人々が愛しているものです。
主として風刺やエロティシズムや庶民の喜怒哀楽を豊かに表現する民族芸能の一つです。日本で言えば、浪花節、浄瑠璃などと同じような大衆芸能であろうかと思います。鼓と琴と横笛を伴奏させ、物語を語り、歌い、舞うということが多いです。
唱者(物語の語り手)が一人いて、伴奏鼓手がいます。これに笛や琴が参加するといつの間にか観衆全員が興奮状態に陥るようです。さしあたり阿波踊り的な要素もあるのかな...とも思います。「恨ハン」が琴の区切り区切りの音の違いで表されます。琴と鼓と笛だけの演奏は、日本人の多くには、単調すぎて最初は眠くなります。しかし唱者が加われば、俄然雰囲気が変わり、観客は興奮状態に陥ります。
韓国人・朝鮮人の世界観や宇宙観を学んだことがありませんし、彼らの北東アジア観を調べたわけでもありませんので、何とも言えません。最近の韓国は若い人たちの国になって来ましたので、この「恨ハン」という言葉が使われる回数は減ったかとも思います。しかし、劇場などでパンソリを鑑賞すると「恨」は確実に蘇って来ます。
そして、この「恨ハン」という漢字が韓国・朝鮮の人々の人生のどうしょうもできないような重荷に対する個人的な感情を表すものなのかどうか、私にはわかりません。人生のどうすることもできないような悲しさとか、寂しさとか、諦め切れないような辛さをも含むものなのかどうか、わかりません。悩み多き人生と言う意味で、苦悩や涙や溜息を意味する表現でもあり得るのではないかとも思いますが...
いずれにせよ、年配の韓国人の胸の中には日本の植民地時代を覚えておられる人々が多くいらっしゃり、そういう方々の日本に対する「恨みハン」の念の存在を日本人訪韓者は心のどこかに留めて置くべきだろうかと思います。
まだまだ足りませんが、この点を私なりに踏まえての旅行でした。
クリスチャンを含めたほとんどの韓国人が日本人に対する拭い去ることができない、根深い猜疑心、被害者意識、反日感情、憎悪感を抱いているものと私は基本的に理解していますが、今回の短期間の旅行でも、そのような感情、「恨ハン」を感じました。
ついこのあいだまでの日本による侵略と植民地化の事実が、韓国人・朝鮮人に対し与えた深い傷跡は、彼らの民族性を考えるとき、これから今後何百年にもわたって、韓国人・朝鮮人の心に残るのではないかと、そのように感じ、心を痛めました。
日本人は、戦時中は、鬼畜米英と教えられ、そのように信じ込んでいました。英語廃止ということで、野球に使う名称まで使わないということでした。
しかし、占領米軍の日本への進駐と共に、私たち日本人は颯爽と着物を捨て、パンを食べるようになり、小泉純一郎がエルビス・プレスリーの真似をするのです。過去のことをケロリと忘れてしまう、順応性の豊かな国民性を持っています。
韓国・朝鮮の人々は、必ずしもそうではないようです。 そこを抜け出すのが困難な「恨ハン」という民族性が深く人々の心の奥底に横たわっています。拉致問題なども、この両者の民族性の違いを無視して解決を語ることは困難なように思います。
円高韓流ブームに乗って、気軽に訪韓し、大声を張り上げながら、外国に来ているということをすっかり忘れ去って、商店街を闊歩し、狂喜する多くの日本人買い物客の姿を見るごとに、無邪気にはしゃぎまわる横柄な日本人買い物客の姿勢が、韓国人の心をどれほどまでに逆撫でしているのかな...と考えてみますと、また、そのような韓国人の心の痛みにまったく気づいていない日本人と、現地の人々との落差をひとり思うとき、更なる痛みを覚えました。侵略するとは、実に愚かなことなのです。