2010年4月アーカイブ

私は弟の世話人でしょうか?


クワンジュ訪問記
韓国西南部全羅南道光州広域市訪問
金大中・全斗煥・光州事件・差別・拉致・無知・罪
2010 年4月14日追記

おはようございます。

  諸先生方にはご恩寵に従いそれぞれが感謝の日々をお過ごしのことと存じます。

  昨日は雨降りで寒い日でした。  今朝は太陽光がようやく開花し始めました水仙の花の上に照り輝き、創造主の不思議な業を指し示しているようです。

  先週月曜5日朝に当地を発ちまして、羽田と金浦空港を経由し、全羅道の中心地、全斗煥軍事独裁大統領の命で、民主化を求める群衆を武力で鎮圧した光州5 ・18事件の現場の全羅南道の中心地光州 Gwang Ju 広域市を訪問してまいりました。
8日夜に無事帰宅いたしました。

  光州民族博物館が、ソウル歴史博物館と共催して、特別写真展示会「異邦人が見た嘗てのソウル」写真展の開幕式に「異邦人」として出席するためでした。

  順子さんと妹の並々ならぬ協力を得まして、土壇場で急遽何とか最低限の旅費調達が可能となり、開幕式に出席ができました。  50数回目の訪韓となりました。

  いつもの訪韓時と同じように、独立福音伝道者としましては痛い厳しい臨時出費でしたが、学ぶこと極めて多く、出席してよかったと感謝しております。  順子さんには申し訳ないと思いますが、そうは申すものの、ケロリとした顔のようです。

  多くの韓国人が、いまだに日本と日本人に対して、根深い猜疑心と反感や憎悪感を抱いております。  このことを今回も改めて痛感させられました。
  そういう中で、全羅南道の皆さんに暖かく受け容れられ、愛され、緊張することもなく、感謝の気持ちで開幕式に出席することができました。

  光州を中心地とする半島西南部を占める全羅道は、韓国・朝鮮の長い歴史の歩みの中で、韓半島東南部を中心とする慶尚道の人々により、差別を強いられ、苦悩の茨の道を歩んできた地域です。  金大中が死刑判決を含めた露骨な迫害を受けたというのも、歴史的な差別の歩みの過程の中でのできごとでした。

  社会的、文化的、教育的、経済産業的、社会基盤整理など多くの面で、露骨な差別が現在でも平然と行われています。  まあこれは日本でも、西が東北より何かにつけて優遇されていることと似ているように私個人は思っています。

  そのような光州で、ソウル歴史博物館との共催で、光州民族博物館が写真展を主催してくださいました。  まさか写真撮影当事者である「異邦人」が日本から開幕式に参加してくれるとは予想されていなかったようです。

  口下手な全羅道の人々ですが、開幕式では、暖かくもてなしてくださり、日本からの「嘗てソウルを見た異邦人」老人に、過分な花を持たせてくださいました。
  倭寇の朝鮮半島挑発、豊臣秀吉時の侵略、そして近代では百年間の日本の植民地化など、愚かな日本側による侵略と蛮行を心から詫び、将来への健全な相互尊敬精神に基づく発展のため、赦しと和解を求める挨拶を、下手な韓国語で致しました。

  開幕式に列席されたほとんどの参加者が、無名の日本人福音伝道者が、朴正煕軍事独裁政権時代に疲弊しきっていた農漁村で児童の給食企画と託児所の建設などを推進し、韓国最悪のスラムで奉仕活動をしていたことを、当然ですが、ご存知でなかったのでした。  「異邦人」が日本人であったことを初めて認識されました。

  写真展の規模は、昨年秋にソウル歴史博物館で展示されました時と比較して、相当に縮小されていましたが、それでも展示された多くの写真を見ていただき、私どもの蟻の涙ほどの努力でしたが、韓国人の日本人への憎しみの解決に、神さまの恩寵が、展示されました写真を用いてくださったと感じ、ありがたく思いました。
  私の下手な韓国語の背景説明を聞きながら、涙してくださったご婦人たちがいらっしゃいました。

  朝鮮動乱時に東京獣医大学で唯一の親友であった金五南キム・オナム君という韓国からの留学生がいました。  朝鮮戦争(韓国では6・25、ユギオと呼びますが)で送金が途絶え金君は苦労をしていました。

  その時の日本はまだ米穀配給券というものが必要な時代でした。  母校明治学院のチャペルの床を水で洗い、白壁を二人で塗るアルバイトを宣教師コーヴァーさんから貰ってやったこともありました。  金君と食料や衣服を分け合い過ごしました。

  卒業後、金君は済州島の大学で獣医学を教え、のちに光州大学で獣医学教授として活動していました。  その間、私は渡米し、聖書を学びました。
  今回の光州訪問時に国立全羅大学獣医学部を訪問し、金君の消息を尋ねましたが、すでに他界しておりました。  遺族や墓地を捜すことができませんでした。辛い訪問となりました。  獣医学部教務課の方々が、熱心に嘗ての同学部の退職された教授たちに電話をして探してくださいました。  天国での再会が楽しみです。

  光州市内各地で全斗煥軍事独裁大統領による5・18事件(金大中が死刑宣告を受けた事件)時の残虐な行為を示す記念館などを、時間を割いて見てきました。

  日本軍による朝鮮人殺害とは違い、同国人が同国人を大量殺戮するという残忍さと古くからこん日に到るまで伝わっている、朝鮮半島内の地域差別意識の現実を改めて目撃し衝撃を受けました。  人間とは、残虐なことも出来るものだと知りました。

  また、そのことからも、北朝鮮による日本人拉致事件のこと、被害者の家族のことなどを複雑な思いで独り考えました。  韓国の人々が北朝鮮による日本人拉致に関して、日本人が騒ぎ立てるほど感情的でない理由も理解できるように思いました。ブルー・リボンを胸に着けるだけでは到底解決できないであろうと思いました。

  動物園、光電子工学エキスポ、無等山ムドンサン 、静かな仏教堂内で祈る仏教徒たち、仙人のような儒教学者の居住地跡地、発掘された14世紀頃の窯跡、5・18事件の一般市民犠牲者数百名が眠る国立墓地、金大中ら一般市民を裁いた臨時軍事刑務所と軍事裁判所跡地などを訪問し、いろいろと学ぶことができました。

  まあどこに行っても何とか片言の韓国語で大体は通じました。  英語を補助として活用する折はありませんでした。  体力と時間の浪費を省くため、タクシーを活用しました。  韓国ではタクシーの初乗り基本料金はW2、200(=\180) のようでした。

  小淵沢駅を朝10時発の特急で新宿に向かい、羽田空港と金浦空港を経由し光州空港に到着したのは夜10時でした。  空港には案内する人もなく、途方にくれていましたら、如何わしいオッチャンが近づいてきました。  でっぷりと下腹部がたるんでいるタクシー・ドライヴァーでした。  一目で普通のタクシー・ドライヴァーでないことはよくわかりましたが、寒い無人地方空港で不安な一夜を過ごすこともできず、料金をぼったくられるのを覚悟の上でホテルに案内してもらいました。

  到着したのは案の定ラヴ・ホテルでした。  社会見学と決めこんで、とにかく一夜を過ごすことにしました。  まあ光州版の歌舞伎町を縮小したようなところで、早朝に外にでて、充分に火の通った  ソルルン湯タンというもので済ましました。

  次の夜は博物館が推薦したホテルと、ソウルでは漢江の南側のホテルに投錨しましたが、これまたラヴ・ホテル的なホテルでした。
  早朝に二番目のホテルの前で廃品回収をしているオジサンと話す折があり、清渓川時代を思い出しました。  ゴミ集めの人をノンマチュイとか呼んでいたのを思いだしました。  1日の労働で日本金¥600 円から¥1,500 円前後の現金収入になるとのことでした。  そのような労働に従事する人に話しかける一般人はないようでした。

  どのホテルでも、日本やアメリカでは想像もつかない露骨なポルノが、24時間有線テレビで流れていました。  3局はあったかと思います。  人間が営むことの一部です。  大したものではありません。  ニンニク・パワー、キムチ・パワーの最高発散番組だと理解しました。  倫理規定というものが完全に欠如しているようです。

  有線テレビといえば、シャーマニズム化した、自称福音派の伝道説教プログラムが同じように3局ありました。  これもニンニクとキムチ・パワーの結晶のようです。
  ちょっとしたサイズの教会専属交響楽団が大音響の煽り立てるような調子で讚美歌を演奏していました。  派手な服装をした説教者が、宗教という酒に酔ったような、絶叫説教を繰り返していました。  同じ局で、24時間同様内容のセンセーショナルな宗教番組を流し続けているのを確認しました。  そういうものを受け入れる民族性があるように思えます。  そういう調子で、日本の教会にも進出しているのです。

  1円入れて100 円、 1,000円を期待するというような、ご利益宗教的なメッセージが24時間流れていました。  あれではイェスさまも相当にお疲れになるはずだ!...とご同情申しあげました。  ピラミッド型の教会組織を総動員しての、金儲けに徹した伝道メッセージのようでした。  常識ある韓国人の顰蹙を買っています。

  同じタイプのテレビやラジオ伝道をアメリカでもたくさん見ていました。
みんな同じタイプで、神癒を中心とするテレビ伝道者の絶叫を在米中にも見ていましたが、金儲け的なこと、ピラミッド的な構成などが共通しているようです。
馬鹿らしく思えましたが、一応は「韓国宗教酒が招く宗教儀式」を視ておきました。

  ローマ教会の有線放送は、やや静かな説教や礼拝を中心に、プロテスタント局同様に24時間放送をしていました。  韓国人の好きな、位階階級制度の聖職者職を強調しているようにも見えました。  プロテスタント福音派の番組よりは穏やかでした。

  仏教の講話を中心とする24時間番組は、語りかけるように、穏やかなものでした。
ローマ教会と同様に、1 局あり、24時間仏法説教・解説をしていました。

  あとは、人間の営みは言葉が違っても同じですから、スポーツあり、お笑いあり、ニュースあり、いろいろでした。

  3日間の3つのホテルで、人間が関心のあることを、大体全部有線テレビで観ました。  普段テレビを、ニュースや文化番組以外ほとんど視ない私でしたが、韓国語の勉強にもなり、一応すべての有線テレビ番組の社会見学をしました。

  イェスが愛される、この地上に住む人間と、その人間が作り上げた諸番組ですが、愚劣なものが多くありました。  日本でも同じです。  心を打つようなプログラムはありませんでした。  英国の詩人アレキサンダー・ポープが言いましたように、人間は、極端に悪いものと極端によいものとの間にいる...ということを思い出しながら、退屈しのぎに  有線テレビを三つのホテルで観賞しました。  つまらない番組という点では日本の民放も同様に愚劣だと思います。  聖書的基礎を欠く文化は愚劣です。

  NHK ニュースも観ることができました。  衛星放送が入ります。
ある韓国人解説者が、「あんな老人、勃起もできない日本の老人政治家が、どうして『立ち上がれ日本』などと自分たちのことを忘れて公に叫ぶのか?!」と皮肉っていました。  正直で、的を射た批判のようでした。  普通の人間は愚者ではないのです。
  タイにせよ、アジアに立派な政治家 state manが不在であると、ソウルからNHK のニュース番組を視ながら感じました。

  ソマリア沖で韓国軍が、海賊に拿捕された油輸送船を救出しようとしている作戦と北朝鮮との軍事境界線近辺で爆沈した海軍軍艦の報道でニュースは占められていました。  そんなとき、『立ち上がれ日本』と、永田町のお爺さんたちが叫んでいるのを見ました。  おもしろくない喜劇役者たちです。  北東アジアを担えるまともな人材ではあり得ません。  そのように考えながらNHK 衛星放送を視ていました。

  光州市内のちょっとした丘の上にある仏教寺院を訪れてみました。  公園のような感じの場所で、散歩を楽しむ人々を多く見かけました。大きなお堂の中に、十数名のご婦人たちが坐りこんで、静かに祈っておられました。

  テレビで見る、シャーマニズムに冒された、「純福音を説いている!」と自称する一部の煽動的、感情的、非理性的な、鳴り物入りのプロテスタント?福音派キリスト教会とは対照的に静かな雰囲気でした。  韓国の自称プロテスタント系キリスト教は常識のある韓国一般人も異常だと思っています。  ソウル市内だけでも、そのような教会が三千前後あり、赤いネオンをつけた塔が目立ちます。  光州でも同様でした。

  光州市立動物園は、地方動物園でしたので、猛獣が殆どいませんでした。
  その地の経済的、文化的、社会的、教育的な水準を計り知るには、植物園や動物園見学が有益です。  珍島犬チンド・ケ という天然記念物の犬を初めてみました。

  共同墓地もあえて訪問してみました。  広大な丘陵地を整地し、同じサイズに統一された石碑が美しく並んでいました。  韓国・朝鮮の人々が愛する野の花チンダッレ(紫躑躅ツツジ )が、染井吉野と共に、たくさん咲いていました。  のどかでした。

  無等山山頂に到る渓谷に添った道中の日の当たる山腹には数多くの無記名の土饅頭があるのを目撃しました。  この世を去った農民たちが土葬されていました。素朴で自然な美しさ、一種の威厳さを感じました。  去って逝った人を埋葬するのに数百万円もの大金を要する日本の異常な現実を思うとき、羨ましい限りでした。

  1960年代後半から1970年代後半までは、田舎の道は未舗装道路といいましょうか、『道路予定地』と呼んだほうがよいような酷いものでしたが、今回の山岳・渓谷地帯に到るまで、舗装してあるのを目撃し、国力の向上を感じました。  拍手でした。

  国力向上といえば、どちらのトイレでもトイレット・ペーパの質が向上しており、これも秘かに拍手した次第です。  ウォッシュレット・トイレも普及し始めていました。  昔のように「運の尽き」ということはありませんでした。
  これも万歳(マンセー)の一つでした。

  しかし、ラヴ・ホテル周辺、日本の歌舞伎町相当の地域は、光州でもソウルでも、ゴミのポイ捨てや、売春婦の宣伝用名刺カードなどが地面に散乱し、汚い!の一言に尽きました。  公徳心欠如と叫びたいのですが、私が住む八ヶ嶽南麓でも、ポイ捨てゴミで満ちあふれています。  富士山の世界遺産登録など暴言で夢物語と思います。

  田舎の渓谷などに点在する農家と農民と穏やかな朝鮮赤牛、それに韓国各地に見事に開花している染井吉野を見ることができました。  嘗ては反日感情で桜は切られていましたが、今回は各地で見事な桜の開花を見ました。  韓国人の精神的余裕を垣間見る思いがしました。  人々は「サクラ」と日本語で呼んでいました。

  最近の韓国訪問時に思うことですが、嘗ての穏やかな農村が消え去り、ということは伝統的な農村家屋が消え去り、超高層マンションやアパートが乱立するようになっていることです。  巨額の資本投下をしても富める者は儲かるのでしょう。  庶民には手が出せない値段のようです。  利息だけでも相当なものであろうと思いました。
  これから暫くすれば、雨漏りなど維持管理でいろいろな社会問題が起こるであろうかと思いました。

  長閑な農村と伝統的な農家が、コンクリートと鉄骨の集団居住団地に変わり、小石がプラスチックに代わることが進歩なのか...どこでも人間のすることは同じようで、自然を破壊して、人間の快適な生活要求を満たす姿...複雑な思いが致しました。東京でも野猿峠というハイキング・コースが、住宅密集地に変わっていますから...

  朝鮮半島南部の多くに、あのようにたくさんの高層マンション・ビルが建て続ければ、そのうちに南半分が重くなりすぎて、朝鮮半島が二つに割れて沈下するのではないかと、そのように、訪韓するたびに思います。

  朴正煕軍事独裁政権がセマウル運動(新しい村おこし運動)というものを始めて、屋根をことごとくブルーに塗らせた時から、(=ペンキ業界から巨大なワイロが流れたとの噂があったのを覚えています)朝鮮半島南部での建物の近代化が進んだものと思っています。  現在では伝統的な穏やかな古い朝鮮半島独特の建物を捜すのが困難になってしまったようです。

  これは、私が住む寒村僻地の小荒間でも、同じような傾向が、「近代化」という名目で進んでいるのと同じでしょう。  藁葺き屋根が、ソーラー・パネルを載せた化学物質で作られた家屋にとって変わったわけですが、これで近代化なのかと、ときどき複雑な思いに陥るのと同じようです。

  全羅道国立大学の校舎も広いもので、たくさんの染井吉野が咲いていました。
  ソウルの冠岳区グワンナックにあるソウル大学も訪問してみました。  立派な数階建ての建物がぎっしりと犇いて建っていました。  諸大企業からの寄付で建てられた大きな建物の中には、企業の協力で、よい人材培達計画が進行中のようでした。  その内にいろいろな点で日本の水準を追い抜くのではないかと、そのように思えました。

  今回の全羅道への短時間の駆け込み旅行で感じたことですが...
かねてから、朝鮮半島内の数世紀にもわたる、あるいはそれ以上古くからある、地域差別という深刻な問題を痛感しました。  少しずつ、この点でも勉強を始めました。
  親韓派になるというよりも、智韓派になるということを余生の目標にしたいと願っています。

  全羅道(朝鮮半島西南部地域)に対するこれまでの為政者たち(朝鮮半島南東部、日本海側)の露骨な差別姿勢をいろいろな面で直接肌に触れてみることができたように思いました。  高速道路にせよ鉄道にせよ、全羅道の社会資本の投下は、慶尚道と比較すれば、話にもならないほど露骨で劣悪です。  韓国人・朝鮮人の国民性の一端を改めて感じました。  憎しみは憎しみしか生み出せません。

  また、のどかな山奥にまで、嘗て、日本軍の軍靴の音がこだまし、日章旗が翻ったことを思いますと、侵略の愚かさと、そのことが結果的に人々の心の奥底にまで与えた傷を癒すことの難しさを、改めて教えられました。  戦争は絶対に良くないです。

  そのあと朝鮮動乱が起こり、北朝鮮軍が押し寄せ、略奪と殺戮を繰り返しました。
それに加えて、慶尚道の朴正煕軍事独裁政権、全斗煥軍事独裁政権の軍隊の大量虐殺事件...でした。  全羅道の人々は数多くの侵略を受けています。
  もちろん豊臣秀吉の度重なる侵略もありましたし、その前には倭寇と呼ばれていた瀬戸内海西部や北九州近辺の一種の海の男たちの武装集団の侵入もありました。

  私が最初に韓国を訪れたのは1968年でした。  韓国人の日本と日本人に対する憤りは激しいものでした。  日本の警察や軍隊で拷問されたという傷跡を見せる人たちに出会ったことも多くありました。  その時には、その人の年齢を推測し、どの程度の対日悪感情を抱いているのだろうかと、まず秘かに考えたものでした。

  その次に考えたことは、その人の出身地でした。  朝鮮動乱時に北から逃れて来た人なのか、ソウル近辺の人なのか、忠清道の人なのか、慶尚道(嶺南)の人なのか、あるいは全羅道(湖南)出身者なのか...、そういう出身地のことと、そういう環境の中でその人が他の韓国人に対して、どのような偏見や態度を採るのか...、そのようなことを観察しました。  慶尚道と全羅道の対立は後三国時代にまで遡る対立です。

  さらに、日本の植民地時代から解放されて樹立した李承晩政権を軍事クーデターで政権を奪い、強権弾圧政治を行った慶尚道出身の朴正煕パッチョンヒが、全羅道に対する露骨な差別政策を採ったことが地方対立を激化させ、朴正煕政権を引き継いだ同じく慶尚道出身の全斗煥軍事独裁政権が、結果的に光州事件(5・18)を生み出しました。
  その後も盧泰愚大統領、金泳三大統領、金鐘泌(KCIAの金大中拉致事件責任者? )などと、全羅道出身の金大中大統領との露骨な対立と差別政策がありました。

  古くは李氏朝鮮時代に、マンギョンボンの基地で有名な、現北朝鮮北東部の咸鏡道に対する偏見と差別は厳しいものがあったようですし、現北朝鮮北西部の中国国境に近い平安道に対する南による差別と蔑視も激しいものがあったようです。  官僚にも採用されず、そこから嫁を迎えない...というようなことが古くからあったようです。

  そういう、朝鮮半島北部に対して、南の方、すなわち米が収穫できる南の方の差別構造があったのですが、南の中では、すでに述べましたように、日本海側の慶尚道による黄海側の全羅道への根強い差別が歴史的に存在しています。

  ところが、これらの地域別差別を抱えている朝鮮半島の人々が、済州島に対しては最も酷い差別をしていたのです。  日本が済州島の人々を日本に強制連行した...などと簡単に片付けることではなく、朝鮮人たちの間での最も酷い差別に耐えかねた島民の多くが日本に逃れて来た...とも言えるのです。  在日韓国人・朝鮮人のほとんどが済州島の出身者のようです。

  日本でも有名になった「チャングム」劇でチャングムは済州島に送られます。
済州島は流刑地であったのです。  済州島の女性が本土の男と結婚する‥など、到底当時は考えられなかったことのようです。  酷い差別があったのでした。

  エルサレムと、そこに鎮座ます高級エリートであった職業的宗教人としての祭司長や律法学者、パリサイ人たちデスク・ワーカーが、強盗にやられた「ある人」を介護せず、見てみぬふりをして、避けて通ったと、ルカ傳10章は語ります。

  語っているのはガリラヤ出身のイェスです。  エルサレム人からは差別されていた人種です。

  そして、エルサレムに住む者からも、ガリラヤ人からも蔑視され、差別されていたのがサマリヤ人でした。  「善きサマリヤ人」の譬には、3種類の人種による偏見と蔑視が隠されているのです。  このような視点で人間同士の愚かな人種偏見を考えますと、「善きサマリヤ人」の譬で、主イェスが何を仰しゃりたかったのかがより鮮明に理解できると思います。

 ここまで、思いつくままに、継ぎ足しに継ぎ足しを重ねて書いてみました。
ここで、さらに恥の上に恥で塗り固めるようですが、脱線のついでに、継ぎ足し文を挿入することに致しました。 

 ここからの挿入文を含まない初稿をお読み下さいました大月教会の清水光雄先生が、拙文を「神の声を聞く会」で出したいと、過分なご提案をいただきました。そこで、地域意識の違いや差別問題などを、素人なりに書き加えたいと願った次第です。また、手製地図数枚をも付け加えようと欲をだしました。 素人の耳学問・足学問で1968年から独りで学んだものであり、韓国学・朝鮮学の専門家ではありませんので、どこまで責任を持てるのか自信は全くありません。 独りで煽てあげて、独りで樹に登る豚さんより粗悪だと思います。 しかし、お役に立てばと思い、あえて地図作りにも挑戦してみました。 清水光雄先生のお招きを感謝いたします。

 私は北朝鮮をも訪問したいという願いを心の中に暖めていますが、経済的な問題が最大のネックで、いまだに夢を実現できておりません。 従いまして、北朝鮮関連のことを何も語ることができません。 
 しかし、南半分の韓国に関しましては、隅から済みまでとは決していえませんが、離島などを含めまして、相当な範囲を50数回の訪韓で訪問してみました。 そこから耳学問・目学問・舌学問・足学問で見聞きしたことを基に、もう少し書き加えてみたいと思います。
 
 朴正煕軍事独裁大統領、同じくそれに続いた全斗煥チョン・ドゥファン軍事独裁大統領、そして盧泰愚軍事独裁大統領、北側では金日成キム・イルソン独裁首領およびその息子の金正日キム・ジョンイル独裁首領の軍事独裁強権がもたらした、現在まで続く南北相互軍事対立という体制が、皮肉なことに、朝鮮半島に住むすべての人々に与えた数少ない肯定的な貢献というものに、国民皆兵制度という厳しいものがあるかと、素人の私は考えています。 
  
 それは、南北共に徴兵制度という制度をとおして国民皆兵の強烈な軍事態勢を構築したことで、それまでの地方別、地域別の、てんでんばらばらであった各地方対立の不信感や差別感を軍隊生活という場をとおして解消に向かわせたという点ではないかと、私はそのように見ています。 愛国心というものを培養育成したと考えます。

 これは、南北を含めて、朝鮮半島でそれまで例を見ることが少ない発想ではないかと考えています。それまでの愛国心は、通信や教育の発達を欠いていた昔は、たとえば日本の侵略に抗して戦った時代に、国全体が纏まって外敵に対抗すると言う点で、現在の愛国心と比較すると、纏まりに乏しく、充分な成果を得られなかったように思うのです。

 ローマ帝国は、イングランドから印度西部までを網羅する広大な領土を有していましたので国土を護るために強大な軍隊を必要としていました。 しかし強大な軍事力を保持するということは、自分自身の帝国というものをクーデターで内部から崩壊・壊滅させてしまうという危険性を備えていました。
 このことを未然に防止するために、たとえば、東京出身の兵卒を北海道に駐留させ、北海道の青年を沖縄に送り込むというように、言葉や風俗習慣の全く異なる僻地に兵士たちを相互に送り込むことで、言葉の通じ合う兵卒たちが相談をしてクーデターを起こせないようにしたのです。 

 この点において、韓国軍も北朝鮮軍も、同じような価値感覚や思想を共用する目的を充分に、初めて培養育成するのに成功したかと、素人の外国人である私は考えています。

 私は北を訪れたことがないので、現在の北のことは全くわかりません。しかし、分断前を知る老人や、朝鮮動乱(韓国ではユギオ 6・25と呼ぶ)時に南に逃れてきた人や、中国義勇軍の参戦で、それまで中国国境付近にまで到着していた国連軍、実質的には主としてアメリカ軍が、南に向けて退却した時に、アメリカ軍の後を追って南に逃れた人たちの話を聞いて、だいたい同じだろうと想像していることは、地域差別や蔑視が盛んであったということです。 それを、価値感覚を統一する厳しい軍隊生活という共同生活が愛国心という思想教育の徹底化を成し遂げたのです。

日本の戦国時代や明治維新直前の日本にもそのような差別や対抗意識が強かったものと思います。 坂本竜馬劇でも、薩摩や長州や土佐などの対立や抗争、仲間同士の上士・下士などの差別を観ています。 戊辰戦争というのもありました。

 何しろ、韓国人が二人集まれば三つの政党があると言われています。三人集まれば五つの政党があり得るのです。 成功する人を見れば、同じ地域の出身者か、同じ先祖を共有していなければ、その人の足をこっぴどく引きずり降ろすと言われています。 

 自分の家族・親族、自分の出生地、自分の仲間をとても大事にするのです。 
 部外者には厳しいです。 仲間に入れてもらえばわかりますが、仲間の中で経済的によくできない人が居れば、その人の面倒をみるのは、その群れの中でよくできる者が見るのです。 当然のことなのです。 この慣習を理解できない、知らない日本人が、韓国人に食事に誘われても、「割り勘」という日本人の発想は通用しません。 その代わり、金持ちだと一般に韓国人たちが考えている日本人が、食事に誘われた時、あるいは誘った時、日本人旅行者が食事代を無意識にせよ、支払わないということになると、これはよい関係を維持できません。

 日本人のわたしどもには、最初は戸惑うことの一つですが、韓民族・朝鮮民族には「本貫ホングワン」という、朝鮮王朝の時代の両班ヤンバン制度から来た制度があります。自分たちの家系の優秀性や正統性を証明し、主張する社会制度です。墓碑を見てもたとえば「京都の野村家の墓」というように刻んであります。 同名の男女は必ず結婚する前に本貫を確かめます。 同じ本貫の金さんなり、朴さんなり、李さんは結婚をしませんし、できないのではないかと思います。 

 最近の日本では結婚届を出すときに夫婦別姓で登録したいという動きがあります。しかし韓国では、結婚した女性が男性の姓を名乗ることはありません。 おそらく女性を男性の姓が代表する家系に入れないという習慣が残っているのでしょうか?
 子供が生まれると、その子は父親の姓を名乗ります。 そういう現実があります。
 
 髪の毛の色も同じです。 しかし、韓国・朝鮮は外国なのです。
多くの点で、価値感覚が異なります。 1945年後に自由を得て、経済力を回復し、近代化の進んだ日本は、或る意味で、オカミ指導で全国の画一化が進みすぎてしまいました。 どこに行っても駅前商店街は同じ風景です。 方言も明治維新以降政府指導で標準語に統一されてしまいました。 縦社会の発想です。 しかし、韓国のほうが、そういう点では、独立精神が旺盛なのかも知れません。 
地域格差や地域差別など、まだまだ日本人が日本の価値基準で韓国を計り裁くというのはよくありません。 急に西洋化した日本が、日本の価値基準で、あたかも日本が民主主義の模範国であるかの如くに振る舞い、無意識であれ、そのような姿勢で韓国や朝鮮に臨むのは、それは傲慢不遜なことなのかもしれません。 彼らの反発を招くことがあり得ます。 好きでも嫌いでも、その国をそのままで受け入れ、評価することが必要だと思います。 自分の国を最高の規準だと思い込んで、韓国・朝鮮を比較し、非難するという姿勢はよくありません。 拉致問題を根本的に見直す必要があると私は考えています。 日本の歴代保守政権に私たちが拉致される必要はありません。

  こういう長い、長い朝鮮・韓国の地域差別の歴史を考えますと、ブルー・リボンを胸につけて、北朝鮮当局による日本人拉致という問題を、殊更に感情的に取り上げて日本国民を拉致・扇動する日本政府やマスコミの在り方に対しても、何とも言えない違和感のようなものを改めて感じました。  相手の背景理解を完全に欠いているようです。  日本が過去にどれほど多くの朝鮮人を拉致し、連行したままでいる...ということを完全に忘れ、その補償すらまともに考えたことがないというのが現実です。

  和解の福音を、その一端である、赦すという面を韓国教会に求めながら、日本教会が真剣に南北に詫びるという方法を模索しなければならないと痛感しました。

 真の和解とは、まず自分の犯した罪を自覚し、そのことに対して相手側に誠実に詫びることから始まると思います。 独逸のワイツゼッカーのような政治家が日本に出てくることが不可能なような土壌の中に私たちが居ることは不幸なことです。
 誠実に詫びて、相手がそれを納得して受け容れてくれたときにのみ、和解というものが成立すると私は考えます。

 しかし、国家と国家は、自国の利益を追求するものです。 
 日本がアジアに対して行った愚行を、日本政府はカネで解決を図ろうとします。たぶん国家権力として、これしかできないのでしょう。 
 国と国が争っても、国民同士が国家の言うことを鵜呑みにして、追従する必要はありません。 国民と国民同士は、国家間の争いと関係なく、相互に理解しあい、尊敬しあうことができるはずだと、私はそのように考えています。

 国家が犯した国家的犯罪を、一人の国民が償うということはできません。しかし、和解と相互信頼と相互敬愛は、国民一人ひとりにできる特権と責任だと私は考えています。 それは創世記4章9節の言葉からもわかります。
 

  創世記4章9節に、『私は弟の世話人・介護者でしょうか?』という一句があります。  北東アジアの教会が、取り分け日本と韓国が、この聖句と真剣に取り組む必要があると、今回の訪韓で更に強く感じました。

  最後に・・
この点で、私がこの地上でとりあえず所属していますチャーチャクライストの群れは、個人の救いや教会の組織や礼拝方法などにこの二百年ほどエネルギーを費やし過ぎてしまって、「地塩世光と」しての「仕えること」、「いと小さき者に仕える」ということの重要さ、「平和ならしめる者」としての主イェスの教えを殆ど完全に無視してきたように痛感しました。

  アメリカのマニフェスト・デスティニーと主イェスの福音が混合されたようなものを福音そのものと誤解し、鵜呑にしてきた日本の教会に、イェスの福音の社会面でのメッセージを理解できず、『仕える者、平和ならしむる者』という面が完全に欠落した来たと思えるのです。  罪という次元から、侵略や差別や戦争責任などを洞察することができないままで来たように思えるのです。  為政者側に立って来たのです。

  私は石駱駝Stone-Campbell運動を眺めながら、今回の韓国の田舎巡りにおいても、そのような複雑な想いに捉われていました。  拙文をお読み頂き感謝いたします。

  書いたあとで次々に思い出したことを、これまた次々に付け加えましたので、文脈が乱れています。  お赦しを願います!

  『私は弟の世話人でしょうか?』という創世記の問いかけに、私たちはどのように応えたらよいのでしょうか?  お考え頂きたいし、実践して頂きたいと願います。

★  尚、岩下和彦さんのご好意ででき上がりました www.bethanyhome.net/ ホーム・ページの中に最近書き添えました韓国(清渓川スラム)の思い出ばなしがあります。清渓川スラムを撮影した時に使用しましたハッセルブラッドというカメラのところに訂正が必要だと、長男から注意がありました。  その内に訂正いたします。

 昨年秋にソウル歴史博物館が立派な写真集第2巻を発行してくださいました。御希望の方はご連絡下さい。 纏まらない雑文をお読み頂き感謝申し上げます。
 お互いに『地塩世光』として、恩寵の内に励ませて頂きたいものと願います。

見よ、私は新しい天と、新しい地とを創造する。
先のことは覚えられることなく、
心に思い起こすことはない。
私が造ろうとする新しい天と、新しい地が
私の前に永く留まるように、
あなたの子孫と、あなたの名は永く留まる。

          イザヤ書65章17節及び66章22節

私たちは、神の約束に従って、義の住む
新しい天と地とを待ち望んでいる。

          ペテロ後書3章13節