★ 最後に...
「私は兄弟の世話人でしょうか? 守者(マモリテ)でしょうか? 番人でしょうか? 介護者でしょうか? Am I my bother's care taker ?」 創世記4章9節
上記ガラテヤ書6章に記されている三つの十字架と共に、創世記4章9節が問いかけていることを、今度は光州訪問ということと別に、考えてから終わりたいと考えています。
私が「この地上で、とりあえず、自分自身をどこかの群れに置かなければならないので、ある教派に属している」ということにしておいて、考えていることを二、三申し上げてから終ります。
私が「属している」教派のことですが、北米ではけっこう大きな群れです。日本では相手にされないほど小さな教派だと言ってもよいかと思います。まぁそれは、可視的面というだけではなく、その内容においても小さな規模の教派だと思っています。 別に劣等感に苛まれているわけではありません。この群れの一部は、戦前、戦中、戦後に、自らの意志で、日本基督教団に所属することになり、行方不明になってしまいました。 この蒸発してしまった群れのことをここで問題にしようとしているのではありません。 為念
私が、仮にこの地上で「属している」群れは、アメリカ深南部文化とそこで育った教会の極めて強い影響を受けたまま、個人の魂の救いとか、教会組織の在りかたであるとか、クリスチャンになるためには何をどうなすべきであるとか、公同礼拝の時の可視的面のことなどに、実に二百年ものあいだ、その殆どのエネルギーを使いすぎてしまい、悲しみと涙と溜息と恐怖で充満しているこの罪の世界に住んでいる人々のことをすっかり忘れ去ってしまい、自分自身をゲットー化して、私に言わせますと、「宗教酒をたっぷり呑んで、宗教的阿波踊りに興じ、自己満足をして来たように思えるのです。 もちろん、この地上に完全な姿の教会を見出すことは不可能です。どの教派、どの教団にも、それぞれいろいろな欠点があるのは事実です。
北米では大きな教派であると申しました。 たしかにそうなのです。しかし、教会組織や、礼拝形式などにあまりにも多くのエネルギーを使いすぎて現在に到っているように思います。
たとえば、この大きな教派には、病院というものがないのです。 病気になると、常日頃はとかく相手の欠点を責めて軽蔑している他派の教会や教派が運営している病院を平気な顔をして利用しているのです。
メソジスト教会、長老教会、バプテスト教会、セヴンス・デー・アドヴェンチスト教会、カトリック教会...エトセトラ...の教会の病院を利用するのです。 人間の肉体的な生老病死に殆ど関心を示してこなかったようです。
貧しい人々に仕えるという姿勢も、ほかの教派と比べてみますと、具体的に奉仕している姿を見ることができないのです。 南北戦争で敗者側に廻った教会ですので、孤児を収容する施設を運営したことはありますが、それ以外の教会の社会的貢献に関しては、恥ずかしいほど、そのような関心そのものが存在してきませんでした。明治時代に来日した二、三の女性宣教師以外に、社会的貢献で実績を残した宣教師は生まれて来ませんでした。 一人は東洋のナイチンゲールと呼ばれた宣教師でした。
「貧しい人に仕える」ことで、「いと小さき者に仕える」いうことで、主イェス・キリストに仕えるという理解も発想もなく、イェスの教えをすっかり忘却してしまっていたと思います。
それでいて、「オイラは世界最高、唯一のクリスチャンだ!」というような、傲慢不遜な錯覚に陥り、宗教という酒に潰れて来たように見えます。 イェス・キリストの「平和ならしめる者」という重要な教えが、あたかも存在していないような錯覚と誤解をして、アメリカ政府という体制側に、為政者側に身をおいて来たようです。「オイラはキリストの教会だ!」と豪語して来ました。 イェス・キリストに対しても、主イェス・キリストが愛されたこの世に在る人々に対しても、まことにお恥ずかしい次第です。 優れた芸術家も、優れた音楽家も、卓越した学者も、優れた品格と技術を備えた医者も生み出せないままやってきました。 戦時中は大日本帝国政府が天皇の名によって命じたことを疑いもせず、そのまま鵜呑みにしていたと思います。
全世界と全宇宙を支配したい...とう、世界の警察官になりたいと願う、アメリカの精神を如実に示しているマニフェスト・デスティにー精神と、主イェス・キリストの福音が混合されたような「福音」を、あたかも福音そのものであるかのように誤解して、鵜呑みにして、現在に到っています。 そのような日本の教会の殆どはイェスの福音の社会面でのメッセージを理解も消化することも出来ないままで居ます。
留学のため上陸したアメリカで最初に体験したのは、長距離バスの停留所や食堂の人種差別サインでした。 白人 white 専用と有色人 colored 専用とありました。どちらなのか戸惑いました。 留学中の数年間に同じようなことを多く体験しました。
黒人は劣等人種で、奴隷として白人に仕えるように神が定めたのだ...と、そのように教会で教わって育った学友がいました。 創世記9章18節が「聖書的根拠だ」とのことでした。 そのように教えていた教会が集まって支えている神学校でした。
連邦政府が学校を含む公共の場所で人種差別を禁じるまで、私たちの教会が関係する大学では公然と人種差別をおこなっていました。 黒人の大学入学は拒否されていました。 「オイラこそ唯一の聖書的な教会だ」と、その一方で豪語していた教派です。 南北戦争終結後百年を経過していても、イェスの福音の社会面を読み取ることができなかった教派の一つでした。 主イェスの福音を溜息で満ち溢れている社会で実践するということに対して、現在に到っても、ほとんど無関心でいるのが現状です。 弁解の余地はありません。 教会の中のことだけに関心を奪われたままでいます。
「仕える者・平和ならしめる者」という面が完全に欠落したままで来てしまったと私は私が愛する群れを見ています。 同じ交わりの中にいる多くの者が、これらのことに関して、何も痛みを覚えていないというあたりが悲劇です。
信仰一筋で、無一文で孤児院を運営し、多くの孤児たちを立派に育てたジョージ・ムラーも出現せず、ガンディーのような平和主義者も輩出できず、賀川豊彦のような福音伝道者を生み出すことも出来ないまま、百二十年ほどを過ごしてきました。 何かしらおかしいと私は痛みを覚えます。 希望を見出すことが困難な群れのようです。 福音と罪という次元から、侵略や差別や戦争責任などを洞察する作業を怠ったまま来てしまったように思えます。 常に為政者側に立ち、アメリカが関わる戦争を肯定し、植民地的発想が強い教派のように思えます。 アジアとう視点が不在です。
今回の光州訪問で、田舎を廻り、ソウルの都会を訪れ、いろいろと複雑な気持ちに襲われました。 今年は日本が朝鮮を植民地にして百年目を迎える年です。
侵略とは数百年も後に到るまでもその弊害を残す蛮行・愚行です。 絶対に良いことではあり得ないのです。
「涙一杯の目で主イェスを仰ぎ見るのはよいことだが、剣を持ったままの手でイェスを見ることは決してよくない...」と、英国叙情詩人トーマス・ワトソンが言ったそうです。
昨年秋にソウル歴史博物館が、立派な写真集第2巻を発行してくださいました。ご希望の方はご連絡下さい。
★ 「私は兄弟の世話人でしょうか? Am I my brother's care taker? 」
答えが要求されているように覚えながら、のどかな田舎の風景と、そこに静かに住む農民の姿や、草を食む赤牛や、見事に開花した桜や連翹や紫躑躅の花を眺めながら光州を訪れました。 拙文を、長時間お読み頂きましたことを感謝いたします。
パソコンの操作ミスで、文脈が乱れ、繰り返しが多くなったことをお詫び致します。
八ヶ嶽南麓 2010年5月18日 光州事件勃発30年記念日 野村基之
www.bethanyhome.net/ 電話 0551-32-5579
408-0031 山梨県北杜市長坂町小荒間 1381
朝鮮動乱に関しては グーグル Google をご利用になることをお勧めいたします。
5月19日から22日まで息子夫妻の招待で再度訪韓しました。 60回近い訪韓です。許されることなら、追加感想雑記を書いてみたいと考えています。
★ 文中で、全斗煥軍事独裁大統領により光州市民に対する武力鎮圧のことを書いておきました。 また、豊臣秀吉の朝鮮侵略時には、黒田長政が侵略軍の一端を担い、全羅道にも入り込んだことを書いておきました。 無等山頂から当時の光州村を見下ろしたことだろうと記しておきました。
★ そのほかにも、光州に関して書き忘れていた大切なことがありましたのでここに書き添えておきます。 それは私が生まれる2年前に光州で起こった抗日学生運動のことです。
1910年、日本は朝鮮を日本の植民地としました。 それから19年目の1929年には、光州の大部分の中学校や女子中学校、それに師範学校で行われていた読書会というものがありました。 朝鮮全土で主として学生のあいだ、植民地化された自国の現実を学び、将来への自立に備えていたと私は理解しています。 社会主義思想が学生たちの間に浸透していたという説もあります。
10月30日、水曜午後5時半に光州駅を発車した列車が光州の西南にある羅州ナジュ駅に到着したとき、日本人男子学生が光州女子高等学校生徒を侮辱する発言をしました。 これに憤慨した女子学生の従兄弟たちが翌31日に日本人学生と喧嘩をすることになりました。 これが引き金となり、11月3日、日曜日、明治天皇の誕生を祝って祝日と制定されてから2年目、多感な朝鮮人学生には腹立たしい祝日に、光州中学の日本人学生と光州高等普通学校の朝鮮人学生との間で大規模な喧嘩が起こりました。日本の警察が、朝鮮人学生だけを逮捕したということも人々の憤慨を招きました。
この出来事を報じた光州日報社(親日派の御用新聞)に対して憤慨した学生たちが攻撃を加え、輪転機に砂をかけ、「朝鮮独立万歳」を叫びました。 もちろん警察、消防隊、在郷軍人会などが出動しました。 日本人も多く住んでいた町でした。
学生たちの抗議運動は全国的な抗日運動へと発達し、朝鮮全土のほとんどの学校が同盟休校やデモをやりました。 194校、6万人もの学生が抗議運動に参加しました。学生の中で6百名近くが退学や最高5年の実刑判決を受けました。 2千3百余名が停学処分を食らっています。
光州学生運動は、このようにして、3.1運動以降、学生たちが起こした全国規模の抗日運動のはしりとなりました。 このことを記念し韓国では11月3日を「学生の日」として制定され、覚えられています。 北朝鮮でも記憶されているようです。
全斗煥軍事独裁大統領に市民が身体を張って抵抗したことの背景だと思います。
朝鮮半島・韓半島のあちこちで、このような抵抗運動がいろいろあったようです。円高ウォン安と韓流ブームで多くの日本人が訪韓しています。 しかし韓国民の心の奥底に潜む痛み「恨ハン」を知る日本人があまりにも少ないように私は思います。歴史教育が正しくなされていないからです。 この点で日本は不幸な国だと思います。
なお、朝鮮・韓国の近代史の中で、抗日運動として重視しなければならない、この光州学生運動に関しても、グーグル提供の情報を参考になさると良いでしょう。