2010年6月アーカイブ

何を選ぶのか?


★  今朝は、豪州に渡り宣教活動をして、大西洋上で暴雨風に襲われ、船と共にこの
世を去ったダニエル・ドレイパー牧師の最後の働きをご一緒に考えてみました。

★  私たちの人生の歩みは、大小さまざまな選択で成り立っています。
大きな選択もありますが、日常生活は些細な選択から成り立っているようです。

  職業を決めるとか、人生の伴侶を選ぶとか、家を購入するとか、教会を選ぶとか...
いろんな選択があります。  間違った選択をしてしまっても、この地上での生活では
何とかやりくりをして、我慢をして、工夫をして凌げば、差し支えがないようです。
何とかやって行けるもののようです。

★  しかし私たちがどんなに工夫を試みてみても、どんなに頑張ってみても、人生で
ひとつだけ、どうにもならない、どうすることもできない大きな問題があります。

  「問題」というからには、「解答」が必要であり、「答」が要求されていますが、
答えることができない人生最大の「問題」があります。  「死」という問題です。

★  以下は、ヘブル書9章27節の警告を、いろいろな訳から選んでみました。
  メメント・モリです。  アモス書4章12節の勧めも頭に叩き込んでおきましょう。

『人間は一度死んで、のち裁きを受けるように定められている...』
                                柳生直行訳

『一たび死ぬることと、その(死の)後の裁きとは、人に定まれるが如く...』
                                永井直治訳

『一度だけ死ぬことと、死んだのち(確かな)さばきを受けることが、
              (すべての)人に定められている...』  詳訳聖書訳

『人は一度は必ず死に、死後、裁きにあうように、定められている...』
                              キリスト新聞社訳

『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている...』
                            いのちのことば社訳

『一たび死ぬることと、死にてのち審判を受くることとの人に定まりたる如く...』
                                  文語訳

『人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている...』
                                  新共同訳

『一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている...』
                                  口語訳

メメント・モリ、豫言者アモスの勧め、如何でしょうか?
 

ダニエル・ドレイパーのこと


★  時々「ベタニヤつうしん」に紹介する聖句にアモス書4章12節があります。
『汝、汝の神に出会う備えをなせ!』という聖句です。  『memento mori !』と同じような意味です。  すなわち、『汝、死すべき身たるを覚えよ!』ということです。

★  この警告を実行した英国人メソジスト教会の牧師がいました。
ダニエル・ドレイパー Daniel Draper, 1810年~1866年を生きた聖徒です。ハンプシャーで生まれています。  父親は英国国教会員で大工でした。
  父の願いに反してダニエルは英国国教会の信仰を離れ、メソジスト教会員になり、メソジスト教会の信仰を抱く女性と結婚して、メソジスト宣教会からオーストラリアに宣教師として派遣されます。

  当時、大英帝国から新世界であった北米大陸に移住する人たちや、オーストラリアとニュージーランドに移住する人々が多くいたからです。  もちろん、囚人たちが送られたという事実もあります。  イングランドからほとんど地球の反対側に位置する豪州まで、喜望峰を経由した長旅でした。  それでも人々は移住して行ったのです。

★  30年間をドレイパー夫妻はオーストラリア各地で宣教活動に従事しました。
開拓各地に教会を設立し、メソジスト宣教会を組織し、学校を建てるなど、託された宣教の業をよくこなしました。
  しかし健康を損ねた妻は、数日間だけ生きることができなかった未熟児を出産後に他界しまいました。  3年後に同じメソジスト教会の宣教師の娘と再婚しました。
  ゴールド・ラッシュが豪州を沸かせ、ドレイパーはますます多忙な日々を送ることになります。  詳細は略しますが、南部オーストリラリアの教会員数は7千人、日曜学校生徒数は2千人などと、ドレイパーの苦労が報われていたことを示す記録が残っています。
  その後、一時イングランドに戻ったドレイパーは、イングランドとアイルランドのメソジスト教会活動にも積極的に、精力的に関わっていました。

★  1866年1月5日、イングランドとアイルランドでの仕事を終えたドレイパー夫妻はイングランド南西部、プリマス Plymouth 港からロンドン号で豪州向け帰国の長旅に就きました。  イングランド最南西端 Land's End を過ぎ、ロンドン号がフランス西のビスケー湾に差し掛かった時に暴風が船を襲いました。  乗客 263名中3名だけが救命ボートで難を逃れることができたそうです。

★  沈み行く船の上でドレイパーは人々に呼びかけ、悔い改めを勧めたと、生存者が証言を残していたそうです。

  『この船は、船長の話によれば助かるチャンスは皆無であり、間もなく深い海の底へと沈没するので、私たち全員は死んでしまうのです。  私たちは滅び去り、陸地を二度とふたたび見ることはありません。  しかし、希望がひとつだけあります。
    私が信じている「船長さま」は、私たちを「天の港」へ、「永遠の憩いの港」へと安全に導いてくださるお方です。  皆さんは、今ここで罪を悔い、そのお方を信じ、天国を到着港とするようにしなさい...』と勧めたそうです。

  トレイパーの力強い最後の説得を受け入れた乗客も、船長を含む「海の荒くれ男」たちも、肉体が滅び行く前に、「船長イェス」を信じる者となったそうです。
  こうしてドレイパーの魂は、1866年1月11日、彼の信じていた「船長さま」の御国へ、船客と船員と共に無事に旅立って行ったのです。  豪州主要都市のメソジスト教会や神学校には夫婦を偲ぶ記念碑が建っているそうです。

★  私たちが一時的に住むこの地球衛星の上には、次から次にと、あらゆる種類の罪と悪が絶え間なく襲って来ています。  そして余りにも多くの魂が、神の恩寵を全く知らないで滅んで行っています。  『人が一度だけ死ぬことと、死んだ後にさばきを受けることが、人間に定まっている』とヘブル書9章27節は断言しています。

  『汝、汝の神に出会う備えをなせ!』とアモスは勧めています。  memento mori!

 

コリント後書2章14節

神はまことに感謝すべきお方である。
神はキリストの凱旋行列に常にわれわれを加わらせ、
われわれを通してキリストに関する知識を、
さながら凱旋行列の香(コウ)のかおりのように、
周囲のすべての人々に広めて下さるのである。

          コリント後書2章14節 新教出版社 柳生直行訳

 

ピリピ書3章21節

キリストは、
万物をご自身に従わせ得る力の働きによって、
私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ
形に変えて下さるであろう。

          ピリピ書3章21節

 

裸で生まれ、裸で去り行く


★  神さまの一方的な恩寵に支えられ、計り知ることができないほど多くの皆さまのお赦しと愛情の内に、あっという間に人生78年が過ぎ去りました。  今から79年目の人生が、その終焉に向けて始まります。  神さまの時が来れば終わりましょう。

★  生まれる前から、どれだけの方々が私の誕生を期待されたのかわかりません。出産の時に、出産後に、どれだけ多くの方々が愛情を注いで見守ってくださったのかもわかりません。  産婆さん、親族の方々、お医者さん、近所の人々、お米やさん、魚屋さん、八百屋さん、洋服屋さん、牛乳屋さん、便所の汲み取り屋さん、幼稚園の先生がた、父の他界後にお世話をしてくださった方々、近所の腕白坊主たち、小学校の先生や用務員(昔は小使いさんと言いました)の方々、校医さん、お下がりの洋服を下さった方々‥  考え始めたらとうてい計り知ることができないほどの方々です。

★  極めて厳しい赤貧留学時代(1954年~1961年)にも、数こそ少なかったと記憶していますが、多くの方々の生きざまを通してイェスに仕えることの重要さを学ぶことができました。  その日のパン代もないのに私たちに聖書を教えて下さった先生方とそのご家族を覚えています。  人種偏見の強い当時の状態の中で、分け隔てすることなく、暖かく励まして下さった方々がありました。  学校の食堂で朝早くから調理をして下さったおばさんや、黒人用務員のアールさんも覚えています。  田舎の教会が暖かく支えて下さり、礼拝後に握手をして下さったとき、掌に5セントや25セントを下さった老婆もありました。  ロサンゼルスの日系人教会でも良くして頂きました。

★  結婚して以来、順子さんや母も良く支えて下さいました。  子供二人も伝道者の赤貧生活によく耐えてくれました。  八幡山の小さな家庭集会に出席されていた方々の中にも、豊かに支えて下さった、有り難い数名の方々を忘れることができません。

★  韓国のスラムの中でも最も酷い状況の中で、その日その日を生きていた寡婦たちが、イェスを信じてその日その日を一生懸命に生き抜くことを教えて下さいました。
  反面教師として、大言壮語を語りながら、悪魔的な生きざまを私に示した、哀れな職業的な牧師たちにも会いました。  またその反対に、朴正煕軍事独裁大統領統治下の最悪のスラムの中で、明るい明日の韓国社会を夢見た諸廷丘君にも出会いました。

★  今日から79年目の人生を感謝して歩き出すことができるようにして下さる恩寵を改めて感謝しています。

  欽定版聖書という、1611年にジェームズ王が公刊した英語聖書があります。
そのサムエル上書7章12節に、古い英語で次のような一節があります。『Hitherto hath the Lord helped us. = エホバ是まで我らを助けたまへり』です。
  最近「hitherto」という表現に接する機会が少なくなったように思いますが、副詞です。  「ここまで」とか「ここに到るまで」というような意味です。

  私たちが、私たち自身の人生の歩みを振り返って眺めるとき、喜怒哀楽・紆余曲折の多かった人生行路において、確かに主の一方的な恩寵が私たちと常に一緒であったことを見ることができます。

  むしろ、主イェスご自身が私たちの前に立って人生を導いてくださっていたこと、私たちのすぐ横に並んで共に歩んでいてくださっていたこと、私たちのすぐうしろから私たちを後押しして、私たちの肩を優しく叩きながら励ましてくださっていたことを実感するようになるものです。

  『ここまで主が私たちを助け導いてくださっていたのだから、これからの人生行路も大丈夫なのだ!』と、勇気と希望をさらに確かなものにして、終点を望み見て歩み続けることが出来るのです。

  私はよそさまのことはわかりません。  しかし私は、私の人生の歩みを振り返ってみますと、そこにはくっきりと主の恩寵が確かに存在していたことを覚えざるを得ません。  すべてのものが主によって備えられ、与えられ、祝されて来たと知ります。

★  ヨブがいみじくも告白した言葉がその1章21節に記されてあります。『私は裸で母の胎を出た。  また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。  主の御名は誉むべきかな』

  これから先、終点に到るまで、恩寵の内に、感謝に満ち溢れた日々が待っていると確信しています。  唇に『ハレルヤ、感謝』の一言を遺してお引っ越しが出来るものと信じて疑いません。

  私が親炙している師に、ギャレットLeroy Garrett と仰しゃる方がいらっしゃいます。  もういつ「お引っ越し」をなさっても不思議なことではありません。
  その先生の座右の銘は、『dying broke 無一文でこの世を去る』というものです。私も、『ハレルヤ、感謝』の一言を唇に遺してお引っ越しをしたいと願っています。

  今日、79歳という、新しい人生の初めを迎えるに際して、以上のようなことを感じました。  恩寵の内に毎日が「最高の感謝の毎日」となり得るように祈っています。
 

 

★  ユりカ!という叫び声があります。  発音はユりカ、平仮名にアクセントです。「eureka」は女性の名にもなっていますし、カリフォルニア州の標語にもなっています。  同州北西部で、オレゴン州との境界近くにある町の名にもなっています。

  ギリシャ語で、『わかった!』とか、『見つけた!』とか、『しめた!』の意味です。  『やった!』とも、場合によっては訳せるでしょうか...  英語で言うならば、『I have found it ! 』となりましょう。

  ギリシャの数学者・物理学者のアルキメデスが王冠の金の純度を図る方法を発見した時に、思わず彼が発した叫び声だと言われています。

  円・球・楕円・放射線、それらの回転体の求積法や、梃の原理など、アレキメデスの原理を発見した学者で、紀元前 287年~ 212年を生きた人だと言われています。

  考えごとをしながら入浴していた時に問題の解決方法を発見したので、思わず裸のまま外に飛び出して、『わかった! 見つけた!』と叫んだと語り伝えられています。『ユりカ!』とは、わからなかったことを見出した喜びの叫びであったのです。

★  これに似た、或はこのような意味を表す東洋の表現ですと...
  平安初期を生きた日本天台宗の開祖で、近江出身の最澄という上人がいます。事典によれば、受戒後の 785年(延歴4年)比叡山に入って修業し、法華一乗思想の中心として一乗止観院を建立。804 年(延歴23年)に遣唐使として入唐し天台教学んで翌年帰国、天台宗を設立した人物です。以下省略します。

  この最澄法師が語った言葉だそうですが...
『解脱の味は独り飲まず、安楽の果は独り証せず』と言われたそうです。

  すなわち仏教的発想ですが、束縛から離脱して自由になるということ、現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達すること、到達されるべき究極の境地、涅槃状態に達した喜びというものは、決して独りで楽しむものではなく、ほかの人も同じ涅槃の境に入って欲しい...ということであろうかと、素人の私は理解しています。

  キリスト教の言葉で言うなら、救いの喜びを、ほかの人とも分かち合いたいということでしょうか?

★  今日は、この「ユりカ」、「見出した喜び」ということを、「友を得た喜び」ということで捉えてみたいと考えます。  『よい奴をみっけた!』という意味です。

  新約聖書ヨハネ傳1章43節~50節に、ガリラヤ地方に行こうとされた主イェスがピリポに出会われたことを記しています。  主イェスはピリポに、『我に従え!』と誘われました。  ささいな出会いと思われたことが、ピリポのその後の生涯を大きく左右する全く別な世界へと導いたのです。  「善き師に出会わずば学ばじ...」です。

  善き師に出会ったと確信したピリポは、ナタナエルに向かって、『旧約聖書が豫言し、約束していた人、イェスに出会った』と語り、『お前も出て来て、会ってみろ!Come and see!』と誘いました。  ピリポもナタナエルも善き師に出会ったのです。人生とは、善き師、善き友、善き伴侶に出会うことで大きく変わって行きます。

★  先日フロリダの或る墓碑の前で、或る韓国人家族が集い、一家の大黒柱が召されて1年目のメモリアル・サーヴィスを捧げました。  故金世福 キム・セボク 兄の墓前礼拝でした。  私がこよなく愛した兄弟で、同地の韓国人教会の牧師をしていました。

  近日中に「神の声を聞く会」が出版する予定の小冊子があります。  50数回に及ぶ私の訪韓雑感です。  「光州訪問記」と題したものです。  拙文の中で私がどのようなわけで韓国で奉仕をすることを決めたのかを説明してあります。

  最初に訪韓を決意させたのは、今はフロリダの墓石の下に眠る金世福兄からの誘いでした。  1968年夏、韓国がいまだ赤貧状態にあったとき、金浦空港傍にあった短大(現在は四大)Korea Christian College の同窓会長をしていた金世福兄弟が、日本の諸教会に航空便を送りつけ、国際キャンプへの参加を呼びかけたのでした。当時の韓国内の状況が悪かったので誰も応じませんでした。  私だけが応じました。

  金世福兄は、誠実で熱心な青年でした。  曲がったことが嫌いな青年でした。寡婦の母親を良く支え、妹たちの面倒をよくみながら母校に関係する印刷所で働いていました。  極めて排他的で、恐ろしく律法主義的な宣教師の下で働いていました。

  韓国人の渡米は勿論のこと、永住権入手など不可能に思えた時代でした。
彼の人格や信仰上の悩みを十分に理解した私は、テネシー州ギャラティン教会に依頼して、移民割り当て枠外の、牧師としての資格で招待してもらいました。

  このことで金世福兄は渡米し、家族の呼び寄せに成功しました。現在は家族一同が良きアメリカ市民として、看護婦などの職を得て、米国各地で生活をしています。
  この金一族が今後も、良きアメリカ市民として生きて行くことを確信しています。そして、この金一族の渡米のきっかけを提供できたことを私は誇りに思っています。

★  それだからと言って、私が金世福一家に何かをした...、できた...ということで、自慢しているわけではありません。  金世福兄が1968年夏に私を韓国に招いてくれたことで、私は私で、そこから韓国への奉仕を始めることができたのです。  そして、私は私で、韓国の多くの人々に愛される存在として、生きる喜びを学んだのです。

★  聖書は、ピリポがナタナエルに対して、『イェスという師を見に来てみろ!』と誘ったと語ります。  神は、多くの場合、人を用いられると、私は確信しています。神は神の大きな業の達成のために人を用いられると、そのように確信しています。

  やがて豫言者となるエリヤ青年を養ったのは、自殺寸前の、名もない寡婦でした。『あなたの手にあるものは何か?  それを地に投げてみなさい!』と、神はモーセにおっしゃいました。  喜んで持てるものを喜んで神に捧げることが肝心です。

★  私たちはイェスに出会っているのです。  イェスに救われているのです。
『みっけた!  出会った!  わかった!』の感動を決して風化させてはなりません。

  イェスと出会った瞬間に発したあの感動の叫び声、『ユりカ!  主に出会った!』から始まった信仰をマンネリズム化させることは決して許されないことなのです。
  その救い主イェスのために、どのように私たち自身の人生を捧げ続けて行くのか... そのことが問われているのです。

★  また、私たちは、他者に対する影響を軽視してはなりません。私たちは「平和ならしむる者」(マタイ傳5章9節)であり、「地塩世光」(13節)なのです。  これらはイェスご自身が語られた言葉です。

  使徒パウロは、私たちが、「主イェス・キリストを知る薫りを到る所で放つ者」であるとコリント後書2章14節で誇らしげに告げています。  私たちの足が赴く所は、それが何処であれ、私たちがキリストの善き薫りを放っているということです。

  世の人々が、私たちと私たちの生きざまを見て、私たちが残した足跡に触れるごとに、『このすてきな薫りは何処からやって来るんだ?  これこそ生きるしるしの薫りなんだ!  この人はただの人じゃないぞ!  わかった!  キリストの薫りなんだ!』と叫んでくださるように在りたいもの、成りたいものだと願うのです。

★  主イェス・キリストの芳しい善き薫りを残してこの世を去りたいものだと、今は恩寵によって御国に憩う金世福君の凱旋召天1年目を迎えて心から願ったのです。


 

 

★  1985年に世田谷から当地に移住して来てからいろいろな体験をしました。その一つに捨て犬の保護があります。  合計で2百頭をはるかに越えると思います。

  浪花節ではありませんが、いろいろな事情でやって来た、主として大型犬たちでした。  柴犬ナナ嬢は現在14歳、視覚、聴覚、嗅覚が衰え、恐怖感に苛まれながら余生を送っています。  いつ咬まれるかわからないので注意と愛情が必要です。
  多くの大型犬が死んで逝きました。  ナナちゃんを観察して、ナナちゃんの終わりを予測しながら、いろいろなことを考えています。  自分自身のことを含めてです。

  この私も間もなくお召しに与って、未知の世界へとお引っ越しをして行くことになります。  時間の問題です。  最近に到り身辺整理をさらに急いでいる理由です。

★  今朝はピリピ書3章20節~21節を、神の力の働きの内容に注目しながら読んでみました。  『キリストは、万物をご自身に従わせ得る力の働きによって、私たちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ形に変えてくださるであろう』とあります。

  私たちは、この世に生を受けたその瞬間から、その終わりに向かって、全力で邁進を始めるのです。  この瞬間にも私たちは終焉に向かって、かたときも休むことなく走り続けているのです。  昨日より今日は、今日より明日は、さらに終点に向かって近くなるのです。  誰も避けられない厳粛な事実です。

  先週はコスモスの種を蒔きました。  種が地に埋められて死ぬことで新しい生命が生まれて来ます。  それと同じように私たちもいずれ近いうちに地に埋められます。
  魂は御国に赴き、朽ち果てるべき肉体は地中に戻ります。  しかし埋められた肉体は、やがて異なる、永遠に朽ちない形を採って、栄光のイェス・キリストの体と同じ形へと変えられて行くのだと、そのようにピリピ書3章21節は説明しています。

★  コリント前書15章42節~49節でも、同じ約束が保証されています。
罪多き私たちが、やがては主イェス・キリストに似た姿を身につけることになると、そのように約束されています。

  地の塵で作られた私たち(創世記2章7節)が、キリストと同じ栄光の体へと創り変えて頂けるというのです。  大きな驚きと大きな喜びです。  恩寵の為す業です。

  私たちは、『この世に在るが、この世には属していない!』と、コリント後書4章18節~5章10節は私たちに注意を喚起しています。  イェス・キリストに似た者へと創り変えられること、これが私たちの求道生活・巡礼生活の究極終着点なのです。

  この世の罪の力に支配されないように注意して、絶えず目を覚まして、巡礼生活、求道生活を続けましょう。  見上げ、目指すべきは、主イェス・キリストのみです。


 

マルコ傳14章38節

誘惑に陥らないように、目を覚まし、祈り続けなさい。

          マルコ傳14章38節

 

吾が主、吾が神!

ヨハネ傳20章28節

★  ガラテヤ書5章6節は、『貴いのは愛を通して働く信仰だけだ』と教えます。
『割礼があってもなくても、そのようなことは問題にもならない』というのです。
  どのような教団に属しているとか、どの教派に所属しているとか、豪華な礼拝堂があるとかないとか、塔のてっぺんに十字架があるとかないとか、オルガンがあるとかないとか...、そのようなことは救いに全く関係がない!ということです。

  そのようなシルシが私たちを救うわけではないのです。  救って下さるのはイェスです。  神の御子、我らの救い主、キリストが救って下さるのです。  その他のモノが私たちを救うのではないのです。  十字架も救いを表すシルシにしか過ぎません。十字架であれ、教会堂であれ、シルシが私たちの救い主ではあり得ないのです。

★  コリント前書1章22節~23節の信仰告白をもう一度よく読む必要があります。
  『ユダヤ人(自分は信仰が強いと自称する者)はシルシ(可視的なモノ)を請い、ギリシャ人(インテリだと自称して驕っている者)は(口先だけの)智恵を求める...
  しかし私たちは、十字架の上で磔刑にされた主イェス・キリストを宣べ伝える!』私たちは救い主イェス・キリストを愛し、礼拝するのです。  モノを拝みません。
  イェス・キリストだけが救い主です(使徒行伝2章36節、ピリピ書2章11節)。



 

彼らは私の声に聞き従うであろう。
そして遂にひとつの群れ、一人の羊飼いとなるであろう。

          ヨハネ傳10章16節

平和の絆で結ばれて、精霊による一致を守り努めなさい。

          エペソ書4章3節

 

ルカ傳12章37節

★  加齢と共に、ますます強く思うことがあります。  それは宗教という毒酒です。主イェスを救い主として信じた者たちが、いつの間にか、宗教という毒酒に溺れて、価値感覚を麻痺させてしまい、大切でないことをあたかも大切なものであるかの如く信じ込んで疑わなくなることです。  求道し続けて行くことを止めることです。大切なことを忘れてしまって、大切でないことを固持してしまう危険性です。

  主イェスが最も大切なこととして説かれたことは、『いと小さき者のために冷たい水一杯を提供する』ことです。  マタイ傳10章42節と25章40節が教えています。

  主イェスの弟子でありたいと願う者たち、イェスの恩寵によって救われた者たちのために主ご自身が主の食卓に於いて強調なさったことは、「仕える」という姿勢でした。  ルカ傳12章37節とルカ傳22章27節でそのことを学びます。

  「仕えてくださるイェス」の主の食卓に与るごとに、私たちもエプロンを掛けて、仕えるという、キリスト者に与えられている特権と責務を、思い出して、軌道修正をしたいと願います。

★  イェスを信じるということは、「日曜朝に教会という箱物に入って、宗教行事をこなせばよい」ということではありません。  日常生活の場で仕えることです。コロサイ書3章17節がそのように教えています。


 

マルコ傳14章38節


★ マルコ傳14章38節には、『目を覚まして祈れ』というイェスの奨励があります。
 『常に目を覚ましていなさい・・・』というギリシャ語グレゴリオは、覚醒状態にいる、目を覚ましている、監視する、集中して注意深く在る、寝ずの番をする、警戒を怠らないでいる、何ごとにも用意周到でいる・・・などという意味を含んだ単語です。

 そのような意味を含んだ、『目を覚ましている状態』に、『祈れ、祈りを捧げよ』という命令が加えられています。 その目的は、『誘惑に陥らないために・・・』ということです。何に対して警戒状態に在れとイェスはおっしゃっているのでしょうか?
 『祈る』ということは、常に神を意識することだと私は思います。 神を中心に、どのような状態を警戒し、何に対して警戒を怠らないようにするのでしょうか?